四国讃岐の片隅で
四国讃岐の片隅で

四国讃岐の片隅で

高松中心部から国道193号線で阿波に抜けるルートは、地元では一般に塩江街道と称される。途中、塩江温泉を擁する旧塩江町を経由する為で、その原型となった旧街道...

高松城南の起点(常盤橋)から始まるこの旧街道は、仏生山にある高松松平家の菩提寺、法然寺へ藩主が参拝する為に整備された道であり、その為うねうねと迂回したりせず、ストレートに法然寺を目指している。街道は法然寺を過ぎると更に南下し、相栗峠を越えて阿波に入るのだが、そちらは峠レポートで既に紹介済み。今回は高松城から法然寺までの区間を走ってみようと思う。 江戸期の高松城周辺図(高松城下図・高松市立図書館蔵/部分・ 太陽コレクション古地図散歩:西海道・南海道から転載)

起点から約2㎞、歩道橋の懸かる三叉路、通称『お林の分かれ股』を左に進む。右に進むルートは金毘羅に向かう旧街道『高松道(みち)』(琴平街道)。ここまでの区間は両街道が重複しているのだ。“お林”とは、江戸期に禁足林だった紫雲山(藩主の別邸があった栗林公園の裏山)に対する敬称の名残で、右手のビル群のすぐ裏には名勝・栗林公園がある。 お林の分かれ股。右奥が後に国道32号線の元となる、琴平街道。 昭和40年代のおなじ場所。歩道橋は早くから掛けらていた様だ。 地元民にとっては、このルートは今でも(広義では)塩江街道。 それにしても、つまらない道である(サイクリングとしては)。

退屈な街中の道を更に進むと『大田の辻』と呼ばれる三叉路に至り、街道は旧国道から左に逸れる。この場所に、今回唯一最大ともいえる旧街道の痕跡が遺されている。天保年間に設けられた常夜灯と、大正11年設置の道標石柱である。この道が旧国道だった昭和の時代、交通量の多さは県下でも指折りだったはずだ。クルマ社会に移行する中、車道の脇に陣取って邪魔としか思えないこれら石造物が遺されたことは大いに評価されるべきだろう。仏生山街道のシンボルとして、末永く保存してもらいたい建造物である。 太田の辻。 昭和40年代。辻にある定食屋は無くなったが、その形状を伝える痕跡が 奥の壁面に残っているのが面白い(現在の画像参照)。 太田の辻から入った途端、嘘のように交通量と道幅が減る旧街道。

古い街並みの突き当たりの雌山には、人柱伝説の残る ちきり神社が祀られている。相栗峠に向かう旧街道は雌山の東を巻いて進むが、今回ゴールに定めた法然寺は反対側。緩やかな坂を登り詰めたら、長い参道を持つ山門が見えてきた。 (この項、終り) ちきり神社の石段。 法然寺の手前、前山坂道。 法然寺全景。有料で拝観できる釈迦涅槃像は必見(撮影禁止)!