未来を託せる本物のヤゴ博士くんを失った日本トンボ学会の悲しみと喪失感 会員さんが改めてトンボ相論文捏造問題を語る
未来を託せる本物のヤゴ博士くんを失った日本トンボ学会の悲しみと喪失感 会員さんが改めてトンボ相論文捏造問題を語る (抜粋) 「丁寧な採集記録とともに、ヤゴについての興味を持たせる」と評価した。 幼い頃から生き物が好きで、魚やヤゴを捕まえるため、毎日のように近所の目田川に足を運ぶ。「だから、川のどこにどんな生き物がいるか分かっている」と胸を張る。
(抜粋) 「丁寧な採集記録とともに、ヤゴについての興味を持たせる」と評価した。
幼い頃から生き物が好きで、魚やヤゴを捕まえるため、毎日のように近所の目田川に足を運ぶ。「だから、川のどこにどんな生き物がいるか分かっている」と胸を張る。
「生き物の住む場所を守りたい」と四歳から地元NPO法人の活動に参加。河川の清掃などを通して出会った研究者らから、生き物や環境保全について学んできた。
現在も自宅でヤゴを飼育し観察を続ける。「県内にいる約百種類のトンボのヤゴを全部捕まえたい」と意気込む。将来の夢は研究者。「まだ発見されていないことを見つけてみたい」と笑顔で語った。
(訃報) ■『京都新聞』滋賀県守山市の「生きもの博士」13歳で急逝 溢れる好奇心で大人たちも魅了「生きた証残したい」
Yさん: はい。何より写真の解像度が全体的に低すぎますね。例のトンボの写真66番も、キャプションがそもそもおかしいのです。「アキアカネ♀の羽化」となっていますが、あの写真なら、本来は「アキアカネ未成熟♀」以外はありえない。「羽化直後のアキアカネ未成熟♀」でも不可です。66番のほか74番「コシアキトンボ♂羽化」も同様です。
Yさん: 不思議なことに、あの論文には何故かヤゴの生体写真がひとつも出てこないのです。菖蒲池を中心に、あれだけ池の存在をアピールしておきながら、ヤゴの写真がひとつも無いのは不思議としか言えません。
Yさ ん: 幼虫採集はその種が定着している証拠として重要なのです。その写真を示さない、現場も壊してしまったなどは、不手際の骨頂です。
―― 自然が豊富な奥多摩の深い所にしかいないような希少種のトンボが、 いくら森や池があるとはいえ、 都心のど真ん中の赤坂御用地にいるの?と私でさえ不思議に思います。なのにマスコミはそこに触れず、「悠仁さまが東京都23区で絶滅危惧種とされているトンボを次々に発見、撮影に成功」なんて興奮気味に報じるばかりでした。
画像引用元:『YouTube』【悠仁さま】撮影の絶滅危惧種のトンボ 初めて発表した学術論文に掲載 日テレNEWS
◆赤坂御用地内とあっては、誰も意見できないYさん: オツネントンボ(越年蜻蛉)の写真No.19の捏造も話題になりましたが、そういうのをトンボ学会がスルーしたのは、多分そこが赤坂御用地だったからでしょう。
科博の研究者やスタッフがなぜそんなことを!と怒る方もいらっしゃるようですが、 宮内庁に雇われ、 普段から悠仁君の画像を加工する作業をやっている人たちが、あの論文の画像にも関与しているのではないでしょうか。 トンボを愛している人なら、良心を痛めずにあんな安っぽい捏造なんて出来るはずがないですから。
Yさん: だから科博でも、あの論文は企画展をやったりして一般の人に見てもらうようなものではなく、「献上品」くらいの認識なんじゃないかと。科博の紀要として著者名に悠仁君の名が冠された論文が出た、という既成事実を作りさえすれば良かったのではないでしょうか。
◆国は研究者の卵をきちんと育てる努力をメディアに対しても苛立つことが多かったです。 正誤表が出て、こんなに ミスがあったの?と世間も驚いて、それでもまだ立派だ優秀だと悠仁さまを 持ち上げるんです。トンボの専門家に取材してみれば実態がわかるはずなのに、それもせず…。
Yさん: 私も憤りは禁じえません。こんなことでは、日本の科学・学問の衰退は目に見えています。
Yさん: 本物の才能や熱意を持った河村君のような少年少女が、全国にいっぱいいるのです。彼らに対して国はもっと支援してほしい。このままでは「教育廃れて国滅ぶ」が現実のものになってしまいます。
今年、一般会計税収が過去最高の75兆円にもなったと報じられましたが、 防衛費や海外バラまきばかりで 国内の文化、芸術、教育事業への助成金はすっかり後回しに。 科博はクラファンが頼り、東京藝大は練習用のピアノを維持できない。 嘆かわしくてなりません。
Yさん: 資金も会員数も不足しております。そもそも会長さんがトンボ学会の大会で、「絶滅危惧種のトンボが絶滅するより、トンボ学会が絶滅するほうが早いんじゃないか?」とジョークを飛ばす位ですから。
◆悠仁さまの様子にピンとくるものがあった―― ところでYさんは、自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder:ASD)であることをカミングアウトされていらっしゃるのですね。ここから少し、悠仁さまがご自身でおっしゃった「こだわりの強い性格」について、感想などを伺えればと思います。
ただ、 玉川大学農学部の視察映像などで拝見してい た悠仁さまは、引っ込み思案な雰囲気で言葉もハッキリとしなかったのですが、成年会見あたりで人相や人格がまったく違う悠仁さまが現れた、そんな違和感はあります。
Yさん: 逆に朝比奈さんに質問したいのですが、「ベツヒトさま」「ドノヒトさま」などと呼ばれるような事態に至った経緯について、少し説明していただけますか?
