麻氐良布神社 奥宮(朝倉市杷木志波)
麻氐良布神社 奥宮(朝倉市杷木志波)

麻氐良布神社 奥宮(朝倉市杷木志波)

麻氐良布神社 奥宮(まてらふじんじゃ おくのみや)は 麻氐良山の山頂に鎮座します この山は『日本書紀』斉明天皇の条にある゛朝倉山゛とされ 『日本三代実録』元慶元年(八七七)九月廿五日の条に゛眞天良布神゛と記される古社で 『延喜式神名帳927 AD.』所載 筑前国 上座郡 麻氐良布神社(まてらふの かみのやしろ)です

笹尾・政所 ~由緒ある麻氐良布神社と神霊的遷座祭~

平安時代に廷喜式神名帳という本が出来た。その中に,「上座郡 麻氐良布神社 小一座」と記載されている。時代は下がって、打ち続く戦乱時代に、社地は没収され、社殿も荒廃を極めたが、慶長5年 1600年 に栗山備後利安が祭田を寄進し、続いて鎌田昌生が郡主となった元禄年間 1688~1703年 に本殿、拝殿を建てたとある。その後、明治、大正、昭和と代わるにつれ、人里離れた山頂にあるため、荒れるに任せ、辛うじて3月15日の祭礼だけが続けられていた。平成10年に、社殿の屋根が相当傷んていたので神殿を銅板に拝殿を瓦にふき替えている。その時、不思議な出来事が起きている、同年4月21日、御神体を宝満宮にお移しする時、当日は、曇リ空で小雨がパラつく程度てあったが、御神体を運び出そうとした時、山鳴りがしたり、同年8月27日、御神体を宝満宮からお移しし、祠にお収めした時、「ボーン、ボーン」と云う誠に気持ちのよい明るい音を聞き、参列者は、神様も安堵されたのかなと感じ入った次第である。 平成19年3月 志波地域コミュニティ協議会 現地案内板より

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神社の 境内 (Precincts of the shrine)】 十九座神社 筑前国 式内社 19座 祀る

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向かって右から

弥永 一座〈 於保奈牟智神社 一座〉 美奈宜 三座〈 美奈宜神社 三座(並名神大)

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筑紫 一座〈 筑紫神社 一座 (名神大) 志賀 三座〈 志加海神社 三座(並名神大)

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寶満宮 一座〈 竃門神社 一座 (貞・名神大) 織幡 一座〈 織幡神社 一座 (名神大)

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宗像 三座〈 宗像神社 三座(並名神大) 志登 一座〈 志登神社 一座

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住吉 三座〈 住吉神社 三座(並名神大) 筥崎 一座〈 八幡大菩薩筥埼宮 一座 (名神大)

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神社の 境外 (Outside the shrine grounds)】

麻氐良 山の山裾に鎮座

・麻氐良布神社 下宮(朝倉市杷木志波)

麻氐良布神社 下宮(朝倉市杷木志波)

麻氐良布神社 下宮(まてらふじんじゃ しものみや)は 『日本書紀』斉明天皇の条にある゛朝倉の社゛とされ 『日本三代実録』元慶元年(八七七)九月廿五日の条には゛眞天良布神゛と記され 『延喜式神名帳927 AD.』所載 筑前国 上座郡 麻氐良布神社(まてらふの かみのやしろ)の里宮です

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

麻氐良布神は 眞天良布神 と表記され 神階の奉授が記されています

卅二 元慶元年(八七七)九月廿五日 癸亥 〉の条

廿五日癸亥

くに 筑前國 從五位下 眞天良布神 從五位上。 正六位上 高磯比 從五位下 を。

中臣斎部兩氏人 五畿七道諸國 、班幣 境内 天神地祇三千一百卅四神 。縁 より 大嘗會 也。

卅六 元慶三年(八七九)九月廿七日 甲寅 〉の条

○廿七日甲寅

くに 土佐國 正五位下 並山神 正五位上。從五位下 大谷神 從五位上。正六位 上宇賀神 從五位下。

筑前國 從五位下 眞天良布神 從五位上

卅七 元慶四年(八八〇)六月三日 乙酉 〉の条

○六月癸未朔三日乙酉

くに 筑前國 從五位上 眞天良夫神 (マテラソフカミ)に 正五位上

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳 E ngishiki J immeicho) ( 927年 12月編纂)に所載 (E ngishiki J immeicho This record was completed in December 927 AD.

