秋田蘭画の誕生と平賀源内
秋田蘭画の誕生と平賀源内 平賀源内(1728-1780)ひらが・げんない
平賀源内(1728-1780)ひらが・げんない 享保13年高松藩寒川郡志度浦生まれ。名は国倫、字は子彝。鳩溪、天竺浪人、森羅万象と号した。高松藩で本草方として頼恭に仕え、宝暦2年長崎に遊学してオランダ学芸を修めたが、宝暦4年に退役して江戸に移り、本草学者、戯作者として活躍、蘭学の開拓者でもあった。安永2年秋田藩に招かれて阿仁銅山の検分に赴いた際に、小田野直武に洋画の理論と実技を教え、これが秋田蘭画誕生の契機となった。宋紫石、司馬江感をはじめ、ほかの洋風画家に大きな影響を与えた。安永8年、52歳で死去した。
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