平家物語 原文・現代語訳・解説・朗読
平家物語 原文・現代語訳・解説・朗読

平家物語 原文・現代語訳・解説・朗読

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越前(ゑちぜん)の三位通盛(さんみみちもり)の卿(きやう)の侍(さぶらひ)に、君太滝口時員(くんだたきぐちときかず)といふ者あり。北の方の御舟(おんふね)に参って申しけるは、「君は湊(みなと)河(がは)のしもにて、かたき七騎が中(なか)にとりこめられて、うたれさせ給ひ候(さうら)ひぬ。 其中(そのなか)にことに手をおろしてうち参らせ候ひしは、近江国(あふみのくに)の住人佐々木(ささき)の木村(きむら)の三郎成綱(さぶろうなりつな)、武蔵国(むさしのくに)の住人玉(たま)の井(ゐ)の四郎資景(しらうすけかげ) とこそ名のり申し候ひつれ。時員も一所(いつしよ)でいかにもなり、最後の御供(おんとも)仕るべう候へども、かねてよりおほせ候ひしは、『通盛いかになるとも、なんぢはいのちをすつべからず。いかにもしてながらへて、御(おん)ゆくゑをもたづね参らせよ』と仰せ候ひしあひだ、かひなきいのち生きて、つれなうこそこれまでのがれ参ッて候へ」と申しけれども、北の方とかうの返事にもおよび給はず、ひきかづいてぞふし給ふ。一定(いちじやう)うたれぬと聞き給へども、もしひが事(こと)にてもやあるらん、生きてかへらるる事もやと、二三日はあからさまに出でたる人をまつ心地(ここち)しておはしけるが、四五日も過ぎしかば、もしやのたのみもよわりはてて、いとど心ぼそうぞなられける。ただ一人(いちにん)付き奉りたりけるめのとの女房(にようぼう)も、同じ枕(まくら)にふし沈みにけり。

現代語訳 語句

■君太滝口時員 底本「くんたたきくち時員」より改め。伝未詳。滝口は宮中警護の武士。 ■御舟 一の谷の合戦に破れた平家一門は、屋島をめざして海上を移動中。 ■湊河 兵庫県神戸市兵庫区湊川町。楠木正成が足利尊氏を迎え撃った場所として有名。 ■御ゆくゑ 通盛の北の片のゆくえ。 ■かいなき命 生きているかいのない命。 ■つれなうこそ 恥を恥とも感じず平然として。 ■一定 きっと。さだめて。 ■あからさまに 一時的に。ちょっと。かりそめに。 ■かくときこえし 「かく」は通盛が討ち死にしたこと。 ■七日 寿永三年(1184)二月七日。 ■三位 夫の越前三位通盛。 ■人ごとに 会う人会う人、みな。 ■あからさまなる所 一の谷の陣営の仮屋(巻九「老馬」)。 ■ただならぬなるたる事 妊娠していること(巻八「緒環」)。 ■心強う 気が強いと。 ■子といふもののなかりつるに 下に「今はじめて子を得てきわめて嬉しい」といった意を補ってよむ。 ■しづかに身々とならん時 静かに出産する時。「身々となる」は母と子で肉体が二つになる、すなわち出産すること。 ■かねこと 兼言。未来を約束する言葉。 ■さやうの時 「さ」は出産。 ■恥ぢがましきめ 出産時の恥ずかしい思い。 ■思わぬほかのふしぎ 予想外の出来事。「ふしぎ」は思いがけぬ事。再婚を暗示。 ■そこにひとりとどまつて 「足下(そこ)」は二人称代名詞。 ■菩提 極楽往生を祈ること。 ■後生 来世の安楽。 ■いかならん 「いかならん岩木のはざまにても、すごさん事やすかるべし」(巻一「祇王」)。 ■一つ道 「道」は六道の道。来生で一緒になること。 ■六道四生 六道は衆生が輪廻転生を繰り返す六つの世界。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上。四生は衆生が六道を輪廻するときの四つの生まれ方。胎生(人など)・卵生(鳥など)・湿生(蛙など)・化生(蝶など)。 ■都の事 都に残してきた人々。 ■みつぎ参らせよ 「見継ぐ」は世話をする。 ■あしうも聞かれぬ まずいことに聞かれてしまった。言うべきではなかったの意。 ■心にかはりて 私の心にかわって。 ■大かたの世のうらめしさにも 大体における世間の恨めしいさにおいても。 ■されども思ひたつならば… 小宰相は乳母を安心させようとして言う。 ■御覧じいれ給はぬ 「御覧じいる」は「見入る(飲食する)」の尊敬語。 ■相かまへて よくよく考えて。覚悟を決めて。 ■千尋の底までも 深い海の底までも。尋は五尺(1.5メートル)または六尺(1.8メートル)。 ■やはら そっと。ゆっくりと。静かに。 ■漫々たる どこまでも広いさま。 ■月の入るさの 月の入ろうとする。「入さ」は入る方の意と地名の入佐をかける。入佐は但馬国の歌枕。兵庫県豊岡市出石町入佐。「春深くたづね入佐の山の端にほのみし雲の色ぞ残れる」(新古今・春下・156)。 ■そなたの 西方極楽浄土の。 ■天のとわたる梶の音 天の川の瀬戸をわたる舟の梶の音。「天のとわたる梶の葉に、思ふ事書く比(ころ)なれや」(巻一「祇王」)。 ■南無西方極楽世界教主… 「南無西方極楽化主阿弥陀仏、本願不誤必垂引接」(『往生講式』)。「引接(いんじょう)」は衆生を極楽浄土に導き入れること。