延喜式 E ngishiki) 律令の施行細則 全50巻 』〈 平安時代中期 朝廷 編纂 その中でも 9 10を 『延喜式神名帳 E ngishiki J immeicho) といい 当時 927年 12月編纂 「官社」に指定された 全国の 神社 式内社 の一覧 となっています

「官社( 式内社 )」 名称 「2861 ・「 鎮座する天神地祇 」数 「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district) (神様の鎮座数) 西海道 107座…大38・小69

[旧 国 名 ](old county name) (神様の鎮座数) 筑前国 19座(大16座・小3座)

[旧 郡 名 ](old region name) (神様の鎮座数) 上座郡 1座(小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 麻氐良布神社 [ふ り が な ] (まてらふの かみのやしろ) [Old Shrine name] Materafu no kamino yashiro)

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】 Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような 予備知識 をオタク視点でご紹介します

『日本書紀(Nihon Shoki)〈養老4年(720)編纂〉 斉明天皇 の段に記される゛ 朝倉社 ゛についての 伝承

ある説に 朝倉山 麻底良山であり 朝倉社 とは 現 麻氐良布神社 とする説があります

巻第26 斉明天皇 の段 即位7年 (661年)の条

4 百済の福信(フクシン) 鬼室福信 が使者を派遣して表(フミ)を献上して その王子の糺解(クゲ)を迎えたいと乞いました 道顯(ドウケン)の日本世記(ニホンセイキ)によると 百済の福信は書を献上して その君主の糺解(クゲ)を東朝(ミカド) 大和朝廷 に祈ったといいます

ある本によると 4 月に 天皇は朝倉宮 〈現 福岡県朝倉郡朝倉町山田の付近とされる に移って居たといいます

即位 7 (661年) 5 9 天皇は朝倉橘広庭宮(アサクラノタチバナノヒロニワノミヤ)に移って居ました この時に朝倉社(アサクラノヤシロ) 〈現 麻氐良布神社(朝倉市杷木志波)〉 の木を切り除いて この宮を作ったために 神が怒って 殿(オオトノ)を壊しました また宮の中に鬼火(オニビ) 〈火の玉〉 が見られました それで大舎人(トネリ)と諸々の近くに仕える者が病気になって死ぬ者が多くいました

5 23 耽羅(タムラ) 済州島 が初めて 王子の阿波伎(アハギ)などを派遣して貢(ミツキ)を献上しました 伊吉連博徳(イキノムラジハカトコ)の書によると 辛酉年( 661 年) 1 25 帰って越州に到着しました

4月1日 越州から道を登って 東に帰りました

4月7日 檉岸山(テイガンサン)の南に到着しました

4月8日 鶏の鳴く頃 西南の風に従い 船を大海へと放ちました 海の中の道に迷い 漂流し辛苦しました 9 日と 8 夜経って やっと耽羅嶋 済州島 に到着した すぐに嶋人の王子の阿波伎(アハギ)たち 9 人を招き慰労し 同じく客人の船に乗せて 帝朝(ミカド)に献上しようとしました

5月23日 朝倉 (アサクラ) の朝(ミカド)に献上しました 耽羅(タムラ) 済州島 が朝廷に入るのはこの時から始まりました また 智興(チコウ)が傔人(トモビト)の東漢草直足嶋(ヤマトノアヤノカヤノアタイタリシマ)の讒言( ザンゲン )によって使者たちは 天皇の寵愛を受けられなかった 使者たちの恨みは 上天(アメ)の神に通り 足嶋(タリシマ)を震死 雷に打たれ死ぬ させた その時代の人は言いました 「大倭(ヤマト)の天の報復は近い 早い 〉ことだ

