船をなぜ隻と数えるのか。<br />隻とは何なのか。
船をなぜ隻と数えるのか。<br />隻とは何なのか。

船をなぜ隻と数えるのか。隻とは何なのか。

船をなぜ隻と数えるのか。 隻とは何なのか。 字彙 ニ 曰。舟 ノ 総名 ( ソウメイ ) ヲ 曰 レ 艘 ( ソウ ) ト 。説文 ニ 曰 ク 。船 ノ 数也。捜同徐鉉 ガ 曰。船 ノ 総名 ヲ 云 レ 〓 ト 。広雅 ニ 曰。呉 ニハ 曰 レ 編。李虔通俗 ニ 曰。晋 ニ 曰 レ 舶 ト と見へたり。一艘二艘と云舟の数今用る処なり。又隻と書、日本紀天智天皇七年秋七月、新羅王 輸 (

字彙 ニ 曰。舟 ノ 総名 ( ソウメイ ) ヲ 曰レ 艘 ( ソウ ) ト 。説文 ニ 曰 ク 。船 ノ 数也。捜同徐鉉 ガ 曰。船 ノ 総名 ヲ 云レ〓 ト 。広雅 ニ 曰。呉 ニハ 曰レ編。李虔通俗 ニ 曰。晋 ニ 曰レ舶 ト と見へたり。一艘二艘と云舟の数今用る処なり。又隻と書、日本紀天智天皇七年秋七月、新羅王 輸 ( タテマツル ) ニ 御調船 ( ミツギノフネ ) 一隻 ヲ 一。順和名抄、眉公雑字船隻門有、字注に鳥一牧也。凡物単 ナルヲ 曰レ隻 ト 。武備志、隻又兵船一枝と書り。又 雙 ( ソウ ) と書は両隻也。舟の数には不レ用。古文前集に、漁舟一葉と作れり。和歌に一葉の舟とよめる、小舟一艘と云心なり。或は一帆と云て一般に用、百 柁 ( ダ ) と書て百艘に用、又 翼 ( ヨク ) とかけり。文選に千翼と云、李周翰注に曰。翼は艘也。凡舟の数に隻翼の字を用ることは、船を水鳥に比して浪波に溺しめざらんことを欲する也。

    ※「百柁」は、中国唐代の正史『新唐書』(1060年成立)に、「乃下呉船四百柁輸糧」(四百の吳船に兵糧を積んで送る)と見られる。
  • 歴史的仮名遣いはそのままとし、旧字体は新字体とした。また、適宜句読点を補った。
  • 旧字体のうち、「雙」の新字体は「双」であるが、意味を取るために旧字体のままとした。
  • 【旧字体】總說數搜廣吳晉處雜單雙兩 【新字体】総説数捜広呉晋処雑単双両
『和漢船用集』より「艘隻之事」 (文政10年〈1827年〉版) 【 和漢船用集・艘隻之事 (1761) 】 艘 ( そう ) 隻 ( せき ) 之 事

字彙 ニ 曰。舟 ノ 總名 ( ソウメイ ) ヲ 曰レ 艘 ( ソウ ) ト 。說文 ニ 曰 ク 。船 ノ 數也。搜同徐鉉 ガ 曰。船 ノ 總名 ヲ 云レ〓 ト 。廣雅 ニ 曰。吳 ニハ 曰レ編。李虔通俗 ニ 曰。晉 ニ 曰レ舶 ト と見へたり。一艘二艘と云舟の數今用る處なり。又隻と書、日本紀天智天皇七年秋七月、新羅王 輸 ( タテマツル ) ニ 御調船 ( ミツギノフネ ) 一隻 ヲ 一。順和名抄、眉公雜字船隻門有、字注に鳥一牧也。凡物單 ナルヲ 曰レ隻 ト 。武備志、隻又兵船一枝と書り。又 雙 ( ソウ ) と書は兩隻也。舟の數には不レ用。古文前集に、漁舟一葉と作れり。和歌に一葉の舟とよめる、小舟一艘と云心なり。或は一帆と云て一般に用、百 柁 ( ダ ) と書て百艘に用、又 翼 ( ヨク ) とかけり。文選に千翼と云、李周翰注に曰。翼は艘也。凡舟の數に、隻翼の字を用ることは、船を水鳥に比して浪波に溺しめざらんことを欲する也。

