桐ヶ谷歴史庭園(沼浜城跡)| 逗子・沼間にあった源頼朝の父・源義朝の館跡
桐ヶ谷歴史庭園(沼浜城跡)| 逗子・沼間にあった源頼朝の父・源義朝の館跡

桐ヶ谷歴史庭園(沼浜城跡)| 逗子・沼間にあった源頼朝の父・源義朝の館跡

桐ヶ谷歴史庭園きりがやれきしていえんは、平安時代に活躍した武将で、河内源氏第6代棟梁の源義朝みなもとのよしともの館・沼浜城ぬはまじょう跡(沼浜亭跡)と推定される場所にある桐ヶ谷氏私設の庭園です。2022年5月にオープンしました。桐ヶ谷家の先

桐ヶ谷家 の代々の当主は、江戸時代は組頭や年寄をつとめ、明治時代には旧田越村(逗子町、逗子市の前身)の村長をつとめた、地域の名家です。このような歴史ある個人宅が、 源義朝 の館・ 沼浜城跡 という旧跡を今に伝えるとともに、家宝とも言える貴重な品々を常時公開(定休日や不定休あり)しているという例は、少なくとも三浦半島ではとてもめずらしいです。自治体が運営する博物館や史料館などと比べて規模は大きくありませんが、それらにはない旧家の生きた歴史を見聞きできる魅力が、 桐ヶ谷歴史庭園 にはあります。

桐ヶ谷歴史庭園・ローズガーデン「明弘の庭」の桜の頃(撮影日:2023.03.30)

ローズガーデン「明弘の庭」

桐ヶ谷歴史庭園・ローズガーデン「明弘の庭」の所々に配されたベンチ(撮影日:2023.06.13)

丁寧にお手入れされた 桐ヶ谷歴史庭園 のお庭は、初夏と秋に咲く約100本の バラ の他、春には 桜 が咲きほこります。緑豊かな自然に囲まれた庭園には、カワセミなどの野鳥も多く訪れます。この庭園には、かつて、樹齢数百年というケヤキの大木もあったとのことです。「 かわせみの家 」では、そのケヤキの切り株を利用した座卓を見ることができます。

春に桐ヶ谷歴史庭園で見られる花々

春の 桐ヶ谷歴史庭園 では、「 かわせみの家 」の前で ミモザ 、園路沿いで 水仙 、山すそで 桜 などを見られます。

桐ヶ谷歴史庭園・ミモザ(撮影日:2024.03.20) 桐ヶ谷歴史庭園・ローズガーデン「明弘の庭」の水仙(撮影日:2024.03.20) 桐ヶ谷歴史庭園・ローズガーデン「明弘の庭」の桜(撮影日:2023.03.30) 桐ヶ谷歴史庭園・矢の根川沿いの桜(撮影日:2024.04.08)

初夏に桐ヶ谷歴史庭園で見られる花々

初夏の 桐ヶ谷歴史庭園 では、 バラ をはじめ、 あじさい や ハーブ など、さまざまな種類の花を見られます。(写真はほんの一部です)

桐ヶ谷歴史庭園・ローズガーデン「明弘の庭」のバラ(撮影日:2023.06.13) 桐ヶ谷歴史庭園・資料館「かわせみの家」前のバラ(撮影日:2023.06.13) 桐ヶ谷歴史庭園・ローズガーデン「明弘の庭」の白いアジサイ(撮影日:2023.06.13) 桐ヶ谷歴史庭園・資料館「かわせみの家」前の青いアジサイ(撮影日:2023.06.13) 桐ヶ谷歴史庭園・ローズガーデン「明弘の庭」のアガパンサス(撮影日:2023.06.13) 桐ヶ谷歴史庭園・ローズガーデン「明弘の庭」のラベンダー(撮影日:2023.06.13)

秋に桐ヶ谷歴史庭園で見られる花々

秋の 桐ヶ谷歴史庭園 では、 秋バラ を中心に、 コスモス などの花々が見られます。また、「 かわせみの家 」の前では、晩秋に大きな モミジ の木が色づきます。

桐ヶ谷歴史庭園・ローズガーデン「明弘の庭」の秋バラ-1(撮影日:2024.11.22) 桐ヶ谷歴史庭園・ローズガーデン「明弘の庭」の秋バラ-2(撮影日:2024.11.22) 桐ヶ谷歴史庭園・ローズガーデン「明弘の庭」の秋バラ-3(撮影日:2024.11.22) 桐ヶ谷歴史庭園・ローズガーデン「明弘の庭」の秋バラ-4(撮影日:2024.11.22) 桐ヶ谷歴史庭園・コスモス(撮影日:2024.11.22) 桐ヶ谷歴史庭園・モミジ(撮影日:2024.11.22)