6 伊勢王(イセノオオキミ)が亡くなりました

7 24 天皇は 朝倉宮(アサクラノミヤ)で崩御しました

8 1 皇太子は 天皇の喪(ミモ)を行い 帰って 磐瀬宮(イワセノミヤ)に到着しました この夕に朝倉山の上に鬼が有り 大笠(オオカサ)を着ていて 喪の儀式を臨み見ていました 衆人は皆 奇怪に思いました

冬10月7日 天皇の喪(モ)を帰そうと海に就航しました すると皇太子はある所に停泊して 天皇の死を悲しみ偲びました そして口ずさみました 君(キミ)が目の 恋(コオ)しきからに 泊てて居て かくや恋(コ)ひむも 君が目を欲(ホ)り

あなたの目の恋しいばつかりに ここに船泊りしていて これほど恋しさに堪えないのも あなたの目を一目見たいばかりなのです

10月23日 天皇の喪(遺骸)は 帰って難波 (なにわ) に泊まりました

11月7日 天皇の喪(ミモ)を飛鳥の川原で殯(モガリ)した これから 9 日まで発哀( ミネ )を行いました

日本世記(ニホンセイキ)によると 11 月に福信(フクシン) 鬼室福信 が得た唐人の続守言(ゾクシュゲン)たちが筑紫に到着したと言います ある本によると辛酉年( 661 年)に百済の佐平 百済の役人 の福信が 献上した唐人の虜囚 106 近江国の墾田(ハリタ)に居らせたといい 庚申年( 660 年)に既に福信は 唐の虜囚を献上したと言っている それで今 注釈を書いた 何れかに 決めなさい

国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用

『日本書紀(Nihon Shoki)〈養老4年(720)編纂〉 斉明天皇 の段゛ 朝倉社(アサクラノヤシロ) ゛を式内社〈 土佐国 土佐郡 朝倉神社(あさくらの かみのやしろ) 〉だとする説あり

朝倉神社 (高知市朝倉)

朝倉神社(高知市朝倉)〈『延喜式』朝倉神社〉

朝倉神社(あさくらじんじゃ)は 神社後方の赤鬼山を神体山として朝日さす南東の麓より拝むべく現在の所に社殿を建てられたと伝わります 天津羽羽神を祀り 後の世の遷座もなく 古代より此処に鎮座まします延喜式内社 土佐國 土佐郡 朝倉神社(あさくらの かみのやしろ)で 土佐国中でも稀な古社です

『日本書紀(Nihon Shoki)〈養老4年(720)編纂〉 斉明天皇 の段に記される゛ 百済の福信(フクシン) 鬼室福信 〉゛のゆかりの神社

鬼室神社 (蒲生郡 日野町小野

【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

麻氐良 山の山裾に鎮座 する

・麻氐良布神社 下宮(朝倉市杷木志波)

麻氐良布神社 下宮(朝倉市杷木志波)

麻氐良布神社 下宮(まてらふじんじゃ しものみや)は 『日本書紀』斉明天皇の条にある゛朝倉の社゛とされ 『日本三代実録』元慶元年(八七七)九月廿五日の条には゛眞天良布神゛と記され 『延喜式神名帳927 AD.』所載 筑前国 上座郡 麻氐良布神社(まてらふの かみのやしろ)の里宮です

下宮から 麻氐良 〈295m〉の山頂を目指します

下宮の裏手にある 柿畑の 道を上がります

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参道の始りは こんな感じです

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だらだらと上がる感じでしたが 途中から少し坂道がきつくなります

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つづら折れ 所に 大きめの石祠が祀られています

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岩肌 露出してきていて 麻氐良 山は 岩山であることが分かってきました 磐座信仰なのだろうか

いよいよ傾斜はきつくなります

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石段が出てきましたので 間もなく お社なのでしょう

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思った通り 整地された平地 境内があり 10 宇の石 祠が並んで祀られています

