お吉ヶ淵
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《静岡県下田市:おきちがふち》下田に滞在したアメリカ総領事・ハリスの世話をする役目を引き受けた“おきち”は、それ故に哀れな末路をたどる。終焉の地とその菩提を紹介。

<用語解説> ◆ハリス 1804-1878。アメリカの外交官。40代になって貿易業を営み、東洋に在駐する。かつて公務に就いていた関係から、日本総領事を希望して就任を勝ち取る。下田の玉泉寺を領事館として赴任し、将軍との謁見を成功させ、1958年に日米修好通商条約締結までこぎ着ける。条約後は下田から江戸に移り、5年9ヶ月間日本に滞在する。 アングリカン・チャーチの熱心な信者であり、生涯独身を貫く(生涯童貞であったとも言われる)。また日本の風習なども理解・賞賛しているが、唯一混浴の習慣だけは理解できないとしているなど、性的に潔癖な性格を持っていたとの説もある。

◆「唐人お吉」の映画 昭和5年(1930年)に2本続けて公開される。その後8年間に6回も映画化されており、当時非常に人気のあったコンテンツであったと考えられる。 最初にきちの生涯を書いた村松春水は、下田に移り住んできた眼科医師。きちに関する聞き取り調査をおこない、郷土誌の『黒船』に発表し、次いで単著を刊行する。(村松がきちに興味を持つきっかけとなったのはある人物との出会いであると言われるが、その人物はきちにハリスの元に仕えるよう説得した、下田奉行の伊佐新次郎であったとも伝わる)。 版権を買い取って本格的な小説にまとめた十一谷義三郎は、川端康成や横光利一と共に『文藝時代』に参加した小説家。『唐人お吉』がヒットして、流行作家となる。

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<都道府県・時代>

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