『平家物語』巻第九より <br />宇治川の先陣
『平家物語』巻第九より <br />宇治川の先陣

『平家物語』巻第九より 宇治川の先陣

『平家物語』 「宇治川の先陣」 の現代語訳と解説。「ころは睦月二十日あまりのことなれば、〜敵も味方もこれを聞いて、一度にどつとぞ笑ひける。」まで

とて、 丹 ( たん ) の党をむねとして、五百余騎ひしひしと 轡 ( くつばみ ) を並ぶるところに、平等院の 丑寅 ( うしとら ) 、橘の小島が崎より、武者二騎ひつ駆けひつ駆け出で来たり。一騎は 梶原 ( かぢはら ) 源太 ( げんだ ) 景季 ( かげすゑ ) 、一騎は佐々木四郎 高綱 ( たかつな ) なり。人目には 何 ( なに ) とも見えざりけれども、 内々 ( ないない ) は先に心をかけたりければ、梶原は佐々木に 一段 ( いつたん ) ばかりぞ進んだる。佐々木四郎、

「この川は 西国 ( さいこく ) 一の 大河 ( だいが ) ぞや。 腹帯 ( はるび ) の伸びて見えさうは。締めたまへ。」

と言はれて、梶原さもあるらむとや思ひけむ、左右の 鐙 ( あぶみ ) を踏みすかし、 手綱 ( たづな ) を馬の 結髪 ( ゆがみ ) に捨て、腹帯を解いてぞ締めたりける。その間に佐々木はつつと 馳 ( は ) せ抜いて、川へざつとぞうち入れたる。梶原、たばかられぬとや思ひけむ、やがて続いてうち入れたり。

「いかに佐々木殿、 高名 ( かうみやう ) せうどて不覚したまふな。水の底には大綱あるらむ。」

と言ひければ、佐々木太刀を抜き、馬の足にかかりける大綱どもをば、ふつふつと打ち切り打ち切り、 生食 ( いけずき ) といふ 世一 ( よいち ) の馬には乗つたりけり、宇治川速しといへども、 一文字 ( いちもんじ ) にざつと渡いて、向かへの岸にうち上がる。 梶原が乗つたりける 摺墨 ( するすみ ) は、川中より 篦撓 ( のた ) め形に押しなされて、はるかの 下 ( しも ) よりうち上げたり。佐々木、鐙踏んばり立ち上がり、 大音声 ( だいおんじやう ) をあげて名のりけるは、

「宇多天皇より九代の 後胤 ( こういん ) 、佐々木三郎 秀義 ( ひでよし ) が 四男 ( しなん ) 、佐々木四郎高綱、宇治川の先陣ぞや。われと思はん人々は高綱に組めや。」

畠山、五百余騎で、やがて渡す。向かへの岸より山田次郎が放つ矢に、畠山、馬の額を 篦深 ( のぶか ) に射させて、弱れば、川中より 弓杖 ( ゆんづゑ ) を突いて降り立つたり。岩浪、 甲 ( かぶと ) の手先へざつと押し上げけれども、ことともせず、水の底をくぐつて、向かへの岸へぞ着きにける。上がらむとすれば、後ろに物こそむずと控へたれ。

大串次郎は畠山には 烏帽子子 ( えぼしご ) にてぞありける。

「 武蔵 ( むさし ) の国の住人、大串次郎重親、宇治川の先陣ぞや」

とぞ名のつたる。 敵 ( かたき ) も味方もこれを聞いて、一度にどつとぞ笑ひける 。

現代語訳

『平家物語』 「宇治川の先陣」 の現代語訳と解説。「ころは睦月二十日あまりのことなれば、〜敵も味方もこれを聞いて、一度にどつとぞ笑ひける。」まで

ときは(旧暦)1月20日過ぎ (※暦上は1月から春) のことなので、比良の高嶺や志賀の山 (※現在の滋賀県南西部の山々) の古雪も消え、谷々の氷も溶けて、(宇治川の)水は今ちょうど水かさを増していて、白波が激しくたって流れ落ち、川の瀬の波の盛り上がりも大きく滝のような音を立て、逆巻く水の勢いも速かった。夜はもうほのぼのと空けてくゆくが、川霧が深く立ちこめて、馬の毛(の色)も鎧の緒(の色)もはっきり見えない。

「どうしようか、淀か、 一口 ( いもあらい ) (※いずれも京都の地名) へ回った方がよいか、あるいは水の減りぎわを待った方がよいか。」

といって、丹の党 (※武蔵国の武士団) を主力として、500騎あまりがびっしりとくつわを並べるところに、平等院の北東、橘の小島が崎から、武者2騎が馬を駆り立てて出てきた。1騎は梶原源太景季、もう1騎は佐々木四郎高綱だ。人目にはなんとも見えないけれど、内心は前へと心がはやっていたので、梶原は佐々木に1 段 ( たん ) (※距離の単位。約11メートル。) ほど前に出ていた。佐々木四郎が、

「この川は西国一の大河だぞ。腹帯 (※鞍を馬の腹に括り付ける帯) がゆるんで見えますな。お締めなさい。」

と言うので、佐々木は太刀を抜き、馬の足に引っかかった大綱をぷつりぷつりと切っては切り、 生食 ( いけずき ) という当代一の馬に乗っていたし、宇治川の流れが速いとは言っても、一直線にざっと渡って、向こう岸へ乗り上がる。 梶原が乗っていた馬・摺墨は川の半ばから矢を曲げたような形に押し流されて、はるか下流から乗り上がった。佐々木が、鐙を踏ん張って立ち上がり、大声をあげて名乗ったことには、

大串次郎は、畠山にとっては 烏帽子子 ( えぼしご ) (※元服のときに親役を務め、冠を被せてあげた子) であった。(大串は)

平家物語 ( へいけものがたり )

作者は不詳。『徒然草』には 信濃前司行長 ( しなののぜんじ ゆきなが ) という人物の作という話があるが、確定には至っていない。 鎌倉時代前半、1230年前後の成立と考えられている。

滅び行く平家一門の運命を描く軍記物語。無常観を主題としている。 琵琶法師によって琵琶を弾きながら語られた。