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近づくと 十九 社と 刻まれた扁額 置かれていて 石祠には 筑前 國の 式内社19 座が 刻まれています

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この境内の さらに上に社殿が建てられています

麻氐良布神社 奥宮(朝倉市杷木志波)に参着

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石段を上がると社殿の建つ境内に出ます こんな山の上なのに 境内の下草は刈られていて しっかりと維持管理がなされています

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拝殿の前には 中々 狛犬が座します

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拝殿の中には 扁額〈読めません〉と絵馬が掲げられています

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賽銭をおさめ お祈りをします ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神 に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ 祈り ます

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拝殿の奥は 幣殿が更に一段高い檀に祀られている本殿へと続いています

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境内には 古い狛犬の他に 古い石燈籠 古い手水鉢などもあります

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石燈籠には 麻氐良布神前 と 刻字があります

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境内の泥には 獣の 足跡 ありますので 夕暮れ時からは要注意

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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先程のつづら折れ あった石祠には 石燈籠と手水鉢も置かれいてますので 登山と参拝の御礼を込めて お祈りをします

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下りは結構きつい 滑らないように注意しながら

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途中 筑後川が削った うきは市 平地が見渡せました

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出発地の柿畑 戻ってきました こんもりとした森が 麻氐良布神社 下宮です

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下宮で再度 お参りをして 山頂を振り返ります

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下宮については 記事を参照してください

・麻氐良布神社 下宮(朝倉市杷木志波)

麻氐良布神社 下宮(朝倉市杷木志波)

麻氐良布神社 下宮(まてらふじんじゃ しものみや)は 『日本書紀』斉明天皇の条にある゛朝倉の社゛とされ 『日本三代実録』元慶元年(八七七)九月廿五日の条には゛眞天良布神゛と記され 『延喜式神名帳927 AD.』所載 筑前国 上座郡 麻氐良布神社(まてらふの かみのやしろ)の里宮です

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里に下りてから 改めて 麻氐良 山を 見ると やはり神の宿る山として 周囲では一番高い山のようです ( hai )」( 90度 のお辞儀)

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神社の伝承 】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 麻氐良布神社について 山田村 麻氐良山の上〈現 麻氐良布神社 奥宮(朝倉市杷木志波)〉と記しています

麻氐良布神社

麻氐良布は 假字なり 〇祭神 伊弉諾尊 〇山田村 麻氐良山に在す

續風土記に、此山は山田菱野の東、志波村の西北に有、此の辺りの諸山より嶺高く、其の形うるはし云々、此社は山田村境内なり、 麻氐良山の上に有り、南に向へり、祭所の神は 伊弉諾尊なり、日神、月神、素戔嗚尊、蛭兒をも、相殿に伊弉冉尊、斉明天皇、天智天皇、明日香皇子 天智天皇の御子 も祭ると云へり

神位 三代実録 元慶元年 二十五 從五位下 眞天良神に從五位上 二十七日 正五位下に 同四 正五位上

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 麻氐良布神社の所在について 山田村の 麻氐良山上〈現 麻氐良布神社 奥宮(朝倉市杷木志波)〉と記しています

麻氐良布 (マテラフノ) 神社

〇按 三代実録 麻氐を眞天に作る 今 山田村の麻氐良山上に在り、筑前續風土記、神名帳考証

陽成天皇 元慶元年 二十五 從五位下 眞天良神に從五位上 二十七日 正五位下に 同四 正五位上

凡 毎年二月十五日、九月十六日を例祭とす

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 麻氐良布神社について 志波村 麻氐良山〈現 麻氐良布神社 奥宮(朝倉市杷木志波)〉と記しています

麻氐良布神社

祭神 伊弉諾尊

今按〈今考えるに〉 筑前續風土記 祭神 伊弉諾尊なり 日神、月神、素戔嗚尊、蛭兒をも、相殿に伊弉冉尊、斉明天皇、天智天皇、明日香皇子 天智天皇の御子 も祭ると云へりとみえ 一説に伊弉冉尊にして 相殿に伊弉諾尊、斉明天皇、天智天皇、明日香皇子なりとも云り されど姑く 續風土記及び神社考証に従ふ

