一関高専を退職しました
はじめに この度5年勤め上げた一関高専を退職*1しました。本記事ではこの5年間を振り返ります。あとで新たに何か思い出したら追記します。 (このエントリはn (n > 3) 年前の世界で書かれています。もし一関高専在学生/卒業生でしたら、自分のときと比べてみてください。) 1年生 闇 私は制御情報工学科に入社*2しました。実家が遠かったので学生寮での地獄の暮らしが始まりました。 寮生の1年生は3回喉を枯らします。1回目は寮のブロック長の部屋で行われる自己紹介、2回目は応援団幹部のもと行われる応援歌練習(これは寮生だけでなく全1年生)、そして3回目は寮祭もしくはクリスマス会の「芸」です。これらを見…
カースト最下層よろしく、寮内では学校指定のジャージのみが着用を許され、先輩を見かけたら必ず「こんばんは」等の絶叫と共に90度の「拝」*3をするのが日常でした。1年女子はジャージでなくてもよかったみたいです。そうなると先輩と見分けがつかないので、とりあえず彼女らにも絶叫と「拝」をしていました。そして何かあれば連帯責任で罰が下るので、中学から育てていた排他的な精神を更にすくすくと育てることができました。
部活動は電子計算機部を選びました。本格的なプログラミングは初めてで、最初は概念の理解に戸惑いましたが、だんだん難しいアルゴリズムを使ったプログラムの実装ができるようになっていくことがモチベーションとなって、楽しく勉強していました。先輩が出場する高専プロコンに応援としてついていき、そこではじめて関東を超えて九州まで移動しました。そこで食べた本格的な豚骨ラーメンをきっかけに、私はラーメンの食べ歩きが趣味に加わりました。そのせいで中学時代から20kg以上太るのは先の話。
2年生 左:デスク 右:壊された壁カーストが δ (δは任意の正数εより小) 上がり、寮が三人部屋になり、そして色々とバカやれるメンバーで固まって楽しくやってました。ただし誰かに何かあると連帯責任で服装をジャージ限定に戻されるといった感じでした。
2年生まで高校化学 (の基礎の基礎) を曲がりなりにも学ぶわけですが、なんとまあ、ここで人生ではじめて、化学という苦手科目が生まれたわけです。「計算」としてはクソほど簡単なのですが、素のまま覚えなければいけないものが多い (と当時の私は考えていた) ためにまっったく点を取れなかったわけです。自己採点では赤点でしたが、ここで「ky子マジック」*4 が働いたお陰で再履修は免れました。この化学への苦手意識が大学院の研究で足かせになるのはずっと先のお話。
3年生 左:デスク 右:式典帰りの桜道部活ではプロコンの自由部門に応募し、書類審査落ちしました。必ずアイデアを出さなきゃいけないという環境に対し、実は全くアプリ開発の知識と経験がないというある意味矛盾した状態だったので、もし審査に通過したとしたらもっと大きな問題を抱えていたでしょう。また、会津大主催のパソコン甲子園で、競技プログラミングの本戦に出ました。名門高校の選手たちが強すぎてビビりました。他方では、有志のチームで数学甲子園の予選に参加して予選落ちしました。高校数学の図形問題の比率が多かったのに対し、高専生の我々は微積を中心に勉強してきたためそれらを全く解けず、解答はボロボロでした。正直なところ、かなりモチベーションが落ちていました。
この年度は高専プロコンが一関市開催ということで、私もプロコン委員指揮のもと大会運営のお手伝いをさせていただきました。あのときは内部がかなりピリついており (誰のせいだろう) キツかったですが、選手としての能力がないにもかかわらずプロコンへ身近に関われたのは嬉しかったです。
とまあ部活動に関してはカスのようなパフォーマンスで情けなかったのですが、学業と暮らしのほうは順調でした。3年生にもなれば寮内のカーストは「人権保持者」となるため (一部の寮生3年生は1年生の指導や寮運営に関わり始めます)、気持ちが楽でした。寮の仲間にサバゲーに誘っていただいたり、取り立ての自動車免許を携え金沢まで自家用車で旅行へ行ったりと、プライベートに関して大躍進した一年でした。学業の成績も申し分なく、恐らくこの頃から大学への編入を考え始めるようになりました。
4年生4年生になると、学業の殆どは専門科目となり、「高専生」としての教育が本格的にスタートしたように感じられました。ただし成績が良いのとモチベーションがあるのとは全く別の話で、特に情報系からは逃げたい気持ちがかなりありました。
4年生は夏休みの1週間ほどインターンシップを行います。私はそこで某たばこ会社のデカい工場にお世話になり、ライン業務の見学と業務改善に関わるワークショップを行いました。たばこの生産ラインは私の予想をはるかに超える自動化がなされており驚きました。短い期間でしたが、とても楽しかったです。
寮ではこのあたりから一人部屋でした。寮運営の (主に1年生に対する) 体育会系なやり方にウンザリしており、そこから距離をとりつつ、かなり自由な暮らしをしていました。自分が受けてきたことと同じことを繰り返すのか、これ以上続けさせないと思うかは、属するクラスタに依るのでしょうね。
ちなみに、一関高専では4年生まで体育があり、この年度の体力テストでは人生初の「B」判定を頂きました。運動部をガッツリやっていた中学時代からずっとCで、全く運動しなくなり太りちらしたこの体でBにたどり着いたのは、すばやさとスタミナを犠牲に、何故か得られた筋力のお陰です。
5年生 左:デスク 右:八食センターに4人で行ったときの写真5年生は制御コースと情報コースのどちらかを選択して当該科目を履修します。私は制御コースを選びました。理由は2つあって、①プログラミングの自信とモチベーションが潰えた ②情報系の先生へ恐怖を抱いていた というネガティブなものです。制御コースでは現代制御論やロボットの運動学、センサ・アクチュエータを学びました。2年生で学んだ線形代数の知識がここでやっと活きてきた感じです。
おかげさまでその大学には合格 (紙ペラ1枚で) 致しまして、もはや何の気負いもなく卒論提出まで果たし、無事退職*5したというわけです。1年生の頃40人いたクラスは入れ代わり立ち代わりあって30人くらいまで減ってました。
おわりにあれから私は高専時代に志したとおり、脳研究のラボに所属し、そしてなんと博士後期課程への進学を決めております。それに伴い、私の心持ちも「エンジニアリング」から「サイエンス」へと完全に移りました。今は高専で行った「心理学」から「生理学」へとシフトし、脳が関わる「こころの現象」から、より「脳そのものの仕組み」へと研究対象が変わりました。しかしこの領域全体へのモチベーションは変わっていません。んでもって、高専から苦手だった化学 (+生物学) をいま学びなおしている、というところです。