資料館「かわせみの家」

桐ヶ谷歴史庭園・資料館「かわせみの家」(撮影日:2023.06.13)

私設資料館「 かわせみの家 」では、 桐ヶ谷家 に伝わるさまざまな品が展示されています。 菊の御紋 の入った漆器やコピーではない 日蓮曼荼羅 などの貴重な品々から、カラーで刷られた江戸時代の日本全国の旅行用地図(天保14年の「 大増補 道中独案内図 」)、明治時代の卒業証書や 小泉元総理 の祖父にあたる 小泉又次郎 氏からの年賀状といったごく個人的な物まで、バラエティに富んでいます。

桐ヶ谷歴史庭園・「天保改正 大増補道中独案内図」(天保14年,板元 丁子屋源次郎)(撮影日:2024.11.22)<許可を得て撮影、掲載しています>

源義朝の館・沼浜城跡

桐ヶ谷歴史庭園前を流れる矢の根川の支流(撮影日:2024.03.20) 桐ヶ谷家の家号「堀の内」が示す武家の館跡

桐ヶ谷歴史庭園 は、 矢の根川 ( 逗子海岸 で相模湾にそそぐ、 田越川 の上流部の別称)と、「 げないぼう 」と呼ばれる谷戸から流れ出る 矢の根川の支流 が合流する場所に位置しています。前面にあたる南側をこれらの川によって囲まれ、背後の北側は山上に 神武寺 のある丘陵がそびえる、天然の要害の地にあります。

桐ヶ谷家 の家号(屋号)は「 堀の内 」と言いますが、これは中世の館跡に多く見られる地名であり、天然の堀に囲まれたこの場所の地理的特徴とも合致しています。土塁とみられる遺構も確認できたと言います。「 堀の内 」の東側には「 武道屋敷 」という漢字を連想させる「 ぶどうやしき 」という地名も伝承されています。「 堀の内 」のすぐ南側で 矢の根川 に架かる橋は「 馬場橋 」と言い、「 矢の根川 」もまた武具を連想させる名前であり、地名も、このあたりに武家の館があったことを今に伝えています。 矢の根川 を挟んで 桐ヶ谷歴史庭園 の反対側に建つ 五霊神社 は、 源義朝の館の鎮守 として創建されたと伝わる古社です。

また、昭和初期に編さんされた「 逗子町誌 」によると、 源義朝の館の裏鬼門 にあたる 台山 に 稲荷社 を勧請されたことが書かれていて、 桐ヶ谷歴史庭園 の南西の方角にある 台山緑地 には、今も 稲荷社 の小さな祠が鎮座しています。なお、 台山 は「 殿藪 」とも呼ばれていたそうです。

台山緑地だいやまりょくちは、JR横須賀線「東逗子駅」近くの、沼間と桜山の境に広がる緑地です。子どもたちが自分の責任で自由に遊べる場所というコンセプトから、「みんなの山」とも名づけられています。ハイキ. miurahantou.jp 桐ヶ谷歴史庭園・矢の根川支流の合流部(撮影日:2024.03.20) 交通の要衝だった田越川流域の沼間

桐ヶ谷歴史庭園 のある 沼間 ぬまま をもう少し俯瞰して見ますと、三浦半島の付け根の、相模湾と東京湾のちょうど中間に位置しています。 田越川 沿いには、 古東海道 (律令時代の畿内から常陸国に至る官道で、相模国と上総国の間は、鎌倉、逗子、葉山から三浦半島を東西に横断して、走水付近より海路で房総半島に渡るというルートだったと考えられています)のルートの一つが走っていたと考えられています。 田越川 流域では、 長柄桜山古墳群 や 池子遺跡 など、古代から人が生活していた痕跡を示す遺跡も多く見つかっていて、ここに幹線が走っていたことを物語っています。相模湾から 田越川 を使った海運が発達していたことも考えられます。 田越川 の上流から山を越えた東京湾側には、 船越 ふなこし (横須賀市 船越町 )という地名が残っていて、舟を担いで山を越え、相模湾側と東京湾側を行き来していたことも想像できます。