原文

ーの谷より八島(やしま)へおしわたる夜半(やはん)ばかりの事なれば、舟の中(うち)しづまつて人是(これ)を知らざりけり。その中(なか)に楫取(かんどり)の一人(いちにん)寝ざりけるが、見つけ奉ッて、「あれはいかに、あの御舟(おふね)より、よにうつくしうまします女房(にようぼう)の、ただいま海へいらせ給ひぬるぞや」とよばはりければ、めのとの女房打ちおどろき、そばをさぐれどもおはせざりければ、「あれよあれ」とぞあきれける。人あまたおりて、とりあげ奉らんとしけれども、 さらぬだに春の夜のならひにかすむ物なるに、四方(よも)の村雲(むらくも)うかれきて、かづけどもかづけども、月おぼろにて見えざりけり。ややあッてとりあげたてまつたりけれども、はや此世(このよ)になき人となり給ひぬ。練貫(ねりぬき)の二衣(ふたつぎぬ)に白き袴(はかま)を着(き)給へり。かみも袴もしほたれて、とりあげたれどもかひぞなき。めのとの女房手に手をとりくみ、かほにかほをおしあてて、「などや是(これ)程におぼしめしたつならば、千尋(ちひろ)の底までもひきは具(ぐ)せさせ給はぬぞ。さるにても今一度、もの一言葉(ひとことば)おほせられて聞かせさせ給へ」と、もだえこがれけれども、一言(いちげん)の返事にもおよばず。わづかにかよひつる息も、はやたえはてぬ。

さる程に春の夜の月も雲井(くもゐ)にかたぶき、かすめる空も明けゆけば、名残(なごり)はつきせず思へども、さてしもあるべき事ならねば、うきもやあがり給ふと、故三位殿(こさんみどの)の着背長(きせなが)の一両のこりたりけるにひきまとひ奉り、つひに海にぞ沈めける。めのとの女房、今度はおくれ奉らじと、つづいていらんとしけるを、人々やうやうに取りとどめければ、力およばず。せめてのせんかたなさにや、手づからかみをはさみおろし、故三位殿の御(おん)おとと、中納言律師忠快(ちゆうなごんのりつしちゆうくわい)にそらせ奉り、泣く泣く戒(かい)たもつて、主(しゆう)の後世(ごせ)をぞとぶらひける。昔より男におくるるたぐひおほしといへども、様(さま)をかふるは常のならひ、身を投ぐるまではありがたきためしなり。忠臣は二君(じくん)につかへず、貞女は二夫(じふ)にまみえずとも、かやうの事をや申すべき。