  • 底本は、文政10年〈1827年〉版。
  • 旧字体、歴史的仮名遣いはそのままとし、適宜句読点を補った。
  • 【旧字体】總說數搜廣吳晉處雜單雙兩 【新字体】総説数捜広呉晋処雑単双両
『和漢船用集』より「艘隻之事」

このように、この一文では 艘 ( そう ) が船の総称であることや、船を数える語として使われること、また、隻も船を数える語として使われることを述べつつ、他にも船を数える語として、枝・葉・帆・柁・翼などをあげ、出典などを解説している。

その上で、『 凡 ( およそ ) (全体を通じて・総じて・おしなべて・あらまし)舟の数に』としてまとめに入り、舟の数に隻・翼の字を用いることの理由を『水鳥になぞらえて』としているが、翼は別としても、隻は矢・魚・鳥・動物など種類の違う様々なものの数え方として使われており、隻を船に限って解説する根拠が薄いように思われ、この一文は様々な数え方があるという解説に重きを置いたものと理解すべきとも取れる。今後の研究に待ちたい。

2. 船を翼と数えることがあるのか 前掲の一文に「舟の数に隻翼の字を用ることは」との一節がある。では、船を翼と数えることがあるのだろうか。 この「和漢船用集」では、船を翼と数えることについて『 文選 ( もんぜん ) 』という文献を引き次のように記している。 文選に千翼と云、李周翰注に曰。翼は艘也。 ※引用した「和漢船用集」では「翼は艘也」としているが、後述の「李周翰注」では「千翼、謂舟也」と、「舟」の文字が見られる。

このくだりに出てくる「 文選 ( もんぜん ) 」は、中国の詩文選集で六朝時代の梁の昭明太子の編。中大通2年〈530年〉頃の成立。「 李周翰注 ( りしゆうかんちゅう ) 」は、開元6年〈718年〉に李周翰など5人の学者が共同で執筆した「 五臣注文選 ( ごしんちゅうもんぜん ) 」の中の李周翰によるものという意味で、「文選」に注釈を加えたもの。

ここでは、船を翼と数える他の例と合わせて見てみる。 車駕幸京口三月三日侍遊曲阿後湖作 顔延之 千翼 ( せんよく ) 汎 ( うか ) びて 飛浮 ( ひふ ) す 千にのぼる多くの船が浮かび進んでいる。 【 李周翰注(五臣注文選より) (718) 】 千翼、謂舟也。越絶書、伍子胥水戦兵法内経曰;大翼一艘、広一丈五尺二寸、長十丈;中翼一艘、広一丈三尺五寸、長五丈六尺;小翼一艘、広一丈二尺、長九丈。

※ 古代中国の軍艦の種類に、三翼とも呼ばれた大翼・中翼・小翼があり、中国「百度百科 」によれば、大翼軍艦は船長約 27.6 m、幅約 3.68 m の細長い船体が特徴で、91 人の兵士が乗り、その内 50 人が漕ぎ手で船は飛ぶように進んだという。

【 舟を翼と数える他の例 (300頃) 】 『七命 巻三十五』 張協 爾 ( しか ) して 乃 ( すなわ ) ち三翼に浮かべて 中沚 ( ちゅうし ) に戯る ※「七命」は、中国、西晋の文学者、 張協 ( ちょうきょう ) の作。(没:永嘉1年〈307年〉? ) 3. 船をなぜ翼と数えるのか 前項の通り、船を翼と数える例は中国の漢詩に見られたが、現時点では日本の文献では確認できていない。 (調査中)

漢詩に見られるのは、西暦 307 年に没した張協の「三翼」と、西暦 530 年頃の「文選」という詩文選集の中の「千翼」で、前述のように古代中国には大翼・中翼・小翼と呼ばれるような軍艦があり、これらの形状から鳥の翼に船をたとえたのではないかと推測される。

