岸政彦「他者理解には、必ず『暴力性』が含まれている」
岸政彦「他者理解には、必ず『暴力性』が含まれている」

岸政彦「他者理解には、必ず『暴力性』が含まれている」

──岸先生のエッセイにも、小説にも、社会学者として収集しておられる「匿名の個人の生活史」への眼差しが多く反映されているように感じます。個人の生活史にご興味を持ち始めたのはいつからですか?

岸: もともと『ROCKIN'ON JAPAN』って雑誌、あるじゃないですか、あの副編集長が昔出してた『ポンプ』っていう、薄い、最初から最後まで読者投稿欄だけの雑誌があったんですよ。そこに長文からハガキの小ネタまで、なんでも載ってたんですよね。写真やイラストとかも。匿名の人たちの、なんでもない文章やメッセージがたくさん載ってて、それを読むのが好きだったんだよね。他にもスタッズ・ターケルっていう、オーラルヒストリーだけを並べて分厚い本を書くアメリカの作家がいて、中学生や高校生のときにそういうのを読みながら、こんな本が書きたいなあ、とずっと思っていた。

「ものすごく整ったもの」に対する反発

岸: 街にしても、京都の祇園みたいな情緒があって統一された世界観のある場所より、いま住んでる大阪の住宅地みたいな、世俗的でチェーン店ばっかりの、整ってない土地が好きで。

──先生の小説やエッセイにも、街の描写が多く出て来ますよね。

岸: 大阪から出たくないですね。なんでこんなに大阪が好きなんだろうって、それは多分、故郷じゃないからなんですね。東京と大阪の大学、両方受験で受かったんですけど、大阪に来た時にすごく面白く感じて。大阪って、当時すごくカッコよかったんですよ。ギラギラして、バブルで、派手で。自分で発見した自分だけの街という感じがして、すごく惹かれたんです。地元の進学校で、大阪に来るやつなんて自分だけだったし、なんだかすごく自分が解放された瞬間があって。

──『 断片的なものの社会学 』に書かれていた、初めて水着で海に入ったエピソードですね。

岸: そうです。解放の瞬間をもう一度経験して。だから沖縄もすごく好きで、今だにハマって通いつめてた頃の感覚から変わってなくて、生活の大きなところを占めるようになって。

──解放されたという体感が、場所と紐づいている。

岸: そうですね、そういう認識があったんですね。大阪でも、好きなんだけど、東京とかの出張先から大阪帰ると、めっちゃイライラするんですけどね、歩きタバコむっちゃ多いし、声はでかいし、ほんま大阪人嫌いやわ、と思ったりするんですけどね(笑)。飾ってないところが好きなんですよ。バラバラの建物が、ぐちゃぐちゃに建ってて、世俗的な、統一されてない……。

──断片的ですね。

岸: 人が暮らしてる感じがね。「ものすごく整ったもの」に対する反発、みたいなものがあるんでしょうね。きっと。

「どうやって飯を食うのかを一番に考えろ」

岸: 僕は、「飯を食う」ことを真剣に考えている人がすごい好きで……。リベラルの中に、その辺が甘い人間が多くて腹立つんですよ。自分で泥かぶって飯を食う、っていうことを見下している。

──労働してお金を稼ぐことを、ですか?

岸: ある年代のリベラルな文化人で多いのが、経済成長は要らないんじゃないの、とか、みんなで貧しくなればいいんだ、みたいな。最悪です。それが団塊の世代だったりすると、もう勝ち逃げじゃないですか。やっぱり経済成長は必要だし、そのために反緊縮主義を掲げる財政政策に移行したほうがいい。お金大事ですよ。

──自分の肉体一つでお金もらえるってすごい承認ですよね。快感。

岸: そっちの道に進めとは言えないけど、否定はできない。

──自分へのニーズを感じるって、倫理を吹っ飛ばして嬉しい。

岸: そう、だからね、たとえば上野千鶴子さんが前に言った「みんなで貧乏になろう」という話には全然、当事者性がない。うちも自営業やったし、親戚もたくさんいるんだけど、ほとんど僕だけ大卒で。そういう家系だから、サラリーマンがまずいない。だから、手に職つけて働いて飯食ってるってことが偉い、と言う意識が、僕にもあるんだよね。もちろん、鬱とかで働けない場合は生活保護を貰えばいいわけだし、それは市民として当然の権利やと思うけど、働いて飯食ってるのは美しいと思う。だから、貧困と差別の中で戦ってきた沖縄や在日の人を尊敬しているんです。そのへんで、たまにリベラルの人らと全然話が合わないんです。

──信仰ですか?

岸: そうです、信仰ですね。

──"体を張って生きてる人” の中に、先生ご自身は入っている?