神位 陽成天皇 元慶元年 二十五 從五位下 眞天良神に從五位上 二十七日 正五位下に 同四 正五位上

社格 郷社 祭日 二月十五日 九月十六日 所在 志波村 麻氐良山(朝倉郡志波村大字志波)

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

麻氐良布神社(朝倉市杷木志波)について 延喜式内社であると記しています 中世に一度 頽廃していたが 元禄年間に再建したと伝わり 日本書紀に記されている朝倉宮との説もあるが 確証はないとも記しています

麻氐良布 (マテラフノ) 神社

祭神 伊弉諾 (イザナギノ)命 天照大神 (アマテラスノオホカミ) 弓(ツキユミノ)命 素盞嗚 (スサノヲノ)命 蛭子 (ヒルコノ)命

鎮坐の年月詳ならねど、 陽成天皇 元慶元年 二十五 日、從五位下 眞天良神に從五位上を授けられたる事、三代實録に見え、同 二十七日 正五位下に叙せられ、翌 正五位上に進められたる事、亦同書に見ゆ、以て当社の往古より尊崇せられたりしを知るべし、 醍醐天皇延喜の制式の小社に列せらる、 其後 後奈良天皇 天文 年、太宰大 大内伊予介 宝幣献進の事あり(寄進状現存す) 維新前 神官両家を置き、一は社僧にて普門院と称せしが、維新と共に社僧は廃せらる、 明治 年郷社に列す、

祭神は伊弊冉命、相殿に伊弊諾命、齊明天皇、天智天皇、明日香皇子 (アスカノヲウジ) (天智天皇の御子)なりとの説もあれど、今社伝及び続風土記、神社考証、三才図会等に拠りて採らず、 当社中世一度衰頽せしと見え、神社志に「麻氐良布神社、古の社は頽破し、雨露神床をおかしけるを、当郡の司官鎌田氏昌生、元禄年中神社、拝殿、鳥居等新に造営あり と記されたるを以て知らる。

猶当社を 日本書紀 現在の朝倉神社なる しとの説をなすものあり、されど未だ確説なし。 社殿は、本殿、渡殿、拝殿等を備へ、境内219坪(官有地第一種)古来よりの社地にして南に向へり、東志波山の西北、麻氐良山上にありて秀麗の地なり。

境内神社 十九座(ジュウグザノ)神社

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

『福岡県神社誌(Fukuokaken Jinjashi)〈昭和20年(1945)〉』に記される伝承

麻氐良布神社(朝倉市杷木志波)について 延喜式内社であると記しています 西峯翁の説に拠れば 日本書紀に記されている朝倉宮とは この神社であると記しています

郷社 麻氐良 (マテラ) 布神社

朝倉郡 志波村字 麻氐良

祭神 月讀尊 天照大神 伊弉諾尊 素戔嗚尊 蛭子尊

由緒 不詳、明治五年十一月三日郷社被定。 蓋し当社は往古の鎮座にして 延喜式に載る所 当國十九神一也 陽成天皇 元慶元年 二十五 從五位下 眞天良神に從五位上 二十七日 正五位下に 同四 正五位上 に叙せらる旨 三代実録に出たり 其の後 天文四年 太宰大 大内伊予介 より寶幣を捧けし由 旧記に見ゆ 又 西峯翁の説に拠れば書紀に朝倉の神社とあるは此神社なるべしと記録す。

例祭日 三月十五日

主なる建造物 本殿、拝殿、遥拝所、参籠殿 境内坪数 二百七十九坪

氏子区域及び戸数 崇敬者区域 志波村、高木村、久喜宮村、杷木村、松末村、宝珠山村、小石原村、 戸数約参千二百戸

境内神社 十九座神社 宗像神社 織幡神社 筥崎神社 志賀海神社 志登神社 筑紫神社 竈門神社 美奈宜神社 於保奈牟智神社

麻氐良布神社 奥宮(朝倉市杷木志波)に ( hai )」( 90度 のお辞儀)