例えば大翼の場合は、船の両側に大きく張り出した長い櫂にそれぞれ二人の漕ぎ手が付き、まるで鳥が飛ぶかのように川を進んだという。 このような姿から鳥にたとえ、数え方も「翼」とされたのではないかと推測される。 (調査中) 現在、船を数える場合の助数詞に多く使われる「隻」とは何なのか。その成り立ちは何なのか。「隻」について、白川静の編纂による『常用字解[第二版]』(2012) で見てみる。

会意。 隹 ( すい ) と 又 ( ゆう ) とを組み合わせた形。隹は鳥。又は手の形。隻は鳥を手に持つ形から、鳥一羽の意味となる。(略)のち雙(ふたつ)の字が作られて、隻は「ひとつ、ひとり」の意味に用いられるようになった。 ”

※「会意」は、漢字の 六書 ( りくしょ ) の一つで、二つ以上の漢字を意味の上から組み合わせて独立した漢字をつくるもの。六書は象形・指事・会意・形声・転注・仮借の六種。

※ 白川 静(しらかわ しずか、1910年4月9日 - 2006年10月30日)は、日本の漢文学者・東洋学者。古代漢字研究の第一人者として知られ、研究業績に、字書三部作『字統』(1984年)、『字訓』(1987年)、『字通』(1996年)などがある。

このように、 隻 ( せき ) という字は鳥と手の形の文字を組み合わせた漢字で、鳥を手に持つ形から鳥一羽の意味とされ、後に 雙 ( そう ) (双)の字が作られ、隻は対になるものの片方、また、一つのものを数える際にも使われるようになったとされる。

雙 ( そう ) は隹が二つと手の形で作られ二羽の鳥を手で持つことから一つがいの意。そこから対になるものの意として用いられる。 雙 ( そう ) の二つと、 隻 ( せき ) の一つを対比させた詩が『 文選 ( もんぜん ) 』に見られる。 悼亡詩三首 其一 潘岳 如彼翰林鳥 雙棲一朝隻 彼 ( か ) の 林 ( はやし ) に 翰 ( と ) ぶ 鳥 ( とり ) の 双棲 ( そうせい ) するも 一朝 ( いっちょう ) にして 隻 ( せき ) なるが 如 ( ごと ) く あの林に飛ぶ鳥が、つがいであったのに一晩で一羽になってしまったかのように。 ※「悼亡詩」は、「亡き妻を悼む詩」とされる。

隻は成り立ちが鳥であることから、「 斗酒隻鶏 ( としゅせきけい ) 」(一斗の酒、一羽の鶏)[後漢書/橋玄伝]などと鳥にまつわる言葉に使われる。また、 雙 ( そう ) (双)との関係から例えば 対 ( つい ) になった屏風の片方を 一隻 ( いっせき ) と数えるなど、対になっているものの片方を数えるのに用いられる。助数詞としては、「ひとつ」としての意味から船・矢・魚・動物など多くのものに用いられる。

