安倍晋三元総理の祖父、岸信介は何者なのか 中川右介
安倍晋三元総理の祖父、岸信介は何者なのか 中川右介 二男・信介(一八九六~一九八七)は、中学三年の年に父・秀助の実兄で岸家を継いでいた信政の養子となった。
二男・信介(一八九六~一九八七)は、中学三年の年に父・秀助の実兄で岸家を継いでいた信政の養子となった。信政に男子がいなかったためで、娘・良子との結婚を前提とした養子縁組だった。信介は山口中学校(現・山口県立山口高等学校)、旧制第一高等学校を経て、一九一七年(大正六)に東京帝国大学法学部に入学し、二〇年(大正九)に卒業した。二十三歳になる一九年に在学中だったが良子と結婚した。卒業すると官僚になる道を選び、農商務省に入り、二五年に同省が農林省と商工省に分割されると商工省(後、通商産業省を経て、経済産業省)に配属された。
三男・栄作は一九〇一年(明治三十四)に生まれた。信介の五歳下になる。山口中学、旧制第五高等学校(熊本大学の前身のひとつ)を出て、信介と同じ東京帝国大学法学部に入学した。五高時代は池田勇人と同期になった。二四年(大正十三)に東大を卒業すると、兄の信介から農商務省に誘われたが、親戚の松岡洋右の紹介で日本郵船へ就職することにした。ところが会社側の事情で採用取り消しとなり、松岡が次に紹介してくれた鉄道省に入った。二六年に、佐藤本家の娘・寛子と結婚し同家の養子になった。分家に生まれたが、本家の家督を継いだわけだ。信介・栄作兄弟は二人とも従妹と結婚し、養子になり、それぞれの家を継いだのである。
一九四一年十月、岸は東條内閣で商工大臣に就任し、十二月の米英との開戦詔書に大臣として署名した。四二年四月には衆議院議員選挙に山口県第二区から立候補して当選した。この選挙で隣の第一区で当選したのが安倍 寛 ( かん ) (一八九四~一九四六)──安倍晋三の父方の祖父である。
安倍家と岸家安倍家(「二つの血統を引く安倍晋三」)は山口県のいまの 長門 ( ながと ) 市で大庄屋をしていた大地主で、酒と醬油の醸造も営んでいた。地元では名家として知られる。近代になっての安倍家の当主・慎太郎は一八七九年(明治十二)の第一回山口県会議員選挙に立候補し当選したが、八二年に三十二歳で亡くなった。子がなかったため妹のタメが、やはり地方の名門である 椋木 ( むくのき ) 家の 彪助 ( ひょうすけ ) を婿養子に迎え、この夫婦の間に一八九四年(明治二十七)に生まれたのが寛だった。岸信介の二歳上になる。だが寛が幼い頃に両親とも亡くなってしまい、伯母に育てられた。
安倍寛は一九二八年の衆院選に山口一区から立候補したが落選した。 日置 ( へき ) 村長、山口県会議員などを務め、三七年の衆院選で初当選、四二年の衆院選でも当選した。この四二年の衆院選はいわゆる「翼賛選挙」だったが、安部寛は軍閥主義に反対し、大政翼賛会の推薦を受けずに立候補して当選した。すでに大臣となり国家の中枢にいた岸信介とは政治的には対極の立場にいる人だった。
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