風姿花伝のわかりやすい解説と世阿弥の生涯|原文内容と現代語訳
風姿花伝のわかりやすい解説と世阿弥の生涯|原文内容と現代語訳

風姿花伝のわかりやすい解説と世阿弥の生涯|原文内容と現代語訳

風姿花伝(ふうしかでん)は室町中期(1400年頃)に成立した能楽書です。全七巻からなり、作者は能役者の世阿弥(ぜあみ)です。その高度な芸能論は現代のアーティスト達にも根強く愛されています。今回はそんな世阿弥の風姿花伝についてご紹介したいと思...

まづ、この花の口伝におきても、ただ珍しきが花ぞと、みな人知るならば、「さては珍しきことあるべし。」と思ひまうけたらん見物衆の前にては、たとひ珍しきことをするとも、見手の心に珍しき感はあるべからず。 見る人のため、花ぞとも知らでこそ、為手の花にはなるべけれ。 されば、見る人は、ただ思ひのほかにおもしろき上手とばかり見て、これは花ぞとも知らぬが、為手の花なり。 さるほどに、人の心に思ひも寄らぬ感を催す手立て、これ花なり。

現代語訳

ところで全てのこと、もろもろの芸道において、その(それぞれの専門の)家々に秘密のことと申しあげるのは、秘密にすることによって大きな効用があるからである。 だから、秘事ということを明らかにすると、大したことでもないものなのだ。 これを、「大したことでもない。」と言う人は、まだ秘事ということの大きな効用を知らないからである。

七歳

原文 一、この芸において、おほかた、七歳をもてはじめとす。 このころの能の稽古、必ず、その者、自然と為出だす事に、得たる風体あるべし。 舞・はたらききの間、音曲、もしくは怒れる事などにてもあれ、ふと為出ださんかかりを、うち任せて、心のままにせさすべし。 さのみに、よき、あしきとは教ふべからず。 あまりにいたく諫むれば、童は気を失ひて、能、ものくさくなりたちぬれば、やがて能は止まるなり。

ただ音曲・はたらき・舞などならではさせすべからず。 さのみの物まねは、たとひすべくとも、教ふまじきなり。 大場などの脇の申楽(さるがく)には立つべからず。 三番・四番の、時分のよからむずるに、得たらん風体をさせすべし。

現代語訳

一、能楽の稽古は、だいたい七歳の時分に始めるのが良い。 この頃の能の稽古というものは、ともかく自然に任せるという事が肝心である。 どんな子でも、それぞれがやりたいようにやらせておくと、その自然に出てくるやり方の中に、必ず個性的な有様が見えてくるものだ。

十二・三より

原文 この年の頃よりは、はや、やうやう声も調子にかかり、能も心づく頃なれば、次第次第に物数(ものかず)をも教ふべし。 まづ童形なれば、なにとしたるも幽玄なり。 声も立つ頃なり。二つのたよりあれば、わろき事は隠れ、よき事はいよいよ花めけり。 おほかた、児(ちご)の申楽(さるがく)に、さのみに細かなる物まねなどはせさすべからず。

当座も似合はず、能も上らぬ相なり。 ただし堪能(かんのう)になりぬれば、何としたるもよかるべし。 児といひ、声といひ、しかも上手ならば、なにかはわろかるべき。

さりながらこの花は、まことの花にあらず。ただ時分の花なり。 さればこの時分の稽古、すべてすべてやすきなり。 さるほどに一期(いちご)の能の定めにはなるまじきなり。

現代語訳 十七・八より

原文 この頃は、またあまりの大事にて、稽古多からず。 まづ声変はりぬれば、第一の花、失せたり。 体も腰高になれば、かかり失せて、過ぎし頃の、声も盛りに、花やかに、やすかりし時分の移りに、手だてはたと変はりぬれば、気を失ふ。 結句(けつく)見物衆(けんぶつしゆ)も、をかしげなるけしき見えぬれば、恥づかしさと申し、かれこれ、ここにて退屈するなり。

総じて調子は声によるといへども、黄鐘(おうしき)・盤渉(ばんしき)をもて用ふべし。 調子にさのみかかれば、身なりに癖出で来るものなり。 また声も、年寄りて損ずる相なり。

現代語訳

この年頃はまた、なんとしても難しい時期で、稽古をしすぎてはいけない。 まず声変わりということがある。 これによって少年期の艶めかしさは失せる。