お城解説「日本全国」1300情報【城旅人】
伊勢・金井城伊勢・金井城 (かないじょう) は、三重県いなべ市員弁町西方にある比高10mほどの平山城(丘城)で、別名は北金井城、伊勢・大泉城、大泉金井城とも言う。
ただ、この土岐道誉(土岐大膳大夫道誉)と、土岐掃部助なる武将に関してはよくわからない。 美濃守護である土岐氏の宗家ではなく分家筋と考えられるが、同じ土岐氏でも「伊勢守護」の土岐氏の系統であると推測する。 伊勢・土岐氏としては土岐持頼 (ときもちより) が刑部少輔・大膳大夫を称しているが1440年に討死しており時代が合わない。 土岐持頼の死後、伊勢北半国守護は一色氏、そして北畠氏へと移ったが、土岐持頼の系統は土岐世保家(世保氏)として残っていたとも推測できる。 ちなみに、美濃守護・ 土岐頼芸 は天文21年(1552年)頃に 斎藤道三 から追放され、美濃土岐氏は没落した。
1567年、 稲葉山城 を落とした 織田信長 は、逃走した 斎藤龍興 を追って伊勢へ侵攻開始し、桑名に本陣を置くと 北勢四十八家 の諸城を攻略した。 1568年、伊勢・金井城は 滝川一益 の攻撃を受け一度は抗戦したものの降伏。 種村弾正左衛門秀政と子の種村秀信は滝川一益に従い 伊勢・長島城 攻めなどに参加した。
天正4年(1576年)、種村秀政は伊勢一向一揆平定に出陣したが伊勢・長島城にて討死し、子の種村秀信も謀反の疑いをかけられ伊勢・長島城にて自刃したと言う。(種村氏滅亡) 天正5年(1577年)とする史料もある。 種付氏の一族は伊勢・金井城を放棄し、離散したと伝わる。 大木信盛はあとから長島城に入る予定だったとし、急使の知らせを受けると西国に逃れ、肥後・細川家の家臣になったとされる。
交通アクセス
北勢線の大泉駅から距離1.4km、徒歩約20分。 種村商会さんが設置した案内がある見学用の無料駐車場が整備されている。 種村さまと言えば、恐らく城主だった種村氏の末裔に当たるのでしょう。 未来永劫、立派な城跡を守って頂けることを願うばかりだ。 駐車場までの道路は狭く集落の中を何箇所か曲がるが普通車で行ける。 駐車場への道案内はGoogleマップをカーナビとして使用すれば問題ない。 当方のオリジナル地図「名古屋・北陸」方面 では駐車場の場所をポイントしている。
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高田哲哉と申します。 20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。 日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。 資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。
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