此(この)女房(にようばう)と申すは、頭(とう)の刑部卿憲方(ぎやうぶきやうのりかた)の娘(むすめ)、上西門院(しやうせいもんゐん)の女房(にようばう)、宮中一の美人、名をば小宰相殿(こざいしやうどの)とぞ申しける。此女房十六と申しし安元(あんげん)の春のころ、女院法勝寺(にようゐんほつしようじ)へ花見の御幸(ごかう)ありしに、 通盛(みちもり)の卿(きやう)、其時はいまだ中宮(ちゆうぐう)の亮(すけ)にて供奉(ぐぶ)せられたりけるが、此女房をただ一目みて、あはれと思ひそめけるより、そのおもかげのみ身にひしとたちそひて、忘るるひまもなかりければ、はじめは歌をよみ文(ふみ)をつくし給へども、玉章(たまづさ)のかずのみつもりて、とりいれ給ふ事もなし。すでに三年(みとせ)になりしかば、 通盛の卿いまをかぎりの文を書いて、小宰相殿のもとへつかはす。をりふしとりつたへたる女房にもあはずして、使(つかひ)むなしくかへりけるみちにて、小宰相殿は折(をり)ふし我里より御所へぞ参り給ひける。使むなしうかへり参らん事の本意(ほい)なさに、御車のそばをつッとはしりとほるやうにて、通盛の卿の文を小宰相殿の車の簾(すだれ)の中(うち)へぞ投げいれける。ともの者共(ものども)に問ひ給へば、「知らず」と申す。さて此文(このふみ)をあけて見給へば、通盛の卿の文にてぞありける。車におくべきやうもなし、大路(おほち) にすてんもさすがにて、袴(はかま)の腰にはさみつつ、御所へぞ参り給ひける。さて宮づかへ給ふほどに、所しもこそおほけれ、御前(ごぜん)に文をおとされたり。女院是(これ)を御覧じて、いそぎとらせおはしまし、御衣(ぎよい)の御(おん)たもとにひきかくさせ給ひて、「めづらしき物をこそもとめたれ。此主(このぬし)は誰(だれ)なるらん」とおほせければ、御前の女房たち、よろづの神仏(かみほとけ)にかけて、「知らず」とのみぞ申しあはれける。その中(なか)に小宰相殿はかほうちあかめて、物も申されず。女院も、通盛の卿の申すとは、かねてよりしろしめされたりければ、さて此文をあけて御覧するに、 妓炉(ぎろ)のけぶりのにほひことになつかしく、筆のたてどもよの常ならず、「あまりに人の心強(づよ)きもなかなか今はうれしくて」なんど、こまごまと書いて、おくには一首の歌ぞありける。