長柄桜山古墳群ながえさくらやまこふんぐんは、逗子市と葉山町にまたがる丘陵地にある前方後円墳で、現存する神奈川県内の古墳としては最大級のものです。葉桜住宅の西端近くに第1号墳、蘆花記念公園の裏山にあた. miurahantou.jp 池子遺跡群資料館は池子の森自然公園のスポーツエリアにある、池子遺跡群の発掘調査によって発見された出土遺物を展示・保管している資料館です。池子の森に米軍家族住宅の計画が立てられた際、神奈川県埋. miurahantou.jp

かつての 田越川 は、今よりも内陸に大きく入り江が入り込んでいて、 沼間 のあたりは湿地帯が広がり、海岸線も近かったようです。現在の「 沼間 (ぬまま)」という地名も、 沼浜城 という名前に見られる「 沼浜 (ぬはま/ぬまはま)」という地名がなまったものとみられていますが、まさに、この辺りまで入り江だったことを裏付けるような地名です。

三浦一族らが支えた義朝・頼朝父子それぞれの鎌倉入り

源頼朝 が鎌倉に幕府を開いた理由の一つが、河内源氏第2代棟梁の 源頼義 以来、先祖代々が鎌倉に拠点を置いていたことにあるとされています。 頼朝 の父・ 義朝 もまた、同じように、鎌倉に拠点を置きました。

しかし、 源頼朝 も 義朝 も、簡単に鎌倉を本拠地にできたわけではありません。その背後にいた、 坂東武者 の活躍なくして成し遂げられるものではありませんでした。 源頼朝 の鎌倉入りは、序盤の 石橋山の戦い で敗れるものの、行動をともにした 北条時政・義時 らとともに、房総半島で 三浦一族 と合流し、 上総広常 ら 坂東武者 が 頼朝 のもとに集結していったというストーリーがよく知られています。

あまり大きく語られることはありませんが、この 源頼朝 のサクセス・ストーリーは、父・ 義朝 の実績があったからこそ実現したと言えます。 源義朝 は少年期を房総半島の上総国で育ったとされていて、「 上総御曹司 」という呼び名もあったようです。 義朝 もまた、関東で勢力を拡大するにあたって、先祖代々ゆかりの地である鎌倉を目指すことになります。その足がかりとして、当時、三浦半島を治めていた 三浦一族 の当主・ 三浦義明 の娘を側室に迎えるなど、 三浦一族 との関係を強めていきます。三浦半島は、房総半島と鎌倉の間にあり、鎌倉やその先の南関東を手中に収めるためには重要な場所でした。東京湾を挟んで、自らの勢力基盤であった上総国を背後に持ち、鎌倉に近く、新たに婚姻関係を結んだ 三浦一族 の勢力圏内である 沼間 ( 沼浜 )は、鎌倉入りのために 源義朝 が館を構える土地として、これ以上ない立地でした。

後に、 源頼朝 の 平家討伐 の挙兵に 三浦一族 が全面的に協力したのには、 頼朝 の父の代にこのような背景があったからです。このとき、 義朝 に娘を嫁がせた 三浦義明 は、 衣笠城合戦 で自らの命を犠牲にして、 三浦一族 を 頼朝 の元に向かわせています。

衣笠城きぬがさじょうは、平安時代から鎌倉時代にかけて三浦半島を領地としていた三浦氏の本拠地だった城です。ちょうど、三浦半島の中央に位置しています。現在の久里浜海岸に注ぐ、衣笠城の近くを流れる平作川に. miurahantou.jp

関東の西の端である房総半島から徐々に東へ勢力を拡大していった 源義朝 は、他の南関東の有力な在地豪族も従えるようになると、ついに、鎌倉入りを果たします。なお、当時は 沼浜 ( 沼間 )も「 鎌倉郡 」の一部でしたので、広い意味では、 沼浜 に館を構えた時点で「 鎌倉入り 」を果たしていたとも言えます。

鎌倉幕府創設の陰に源義朝の沼浜城あり

こうして、 源義朝 の本拠地としての 沼浜城 の役割は終わりました。 源氏ゆかりの地 としてクローズアップされることはほとんどない逗子・ 沼間 ですが、鎌倉幕府創設の陰には、 沼浜城 の存在や 源義朝 の躍進は欠かせないものでした。