この項では、どのようなものを数える際に「隻」が使われるかを古文書から見てみる。 総合二千人乘船卌七隻 【 唐大和上東征伝 (779) 】 【 観世音寺資財帳 (905) 】 【 和名類聚抄 (931-38) 】 五寸以上鯉鮒之類五十隻 御門四間幌懸鐶十二隻 五分花釘一万八千六百隻 料切釘三十隻〈四隻各長二寸、廿六隻各長一寸五分〉 湯槽、円槽、洗足槽各一隻 蝦鰭槽 ( えびのはたふね ) 二隻 ※ 大嘗祭 ( だいじょうさい ) や 新嘗祭 ( しんじょうさい ) で天皇が手を洗う器。土製(土器)とされる。 《参考》『 蝦鰭槽/海老鰭槽(えびのはたふね)』 [即位礼大嘗祭大典講話]より(国立国会図書館蔵) 金釵五隻 (釵:かんざし) 【 小右記 (978-1032) 】 金銀銅魚符契合卌九隻 【 扶桑略記 (1094後) 】 【 類聚雑要抄 (1146年頃) 】 【 東大寺続要録 (1281-1300頃) 】 【 安東郡専当沙汰文 (1329頃か) 】 【 満済准后日記 (1411-35頃) 】 【 若狭国守護職次第録 (1422頃) 】 【 大明別幅并両国勘合 (1430) 】 【 善隣国宝記 (1470) 】 【 武備志 (1621・中国明代) 】 大小戦船三百七十余隻 【 桜姫曙草紙 (1805) 】 一隻 ( いつせき ) の 犬 ( いぬ ) 【 新編水滸画伝 (1805) 】 一隻 ( いつぴき ) の 大蟲 ( とら ) 一隻 ( いつそく ) の 僧鞋 ( わらぐつ ) 【 三七全伝南柯夢 (1808) 】 仇 ( かたき ) の 一隻 ( かたわれ ) 【 椿説弓張月 (1811) 】 一隻 ( ひとつ ) の 桃 ( もも ) 河豚の価一隻銭拾二文ぐらい 【 南総里見八犬伝/七輯七 (1814-42) 】 白鳩 ( しらはと ) 二隻 ( には ) いと 老 ( ふり ) たる 一隻 ( ひとつ ) の 狸 ( たぬき ) 冤魂 ( ゑんこん ) 一隻 ( いつひき ) の 犬 ( いぬ ) となりて 屨 ( くつ ) 一隻 ( かた/\ ) も 失 ( うしな ) はず 一隻 ( かた/\ ) の 角 ( つの ) をもて 【 百家琦行伝 (1835) 】 【 重修本草綱目啓蒙 (1844) 】 【 習字勧商往来 (1873) 】 沓 ( くつ ) 一隻 ( いっせき ) 【 横浜沿革誌 (1892) 】 「艘」がどのように使われるかを古文書から見てみる。 率二船師一百八十艘一 【 類聚三代格 (成立未詳) 】 下総国太日河四艘〈元二艘、今加二艘〉 【 扶桑略記 (1094後) 】 【 今昔物語 (1120頃成立か) 】 【 古事談 (1212-15頃) 】 湖ニ船一艘儲テ置レタリケレドモ 【 塵袋 (1264-88頃) 】 【 吾妻鏡 (13C末,14C初めか) 】 【 法然上人行状画図 (14C前半頃か) 】 小船一艘ちかづきたる 【 八幡愚童訓 (鎌倉末期か) 】 【 源平盛衰記 (成立未詳) 】 マサノ木積タル船、百三十余艘点定シテ奉ル 大船三艘ハ目ノ前ニ乗沈メケル 【 太平記 (1368-75か) 】 兵船七千五百余艘ヲ漕双て 【 薩戒記 (1418-43) 】 【 武備志 (1621・中国明代) 】 船一䑸 ※ 武備志では、一箇所のみ「䑸」が使われている。 【 北条五代記 (寛永後期か) 】 或時は小船一艘二艘にてぬすみに来て、浜辺の里をさはがし、或時は五十艘三十艘渡海し 【 慶安三年木曽路記 (1650) 】 佐渡川、墨股より一里あり、舟渡なり、墨股同前に舟橋かヽるなり、四百余艘にて掛るなり 【 朝鮮征伐記 (1659か) 】 ふね十余艘にとりのり 【 伊豆七島調書 (1753) 】 一廻船二艘、漁船四艘御座候 一廻船拾三艘、漁船四十艘御座候 【 美濃明細記 (1738) 】 元来鵜舟十二艘アリ、今七艘トナル 【 半日閑話 (1768-1822) 】 【 倭訓栞 (1777-1877) 】 ふなばし 舟をもて橋とする也、越中富山より加賀に行道に、七十六艘もて掛たる橋あり 【 東遊記後編 (1795-97) 】 小船一艘を買切漕出す 壱ケ処にて釣溜〈鰹の獲船を釣りためといふ〉十五艘或は廿艘ばかりづゝも出づる、中にもあまつは二百艘も出づるよし、凡一艘にて鰹千五百本二千本位づゝ 【 兵法一家言 (1833) 】 自走火船ヲ製スルニ必用ノ物タリ、五艘一連、七艘一連ハ費多キヲ以テ、二艘力三艘ヲ一連トシテ操練スベシ 【 吉川家譜 (1850頃) 】 【 続地震雑纂 (1854/安政南海地震時) 】 八百石以上の船十三艘 【 横浜沿革誌 (1892) 】 7.《参考》日本書紀の時代、「隻」「艘」は何と読まれていたのか 養老4年〈720年〉[ ] に成立した『 日本書紀 ( にほんしょき ) 』に、「船」の数え方として「隻」「艘」が見られる。では、これらは何と読まれていたのか。 『日本書紀』には読み方は記されていないが、鎌倉時代末期に表されたとされる日本書紀の注釈書『 釈日本紀 ( しゃくにほんぎ ) 』では振り仮名が振られている部分がある。 舩 ( フ子 ) 一 十 ( ト ) 隻 ( フナ ) 舩 ( フ子 ) 二隻 ( ハタフサ ) 舩 ( フ子 ) 卌隻 ( ヨソフサ ) 飾舩 ( カサリフ子 ) 卅艘 ( ミソフ子 )
  • 底本:釈日本紀 巻第十八 〔国書データベース 〕
  • 引用文中、「子」の字は、カタカナの「ネ」のこと。
8.《参考》鮭などを一尺二尺と数えることについて

