エピジェネティクス
エピジェネティクスとは、DNA塩基配列を変えずに起こる、細胞分裂後も継承される遺伝子発現や細胞の性質の変化に関する学問分野です。発生・分化、環境適応、がんや遺伝子疾患など、多様な生命現象と深く関連しています。
1. DNAメチル化 DNAの塩基であるシトシンにメチル基が付加される化学修飾です。特に、シトシン(C)とグアニン(G)が隣り合う「CpGサイト」でのメチル化が重要です。プロモーター領域にあるCpGアイランドがメチル化されると、多くの場合はその遺伝子の転写が抑制されます。メチル化パターンは細胞分裂時に正確に娘細胞へ引き継がれるため、細胞の性質を維持する上で重要な役割を果たします。新規のメチル化を確立する酵素や、既存のメチル化を維持する酵素などが知られています。
2. ヒストン修飾 DNAはヒストンというタンパク質に巻き付いてクロマチン構造を作っています。ヒストンのN末端の尾部(ヒストンテール)を中心に、アセチル化、メチル化、リン酸化、ユビキチン化など、様々な化学修飾が付加されます。これらの修飾は、ヒストンとDNAの結合の強さを変えたり、他のタンパク質を引き寄せたりすることで、クロマチン構造を開いたり閉じたり変化させ、遺伝子の転写を促進したり抑制したりします(これをクロマチンリモデリングと呼びます)。多数の修飾の組み合わせが遺伝子発現を複雑に制御するという「ヒストンコード仮説」も提唱されています。
3. 非翻訳性RNAによる制御 タンパク質に翻訳されない様々な種類のRNA(非翻訳性RNA)が、遺伝子の発現調節に関わっています。例えば、小さな二本鎖RNA(siRNA)が特定のmRNAを分解したり、ヘテロクロマチン形成を誘導したりすることで、遺伝子をサイレンシング(働かなくする)するRNA干渉(RNAi)のメカニズムがあります。植物では、siRNAが特定のDNA配列のメチル化を誘導するRNA指令型DNAメチル化(RdDM)も知られています。
生命現象とのかかわり発生・分化: 受精卵からの発生過程で細胞が特定の機能を持つ細胞へと分化する際に、エピジェネティックな制御が中心的な役割を果たします。一度分化した細胞がその性質を維持する「細胞記憶」もエピジェネティクスによるものです。人為的に分化した細胞の性質を初期の状態に戻す「リプログラミング」技術は、人工多能性幹細胞(iPS細胞)の作製に応用されています。 X染色体不活性化: 哺乳類のメス(XX)が、オス(XY)との遺伝子量バランスを取るために、2本のX染色体のうち1本をランダムに不活性化する現象です。これも典型的なエピジェネティック制御であり、不活性化されたX染色体は細胞分裂後もその状態が維持されます。 ゲノムインプリンティング: 親から受け継ぐ遺伝子のうち、父親由来か母親由来かのどちらか一方だけが発現する現象です。配偶子形成過程でのDNAメチル化パターンが受精卵に引き継がれることで起こり、哺乳類の正常な発生に不可欠です。 進化・適応: 環境変化に対応して表現型を変化させる「表現型可塑性」にエピジェネティクスが関わっています。また、特定の条件下では、エピジェネティックな状態が世代を超えて遺伝する「エピジェネティック遺伝」の例も報告されており、進化におけるその役割についても研究が進められています。ただし、これは獲得形質が遺伝するというラマルキズムを直接支持するものではなく、エピジェネティックな機構自体が遺伝子によって制御されていると考えられています。
医学との関連がん: がん細胞では、正常細胞と異なる特徴的なDNAメチル化異常やヒストン修飾異常が多く見られます。例えば、がん抑制遺伝子のプロモーター領域の異常なメチル化による遺伝子サイレンシングは、がん発生の重要な原因の一つです。エピジェネティックな異常を標的とする薬剤は、新たな抗がん剤として開発が進められています。 遺伝子疾患: ゲノムインプリンティングの異常によって引き起こされる疾患(アンジェルマン症候群やプラダー・ウィリー症候群など)や、クロマチン関連タンパク質の異常による疾患(レット症候群など)が知られています。 * その他: アレルギー、肥満、神経疾患など、様々な疾患との関連が研究されており、環境要因がエピジェネティクスを介して疾患リスクに影響を与える可能性も示唆されています。