源義朝公主従供養塔(源義朝の墓・鎌田政家の墓) 源義朝みなもとのよしともは、平安時代後期に活躍した武将で、河内源氏第6代棟梁です。鎌倉幕府初代征夷大将軍となった源頼朝や範頼、義経らは、義朝の子です。義朝は、平治の乱で平清盛率いる平家軍に敗れると、. miurahantou.jp

源義朝 が鎌倉で館を構えた 亀ヶ谷 (現在の鎌倉市 扇ガ谷 )は、鎌倉時代に入り、 北条政子 が 頼朝 の菩提を弔うために 寿福寺 を建立するなど、鎌倉の中でもとくに 源氏 との結びつきが強い土地であったことが知られています。鎌倉時代の歴史書「 吾妻鏡 」によると、 沼浜城 ( 沼浜亭 )も 頼朝 の時代までは残っていたようですが、 頼朝 の死後に解体されて、 寿福寺 に寄付されています。

寿福寺・源実朝と北条政子の墓 寿福寺じゅふくじ(壽福寺)は、源頼朝の死の翌年に、北条政子が頼朝の菩提を弔うために開いた禅宗寺院です。山号になっている「亀谷山」は、寺の背後にある源氏山の別名です。鎌倉五山第三位に列せられ、最盛. miurahantou.jp

源頼朝 が鎌倉幕府を開いてからは、相模湾と東京湾の往来も、より鎌倉に近い 朝夷奈切通 が整備されるなど、 田越川 流域の交通量も相対的に減少していったと考えられます。

源氏ゆかりの地を受け継ぐ桐ヶ谷家

桐ヶ谷家 の先祖も、こうした時代に 沼間 の地に移り住んできたと考えることもできます。

桐ヶ谷歴史庭園 の裏山に残る、 桐ヶ谷家 の先祖の墓と伝わる「 先祖やぐら横穴 」は、中世以前に多く作られた須恵器や土師器類、主に鎌倉時代以降に供養の際に利用された「かわらけ」といった、時代の異なる出土品などから、奈良時代に当地の有力者の墳墓として造られた横穴を、鎌倉時代に再利用されたものと考えられています。やぐら奥の棺室には、五輪塔が安置されています。

桐ヶ谷家先祖やぐら横穴・沼間横穴群 桐ヶ谷家先祖やぐら横穴は、逗子・沼間の堀の内と呼ばれる場所にある、古墳時代から奈良時代の横穴式墳墓です(逗子市指定重要文化財)。横穴内部の発掘調査で発見された、中世以前に多く作られた須恵器や土師器類. miurahantou.jp

桐ヶ谷歴史庭園周辺の見どころ

法勝寺ほうしょうじは逗子・沼間にある日蓮宗の寺院です。鎌倉時代の1295年(永仁3年)ごろ、日蓮聖人の門弟九老僧の一人・日範上人が三浦半島で布教していた際、この地にも立ち寄り、当時、天台宗だった. miurahantou.jp 光照寺こうしょうじは、逗子・沼間にある高野山真言宗の寺院です。創建年など、寺の由緒は不詳ですが、平安時代後期に活躍した武将・源義平みなもとのよしひらの供養のために建てられたと伝えられています。明. miurahantou.jp 海宝院かいほういんは、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて徳川家康の代官頭として活躍した長谷川長綱はせがわ ながつなが旧沼間村(現在の逗子市沼間)に開いた、JR横須賀線・東逗子駅の裏手にある寺院. miurahantou.jp 沼間五霊神社ぬまま ごりょうじんじゃは、平安時代に活躍した武将で、河内源氏第6代棟梁の源義朝みなもとのよしともの館の鎮守として創建されたと伝わる、逗子・沼間の古社です。源義朝は後に鎌倉(現在の寿. miurahantou.jp 神武寺じんむじは、奈良時代の724年(神亀元年)に、聖武天皇の命により行基が開山したと伝わる古刹です。平安時代に入り、857年(天安元年)には、円仁(慈覚大師)によって中興され、法相宗から天台宗. miurahantou.jp こんぴら山は、神武寺境内の西側にそびえる山です。JR東逗子駅方面から表参道を登って行くと、向かって左手に見える丘陵地にあります。こんぴら山やぐら群は、この山の山頂から一段下がった斜面に、神武寺境内の. miurahantou.jp

DATA

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