宮内庁に「おれは芸者と結婚してもいいか」? 寛仁殿下、信子さまとご結婚前の“自由”ぶり
宮内庁に「おれは芸者と結婚してもいいか」? 寛仁殿下、信子さまとご結婚前の“自由”ぶり

宮内庁に「おれは芸者と結婚してもいいか」? 寛仁殿下、信子さまとご結婚前の“自由”ぶり

歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

堀江宏樹氏(以下、堀江) 昭和後期の感覚では、現在のアラサーに相当する男女は結婚していて当たり前だったようです。27歳の寛仁親王は、名実ともに独身貴族にして「恋多き男」だったようですが、殿下にとっては幼なじみともいえる麻生信子さんにプロポーズを敢行なさるんですね。いうまでもなく、信子さんは麻生太郎元首相の妹さんにあたる方です。しかし麻生家(麻生太賀吉・和子夫妻)は結婚に猛反対で、断られてしまったのでした。

堀江 作家・工藤美代子さんのご著書『悪童殿下』(幻冬舎)によると、信子さまには「心臓結滞の持病」があったとのこと。殿下のプロポーズが信子さま御本人というより、信子さまのご実家・麻生家のご両親に対して行われているように見えるのは、信子さまが当時、イギリスの花嫁学校に留学なさっていたからのようですね。すでに信子さまからご結婚への「同意」を得ていらっしゃったとは思いますが、ご両親が反対だったのですね

堀江 おそらくゆるやかな説得は続いていたのではないか、と。正式なプロポーズは2回目でOKが出たということになっていますが、1回目と2回目の間には7年間の月日がありました。番組の中で「なぜ結婚していないのか?」とリスナーから質問された殿下が、「これまでに結婚したいと思った女は五人いました」と答えられたのは話題になったそうですが、その5人目こそが信子さまだったのでしょう。

寛仁殿下の好みは「ファニーフェイス」

堀江 殿下いわく「義理の兄(相馬和胤氏)が間に入ってくれて、交渉再開となり」、「障害があるならそれでかまいません。私は、障害者福祉にずっと携わってきた人間で(略)私なら面倒を見ることができる。どうか安心してください」とまでの殿下の言葉に、ついに信子さまのご両親が折れたそうで、「そこまで殿下がおっしゃるなら」とついに認めてくださったそうです(工藤・前掲書)。

堀江 殿下いわく、「僕は面食いじゃないよ」とのこと。「ファニーフェイス」の女性のほうがお好きだそうです。「カミさん(=信子さま)」を選んだのも「個人というより、あのご両親(=麻生太賀吉・和子夫妻)の魅力が大きかった」そうです……。 しかし、殿下が学生時代から贔屓にしていた芸者さんなどもすべてが超美形だとか。

芸者遊びに入れ込み、宮内庁に「芸者と結婚してもいいか」?

堀江 『皇族のひとりごと』という殿下のご著書にも、それはカミングアウトされていますね。ただ、「雇われママ」が多い銀座などにくらべ、芸者さんとのお座敷遊びは “学生割引”(=出世払い?)が効いて案外安くつくのだそうです(笑)。

堀江 殿下は芸者遊びにかなりのお入れ込みで、宮内庁に「おれは芸者と結婚してもいいか」と聞いたことさえあって、宮内庁の方に「声にならない声」を上げさせたことも(寛仁親王『皇族のひとりごと』)。いや~、自由ですね!

成績優秀な兄・麻生太郎と勉強は好きでなかった信子さま

堀江 はい。お母様にあたる麻生和子さんは、吉田茂元首相の三女。吉田茂は元外交官でもありましたし、信子さまの高い英語能力は遺伝といえるかもしれません。

結婚生活は順調だった寛仁殿下と信子さま

堀江 結婚生活は順調だったようです。ご結婚の翌年(昭和56年・1982年)に早くも長女・彬子さまが、その翌年に次女・瑶子さまがご誕生でしたね。

堀江 寛仁殿下は「障害者福祉」という一点に絞って、活動を行っていきたかったご様子ですね。先日のラジオでも、彬子さまはさまざまなご公務のオファーが宮内庁に舞い込んでくることを明かしておられ、その中にはお断りするものもあるとのことでしたが、結婚直後の寛仁殿下は「本当にやりたいこと」と「世間からの要望」の間で苦しむようになり皇籍離脱(=皇族を辞めること)をお考えになったり、悩みが深すぎて10キロくらい痩せてしまわれたこともあったそうです。

堀江 平成19年(2007年)に「ニューヨークタイムズ」誌の取材でお話しになられた言葉ですね。「本当にやりたいことがやりづらいのが皇族の人生」という意味かもしれません。