我(わが)こひは細谷河(ほそたにがは)のまろ木ばしふみかへされてぬるる袖(そで)かな

現代語訳 語句

■あかで別れし まだ飽きていないのに別れた。もっと一緒にいたいのに別れた。 ■楫取 舟を漕ぐ人。船頭。 ■さらぬだに そうでなくてさえ。 ■うかれきて 浮きただよってきて。 ■かづけども 「潜(かづ)く」は水中にもぐる。 ■練貫 生糸をたてに、練糸(やわらかい絹糸)を横にして織った織物。 ■ニ衣 衵(女子の下着)を二枚重ねたもの。 ■着背長 鎧。 ■忠快 底本「仲快」より改め。以下同。 ■忠君はニ君につかへず、貞女はニ夫にまみえず 「忠君ハニ君ニ事(つか)ヘズ、貞女ハニ夫ヲ更(か)ヘズ」(史記・田単伝)。 ■憲方 底本「教方」より『尊卑分脈』により改め。藤原為隆の子。 ■上西門院 鳥羽天皇第二皇女、後白河院准母。統子内親王。 ■安元 1175-77年。 ■法勝寺 白河法皇創建の寺院。六勝寺の一。京都市左京区岡崎法勝町、京都市立動物園のあたりにあった。九重の塔で知られる。 ■中宮の亮 中宮職の次官。『公卿補任』によると通盛が中宮の亮になったのは治承三年(1179)十月。このときはまだその職にない。 ■玉章 手紙のこと。手紙を運ぶ使者がそのしるしに梓の杖を持ったことから。 ■いまをかぎりの これが最後という。 ■とりつたへたる女房 小宰相の仲間の女房でいつも文を取り持っている者。 ■我里 御所に対して、自邸。 ■さすがにて それもやはり遠慮されて。 ■所しもおほけれ 場所も多いのに、よりによって。 ■女院 上西門院。 ■通盛卿の申す 通盛卿が手紙などで小宰相に言い寄っている。 ■妓炉のけぶり 底本「きろのけふり」より延慶本・正節本により改め。妓女が香炉に焚く香の煙。「濃香(のうこう)芬郁(ふんいく)タリ、妓鑪(きろ)ノ煙 薫(くん)ヲ譲ル」(和漢朗詠集上・紅梅 橘正通)。 ■なつかしく 「なつかし」は、心を引きつける感じであること。魅力的であること。好ましいこと。 ■筆のたてど 「筆の立て処」。筆の使い方。 ■心強き なかなか男になびかないさま。 ■我こひは… 「まろ木橋」は丸木を橋としてかけたもの。「踏み返されて」と「文返されて」をかける。

原文

女院、「これはあはぬをうらみたる文や。あまりに人の心強きもなかなかあたとなる物を」。中比小野小町(なかごろをののこまち)とて、みめかたち世にすぐれ、なさけのみちありがたかりしかば、見る人聞く者肝(きも)たましひをいたましめずといふ事なし。されども心強き名をやとりたりけん、はてには人の思(おもひ)のつもりとて、風をふせぐたよりもなく、雨をもらさぬわざもなし。やどにくもらぬ月星(つきほし)を、涙にうかべ、野べの若菜(わかな)、沢の根芹(ねぜり)をつみてこそ、つゆの命をばすぐしけれ。女院、「是はいかにも返しあるべきぞ」とて、かたじけなくも御硯(おんすずり)召し寄せて、身づから御返事(おんへんじ)あそばされけり。

ただたのめ細谷河のまろ木橋ふみかへしてはおちざらめやは

むねのうちの思(おもひ)は富士(ふじ)のけぶりにあらはれ、袖のうへの涙は清見(きよみ)が関(せき)の波なれや。みめは幸(さいはひ)のはななれば、三位(さんみ)此女房(このにようばう)を給はって、たがひに心ざしあさからず。されば西海の旅の空、舟の中(うち)、波の上の住(すま)ひまでもひき具して、つひに同じみちへぞおもむかれける。

門脇(かどわき)の中納言(ちゆうなごん)は、嫡子越前(ちやくしゑちぜん)の三位、末子業盛(ばつしなりもり)にもおくれ給ひぬ。今たのみ給へる人とては、能登守教経(のとのかみのりつね)、僧には中納言の律師忠快ばかりなり。故三位殿(こさんみどの)のかたみとも此女房をこそ見給ひつるに、それさへかやうになられければ、いとど心ぼそうぞなられける。

現代語訳 語句

■あた 害。 ■中比 昔と今の中間。 ■小野小町 平安時代前期の女流歌人。仁明天皇に仕えた采女と言われるが不明。美人で知られる。同様の話は『十訓抄』ニにある。 ■根芹 芹の異称。 ■ただたのめ… ひたすら頼みにしていればいずれ橋は落ちる=彼女は貴方になびくでしょうの意。 ■むねのうちの思は… 「胸は富士袖は清見が関なれや煙も波も立たぬ日ぞなき」(詞花・恋上 平佑挙)。 ■清見が関 擦駿河国の歌枕。清水市興津清見寺町にあった関所。現清見寺門前に関跡が残る。 ■みめは幸いのはな 女性の容貌が美しいのは幸いを得る原因となるの意。「容(かたち)は幸の花とはかやうのことを申すべき」(平治物語・三)。 ■門脇の中納言 教盛。通盛の父。 ■いとど 底本「いかが」より元和版・正節本「いとど」により改め。

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