岸: 『 ヤンキーと地元 』の打越正行とかに比べると僕なんかまだまだぬるいですけどね……あいつの調査は素晴らしいです。あんなに美しい調査はないですよ。同じ暴走族のメンバーと10年付き合ってるんだよね。

他者理解には、必ず暴力性が含まれている

岸: ただ、身体性というところから考えてもいつも思うんですが、やっぱり人間ってすっごい分断されてるよねって思う。個人の努力でなんとかなると思っていても、でもやっぱりいろんな種類の「ガラスの天井」にぶち当たることがある。社会って繋がってる状態やん、ってみんないうけど、繋がってないじゃん、って。

──沖縄ってこんなにいいところ!みたいな……。

岸: そうそう。それを崩したくて。植民地主義そのものですからねそれ。沖縄にも分断もあるし、階層格差もあるよ、って言いたくて。でも、ナイチャーである僕が沖縄の分断を暴き立てる、みたいなことしていいのかな、って。それを書くことで沖縄の人びとが傷つくかも、って思って、ぜんぜん書けなくなっちゃって。そんなことを沖縄の友だちに相談すると「考えすぎ」って言われるんですけど、そこで開き直りたくない。階層格差に限らず、ひとの生活史を書くことそものに、恐怖感があります。

──沖縄について書くことは、加害者としての責任感、みたいなものがあるって以前著書の中でおっしゃっていましたね。

岸: そうです。沖縄のことは簡単に外部の人が理解できない。まして日本人(あえて「日本人」と言いますが)の側がジャッジするみたいなことはしちゃいけない。地元のひとのなかにも、基地に積極的に賛成するひとはめったにいないにしても、「条件付き容認派」はたくさんいて、首長選挙でも保守派が勝ったりする。そういう人をどう捉えるか。基地容認派の沖縄の人びとをどう捉えるか。ナイチャーの左派は、そういう人をすぐ批判するんです。そんなの、結局沖縄のひとが主体的に決める問題なんですよ。だから、その結果として基地容認なら、それをナイチャーが簡単に批判してはならない。

──個人の話を聞いていくと、簡単には基地反対と言えなくなってゆきそうです。

岸: 最初は反対って言ってても、知れば知るほどね、なんかこう、オセロがひっくり返ってくわけです。だんだん沖縄の内情を理解してくと「それで飯食ってく人もいるんだ」みたいなね。

──原発問題と一緒ですね。

岸: そう。でも、だからこそ、もう一回ひっくり返さないといけない。賛成とも反対とも安易には言えないけど、でも反対だと言わなきゃいけない。どっちもどっちだとは言えないよね。

──加害者自体も被害者だから、しょうがない。加害者を取り巻く環境やシステムのせいだから、と考えるのは合理化?

岸: そう。そうした合理化をすることで、加害者を理解「してしまう」という恐怖がある。それをやったら責任を問えなくなる、情状酌量してしまうんじゃないかって恐怖感がある。

──それは書き手として?

岸: そうです。原理的に、理解にはそういう問題が常に潜んでいるので、どこまでその恐怖に抵抗しながら、倫理的な判断ができるかって。アクセルとブレーキを踏み込むような感じです。理解できるよ!と、差別はダメ!って、簡単に言い切ることはできないけど、両方せなあかん。両方をどれぐらい保持したままどこまでいけるかということが問われている。

──最悪ですね。

──理解したと思うこと自体が暴力?

岸: そう。他者理解って必ず一般化を含むから。自分の言葉に彼らの言葉を翻訳するわけです。あるいは倫理的判断、それ自体が暴力。だから、いかにそういう営みが暴力かということを徹底的に考えた上で、それでも他者を理解し続けないといけないと思うんですよ。だから、一方で一般化の問題があって、他方で責任解除の問題がある。この中間地点のどこかで、どうしたら他者を書くことができるのかということを悩み続けてます。

世の中は「全体としては」進歩している

岸: 可能性があるとすれば、さっき言ったみたいに、世の中には体張って生きている人間がいて、そういう人らが分かってくれるはずだ、って思いがあるんですよ。

──どういう意味ででしょうか?

岸: 世の中って、「全体としては」進歩し続けている。たとえば性暴力についても、いま、こんなに言われるようになっていますけど、昔は大学の教授が学生に手を出すみたいなの、普通にやってたんだよね。僕が学生のときは、そういうことする有名な教授がいました。でもいまはそういうのも、かなり減ったんじゃないかな。個々の事象についてバックラッシュはあるけど、全体としては、すごくマナーが良くなってるし、犯罪も減ってるし、世の中は進歩してるんですよ。歴史は進んでいる。

──上野千鶴子さんにですか?

岸: そう。大学生の時、当時40代だった上野千鶴子がリレー講義で僕の大学で授業したんですよ。そのときの授業で、彼女はこういうことを言ってました。「ジェンダーの問題でも、その時々にはバックラッシュがあっても、我々の社会は全体としては進歩しているという信念があるからこそ、社会学をやっているんだ」って。まだ学生だった僕は、その言葉に非常に感動しました。

──けど、少しずつ人々の行いによって変えてゆくことはできる?

岸: そういう絶対的な信念がある。僕自身は無宗教ですが、もしも根拠のない信念というものを「信仰」と呼ぶのだとしたら、僕の場合は「世界は『全体としては』良くなっている」、というのが信仰なんだろうなと思います。