鮭などの魚を一尺(せき・しゃく)、一隻(せき・しゃく)と数えることがある。このことについて、江戸時代後期に書かれた『 貞丈雑記 ( ていじょうざっき ) 』に一文がある。『 貞丈雑記 ( ていじょうざっき ) 』は、江戸時代中期の旗本(幕臣)・伊勢流有職故実研究家、 伊勢貞丈 ( いせさだたけ ) (享保2年12月28日〈1718年1月29日〉- 天明4年5月28日〈1784年7月15日〉)が、子孫への古書案内、故実研究の参考書として、宝暦13年〈1763年〉から亡くなるまでの22年間にわたり、武家の有職に関する事項を36部門に分けて記したもの。伊勢貞友、岡田光大らが校訂して天保14年〈1843年〉に刊行された有職故実書。

『貞丈雑記』の一文を見てみる。
  • 底本:古事類苑 P1572 動物部十八 魚下 〔国立国会図書館蔵 〕
  • 新字体、現代仮名遣いとし、送り仮名の追加、及び適宜句読点を補うなどした。

一 鮭にかぎりて一尺二尺と云にあらず、大草殿相傳聞書に、鱈一志やくとあり、一尺二尺と云いはれつまびらかならず、一尺以上の魚の大なるをば、一尺二尺といふ歟、 一 又云、鮭を一尺二尺といふは、一 隻 ( シヤク ) の音をかりて云なるべしと云説あり、隻の字は、かた〳〵とよむ字にて、一隻といふは一ツの事也、鮭にかぎりて、一隻といふわけもなし、何にても一ツの事をば、一隻といふべき事なれば、此説も用がたし、按ずるに、前にも記す如く、大草流の書には、鱈をも一尺といへり、鮭も鱈も奧州より出る魚也、かの國の詞にて、すべて魚を一尺二尺といひ習はして、鮭鱈を他國へ送にも一尺二尺といひてつかはしたる故、他國にても其詞をうけて、一尺二尺といひ習はしたるなるべし、本は昔奧州の國詞より出し事なるべし、 ○按ズルニ、鮭條引ク所ノ宇治拾遺物語ニ旣ニ鮭一二尺ノ文アリ、

一 鮭にかぎりて一尺二尺と云うにあらず、大草殿相伝聞書に鱈一しゃくとあり。一尺二尺と云ういわれ、つまびらかならず。一尺以上の魚の大なるをば一尺二尺という歟。

一 又云う、鮭を一尺二尺というは、一 隻 ( しゃく ) の音をかりて云うなるべしと云う説あり。隻の字は、かた/\とよむ字にて、一隻というは一ツの事なり。鮭にかぎりて一隻というわけもなし。何にても一つの事をば一隻というべき事なれば、此の説も用いがたし。按ずるに、前にも記す如く、大草流の書には鱈をも一尺といえり。鮭も鱈も奥州より出る魚なり。かの国の詞にてすべて魚を一尺二尺といい習わして、鮭鱈を他国へ送るにも、一尺二尺といいてつかわしたる故。他国にても其の詞をうけて一尺二尺といい習わしたるなるべし。本は昔奥州の国詞より出でし事なるべし、