Yさん:そうでしたね。ただ、以前の悠仁君が「本物」、最近の “陽キャ” が「偽物」と言えるかどうかはわかりません。ASDは、幼児期〜児童期にその特性が純粋に現れるのです。
―― はい。よろしくお願いいたします。 研究者として生きていくなら自我やこだわりの強さは、むしろ武器になると思います。 ところが、あの論文のページの構成は、責任著者の清拓哉氏が過去に共著として関わった論文のテンプレに非常によく似ています。枠組みが用意されたような論文執筆で、悠仁さまは研究を伸び伸びと楽しむことができたとは思えないのですが…。
Yさん:その通りです。私は幼い頃、色白で華奢、運動がまるで苦手で、静かに本を読んだり、音楽を聴いたり、絵を描いたりすることが好きな子供でした。スケッチブックに絵を描き始めたのは2歳前です。伊豆急の電車の絵を描くことが大好きでした。
―― わぁ…斜めに見える電車の車体の角度、窓の大きさ、それに車体の 色選び が正確、かなり写実的です。幼児期に描く絵でその子の知能指数がわかるという説、まさにそれを思い出しました。
Yさん:当時の私はASD/自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)という発達障害の特性が顕著な子供で、悠仁君の映像を見たとき、真っ先に「当時の自分とどこかで重なる部分がある」と直感したのです。
Yさん: 幼い頃、何かに夢中になり、本当に興味を持てるものが見つかった場合、教育環境が良好であれば、驚異的な集中力で「~博士」とあだ名がつくような存在にはなれると思います。様々な特性と戦っていくだけの環境の良さがあれば…の話ですが。
◆無理をさせるのは禁物ーー 悠仁さまは幼児期に「ご優秀設定」が敷かれ、ご両親の依頼もあったのでしょうが、大人たちが競い合って手を貸してきたように思います。『小笠原諸島を訪ねて』作文もゴーストライター説がありました。でも、 そうしたお節介は煩わしいもの。ASDの特性を持つ子にはどんな影響を与えるのでしょうか。
Yさん: ASD(アスペルガー症候群)でも、「受動型」と呼ばれるタイプの子がいて、何においても表面的には従ってしまうことが多いのは事実です。ただ、そんなことばかりしていたら、自閉傾向の強い子どもは益々萎縮してしまいます。
Yさん: 悠仁君の場合は、周りの大人たちが悪過ぎましたよね。ASDでなくとも一番不幸な育ち方だったと思いますよ。
Yさん: 言えませんでした。小学校高学年から地元の児童を集めた剣道のクラブに入らせられ、いやいや通いました。ASDの特性もあるかと思いますが、防具を付けることが困難に感じ、それだけに全ての時間を費やす事態となってしまいました。
Yさん: 私のトンボ・ヤゴに対する興味についてお話をするなら、野外よりも書籍から興味を持つタイプでした。ただ、当時はヤゴに関してあまり良い資料が見つからず、かなり長い期間離れていたのですが、20年程前、その興味が一周して再び自分のなかに戻ってきたのです。尊敬できる先生と出会ったことで、持てるエネルギーをヤゴに関する論文に注ぐことになりました。
皇室典範がこのままであれば、 悠仁さまは 将来的に天皇になり、晩餐会や閣僚を招いての昼食会などを主導するお立場です。ご公務も含め、騒々しい場所が多いと思います。 悠仁さまがASDという特性をお持ちだとご苦労は多そうですが、それもいずれ年齢が上がれば矯正されていくと思われますか?
