塩留めの太刀
塩留めの太刀

塩留めの太刀

塩留めの太刀(しおどめのたち) 太刀 銘 弘□ 刃長82.7cm、反り3.6cm 重要文化財 東京国立博物館所蔵(渡辺義介氏寄贈) 銘の「弘」については他に例がなく不明。 上杉家では来国行の作としていたが、刃長二尺七寸三分、小板目肌に映りが鮮やかに現れ、直刃に丁字混じりという作風から現在

信玄国不浜海。仰塩於東海。 (信玄の国=甲斐は海に面しておらず東海より塩を買い入れていた) 氏真与北條氏康謀。陰閉其塩。 (氏真は氏康と謀り、塩を他国に出すのを禁じた) 甲斐大困。謙信聞之。寄書信玄曰。 (甲斐は大変困窮した。謙信がこれを聞きつけ信玄に書を送った) 聞氏康氏真困君以塩。不勇不義。 (曰く「聞くところによれば氏康と氏真が塩により貴公を困らせているという。これは勇も義も欠いたものである) 我与公爭、所爭在弓箭、不在米塩。 (我々と貴公は争ってはいるがそれは弓箭のことであって米塩ではない) 請自今以往。取塩於我国。多寡唯命。 (よって今後は我が国の塩を送るが量の多寡は貴公の言いつけ次第である」) 乃命賈人平價値給之。 (そして商人に命じて値段を高くせず供給した)

塩ハ能登塩ニシテ糸魚川ヨリ仁科ノ山ヲ越エテ信濃国松本迄送付セリ時ニ永禄十二年正月十一日ナリ紀元二千二百二十九年ニシテ今ヲ去ル事三百四十一年前ナリ (飴市ニ付生徒ヘ談話ノ要領) 「大日本 人名 辞書」を引用して 上杉謙信 が甲州に対して塩を平常価格で販売させたという。その塩が松本に到着したのが永禄12年(1569年)だと伝え、また生徒にも指導していたのである。
  • つまり実態は塩を贈ったのではなく、塩の平常価格での販売を許可したということになると思われる。しかしいずれにしろ信州領内では助かったのは事実で、実際にそれを起源とする「松本あめ市」が令和の現在まで続けられている。

三十五腰(26口+推定9口)のうち、武田家との関わりが明確なものとしては本刀しかない。なぜ上杉家が(一般には塩留めの太刀と伝わる)本刀を三十五腰に選んだのかは現在となっては不明だが、上杉家にとってそれだけの価値や意味が本刀にはあったのだということだけは確実に言える。 例えば同じ外交関係での刀といえば、「 徳用守家 」もある。江戸期に幕府(徳川家)から何度か返却要請があったようだが上杉家では秘蔵し続けた。しかし三十五腰に 徳用守家 は入っていない。

渡辺義介(わたなべ ぎすけ)渡辺義介は経営者。日本製鐵・八幡製鐵(現・新日鐵住金)社長。
  • 昭和27年(1952年)7月19日 重要文化財 指定。渡辺義介氏蔵。
  • 昭和30年(1955年)、渡辺義介氏から 東京国立博物館 に寄贈され、現在に至る。
    • e国宝 - 太刀 銘弘 附黒漆打刀
    • 国指定文化財等データベース

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