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筑前国 式内社 19座(大16座・小3座)について に戻る

筑前國 式内社 19座(大16座・小3座)について

筑前国(ちくぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 筑前国(ちくぜんのくに)には 19座(大16座・小3座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

富士山 世界文化遺産 構成資産 と 浅間神社について〈Fuji World Heritage Sites and Sengen Shrine〉

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳』399社

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)『古事記』に登場する神話の舞台

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

出雲國造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)について

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

出雲國造(いつものくにのみやつこ)〈天皇家と同じの始祖を持つ神代より続く家柄〉

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

「宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)」(九州 五所別宮(kyushu gosho betsugu)について

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

「宇佐八幡(Usahachiman) 行幸会(gyokoe)」について

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています

對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

comment 関連記事 成海神社(名古屋市緑区鳴海町乙子山)〈日本武尊ゆかりの延喜式内社〉

成海神社(なるみじんじゃ)は 日本武尊が 東征からの帰還の際 鳴海潟(現 鳴海駅北)から対岸の宮簀媛命の居住する火高丘陵〈建稲種命の館〉(現 氷上姉子神社)まで船で渡ったと伝わる地に 天武天皇の朱鳥元年(686)草薙神剣が熱田に還座の時に鎮座しました 延喜式内社 尾張國 愛智郡 成海神社(なるみの かみのやしろ)です

酒屋神社跡地(松原市三宅中)〈延喜式内社 旧鎮座地〉

酒屋神社跡地〈旧鎮座地〉(さかやじんじゃあとち)は 延喜式内社 河内国 丹比郡 酒屋神社(鍬靫)(さかやの かみのやしろ)の旧鎮座地です かつて神社の西側に酒蓋池(さかぶたいけ)が広がり 池の東北に酒屋井(さかやい)と称する井戸が存在していて その井戸から神が出現したと云う 酒屋権現(さかやごんげん)と呼ばれていた

中氷川神社(所沢市三ケ島)

中氷川神社(なかひかわじんじゃ)は 社伝によれば 崇神天皇の御時 神託によって素戔鳴尊と奇稲田姫命の二柱を祀る社として勧請され 其後 景行天皇の御時 日本武尊が東征に際してこの地を通り掛かった時に霊意を感じ 天下泰平 国乱鎮護の為 大己貴命 少彦名命の二柱を併せ祀ったと伝えられる式内社 武蔵國 入間郡 中氷川神社(なかひかはの かみのやしろ)の論社です

久良濱神社〈高山様 出張〉(三宅島 坪田)

久良浜神社〈高山様 出張〉〈たかやまさま でばり〉は 昭和15~16年頃(1940~1941)二宮神社(坪田)に合祀された「久良濱神社(くらはまじんじゃ)の遥拝所」です 「久良濱神社」は『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の比定社で 由緒(格式ある歴史)を持っています 島民は「高山さん」は非常にこわい神様だとして恐れ 「出張〈でばり〉」からおまいりし 本殿「高山さん」には足を踏み入れたことはない ということである

荒穂神社(三養基郡基山町宮浦)〈延喜式内社 荒穂神社〉

荒穂神社(あらほじんじゃ)は 『日本三代実録(901 AD.)』に゛荒穂天神゛の名で神階昇叙の記事がみえ 『延喜式神名帳(927 AD.)』に゛肥前國 基肄郡 荒穂神社(あらほの かみのやしろ)゛と所載があり 基肄山山頂の玉々石を盤座とする由緒ある格式の高い古社です

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳』399社

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)『古事記』に登場する神話の舞台

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

出雲國造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)について

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

出雲國造(いつものくにのみやつこ)〈天皇家と同じの始祖を持つ神代より続く家柄〉

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

「宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)」(九州 五所別宮(kyushu gosho betsugu)について

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

「宇佐八幡(Usahachiman) 行幸会(gyokoe)」について

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています

對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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