Yさん: コミュニケーション能力は、言語的コミュニケーション能力と非言語的コミュニケーション能力の2つに分けられると思います。大谷翔平君はそのどちらも高いですよね。コミュニケーション能力の高さは、大抵この2つを合わせ持つ人ということになるかと思います。
Yさん: こちらの2冊の本が参考になります。特に『自閉症スペクトラム−10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体』では、非障害として自閉症スペクトラム一般のことを指す「AS」と、発達障害としての「ASD」の違いなどが理解できると思います。
◆Yさんが描いた「ヤゴの絵」に惹かれる人たちYさん: はい、こちらはギンヤンマとクロスジギンヤンマの終齢幼虫の背面の画です。
私の研究に「ギンヤンマとクロスジギンヤンマの幼虫の外部形態での見分け方」がありまして、 『トンボ通信』を個人で発行していらっしゃる 日本トンボ学会の重鎮・互井賢二氏が、興味を持ってくださいました。 拙研究を発表するよう勧められまして、その挿絵として描いたものなのです。
その研究は最終的に、トンボの愛好家が集う「 関西トンボ談話会」 が1965年から発行してきた会誌『Gracile(グラキーレ)』にも掲載されました。
―― それは素晴らしいですね! 先ほどの河村優さんについて、中日新聞の『5競技で観察「ヤゴリンピック」 守山の小5河村さん~』という記事にちょっと驚きました。ヤゴの背面をきれいに描いた絵が、Yさんの画風とそっくりなんです。 河村さんは「ヤゴ博士」を目指し、長いことYさんの研究資料から様々なことを学んでおられたのではないでしょうか。
Yさん: 私は2023年の東京大会には参加が叶わなかったのですが、後日、報告書などで河村君のポスター発表が絶賛されていることを知りました。内容を読めば読むほど、大人にはない発想だと思いましたね。
■ 『広報もりやま』 もっと、キミのことを知りたいんだ 水辺の生き物博士 河村優さん
2023年の東京大会を欠席された 悠仁さまですが、ぜひ本物の ヤゴ博士くんの発表に触れ、ご自身について色々なことを考えるきっかけにしていただきたかったです。そういう意味でも、河村優さんという貴重な逸材の早世に改めて胸が締め付けられる思いです。 残念でなりません。
こちらも読まれています! 7件のコメント Yより 2025年11月19日悠仁君本人がブータンでトンボについて何も語らなかった事については彼がASDアスペルガー症候群の特性を有している、という仮説に立てば説明が可能と思われます。 ASDアスペルガー症候群についてDSM−5の診断基準では、自分の楽しみ、興味、達成感を他人と分かち合うことを自発的に求めることの欠如(例:他の人たちに興味のある物を見せたり、それについて語ったりしない)という項目があります。 ASDアスペルガー症候群の、他人への関心の希薄さから解釈可能です。ただ、ご両親が彼にそれを語るように話を振らなかったことは、どう考えても不自然ですね。もしかしたら、悠仁君が「赤坂御用地のトンボ相」の著者として冠されていること自体、知らされていないのではないか?と想像出来ます。 彼に話したらパニックになりかねないことは熟知している為ではないでしょうか?
匿名 2025年11月18日 Yより 2025年11月18日確かにブータンの出来事は変ですよね。悠仁君自身がトンボについて語らなかった事以上に、ご両親のどちらも、トンボの話題に水を向けなかった事があまりにも不自然ですよね。 自分の息子を「トンボの研究者」として、(下世話な言い方ですが)「世に出そうとする」のなら、何を置いても、その話題に持っていくんでしょうけど・・・ **************** (朝比奈より) Yさん、このたびは本当にありがとうございました。お話を十分に聞き取れなかった部分がたくさんあると私も思っております。引き続き、このようにさまざまなお話、お考えを寄せてくださいませ。とても有難いです。よろしくお願いいたします。
Yより 2025年11月18日本当は悠仁君も公立の小中学校に通学させ、ふつうに試験を受けて公立高校へ進学すればよかったんです。 皇族だから、というだけで特別な教育をする意味がどの程度あるんでしょう? お金だって莫大なものになります。 その分、公教育へ投資すればいいんです。 どこの自治体でも現在、教員のなり手が急激に減っています。みんな教員になりたくないんです。何故ならば、本来なら教師のやるべきではない仕事(給食費の徴収や学校行事の案内プリントの製作や配布、等々、事務員の仕事)をやらざるを得ない。それで本来の教科を教えることが奪われてしまう。 この傾向がひどくなればなるだけ、人員を増やそうとすると教員そのものの質が起きてしまう。 皇族の存続と公教育の質の底上げと、どちらを優先すべきか? 答えはもはや歴然としている、と思うのですが・・・
Yより 2025年11月17日ある事柄・対象についてのAIの認知と人間の認知の決定的な違いは、AIの認知には「体験」が無い、ということです。 例を挙げれば「バナナの味わい」について語るとすれば、人はその人自身の体験に基づいて語るのですが、AIはそうして語られた「バナナの味わいについての情報」を圧倒的な範囲を圧倒的な速度で収集して計算することが出来、それを語るわけですね。 絵も「猫を・・・風に描いた絵についての情報」なので、出来上がった絵も、どうしても平均的なものになりますよね。
Yより 2025年11月17日有難うございます。「Y」で御座います。 猫の画集、実はやりたいと思っておりました。機会があれば、と思っております。 私が小学生の頃は、何しろあの絵(伊豆急の電車)でしたから、教師たちから「あの絵は自分が描いたものじゃない、親に手伝ってもらった」と言われ、悲しい思いをしていました。 また、自分が興味のある対象はここまで正確に描くことが出来るのに、カリキュラムの風景画や人物画は全く描けない、という、これもASD特性の為、余計そう思われていたようです。 あの当時ですから、現在のような発達障害は全く知られていない時代でした。