「皆さん、これから小池重明君の遺書を読み上げますので、聞いてください」
「皆さん、これから小池重明君の遺書を読み上げますので、聞いてください」

「皆さん、これから小池重明君の遺書を読み上げますので、聞いてください」

近代将棋1992年7月号、関則可さんの「小池重明、最期の8ヵ月」より。 去年の夏場だったか、石岡市の焼肉店(今回、小池の喪主をつとめられた古沢文雄氏が経営)で紺野延男氏(富士開発会長)と私と3人、一杯やっている所へ電話が入った。やがて古沢氏...

去年の夏場だったか、石岡市の焼肉店(今回、小池の喪主をつとめられた古沢文雄氏が経営)で紺野延男氏(富士開発会長)と私と3人、一杯やっている所へ電話が入った。やがて古沢氏が席にもどってきて「誰からの電話だと思う?」と聞く。知る由もない。「小池からなのよ」に「えっ!!」となった。「あの野郎、電話で泣きやがんのよ、男のくせして、泣く奴があるか、バカ野郎」。小池にはさんざ苦い目にあわされてきた古沢氏だが、鬼の目にも涙の風情。よほどの惨状が見てとれた。

旬日を経ず、文字通りの裸同然で紺野氏宅を訪れた小池だった。「会長の将棋クラブで休ませて頂けませんでしょうか」「ああいいですとも、使ってください。そう言いましたよ私は」。紺野氏の後日談。けれど、クラブに起床したのもわずかだった。緊急入院の要があったのだ。

「あと1ヵ月です。遺体は必ず引き取ると保障してください。こう医者がいうのよ、まいったね」と古沢氏は語る。

石岡市の将棋関係者は皆暖かい。生活保護の手配からあらゆる面倒を見られて、小池は無料で(わずかながらも小遣いももらえて)入院することができたのだ。

やがて連絡があって、私は今福栄氏を誘い小池を見舞った。相当悪いとの情報だが、なに殺しても死にそうもない頑丈な奴、大丈夫だろうとタカをくくっていた私の目に映った小池の姿は、丁度、アウシュビッツに収容されていたユダヤ人そのものであった。私は後ずさりする思いだった。小池は力なく笑った。

「関さんにゆずっておけばよかったですよ」

この意味は、小池が古沢氏の店で店長をやっていた時、ナイトクラブの女性を私が連れて行ったことと関連する。数ヶ月後、小池はこの女性と出奔したのだ。亭主やその知り合いのチンピラに脅されたらしいのだが、「やることはとっぽいくせに全く根性がない」と古沢氏は怒り、軽蔑する。

人妻との駆け落ちは私の知る限りでも3度目だ。天下晴れてのチョンガーがなぜいつも人妻なのか、全く理解に苦しむところだ。おまけにその終末が捨てられ、のたうって、世話はない。

1ヵ月、2ヵ月、状況は絶望的ながら臨終の連絡は来ない。くそねばりは小池将棋の身上だから、あるいは奇蹟の大逆転もあり得るかともまた見舞いに出掛けたら、病院も移っていてさらに痩せこけてしまっていた。この時は、紺野氏の母上の葬儀で東京の将棋関係者数人も同道したのだが、皆一様に息を飲んでしまった。文字通り骨と皮だけで、黒く丸い目だけが異様になまめいて大きく見えた。口々に皆なぐさめの言葉を発したが、それはいかにも空しく響いた。「もう詰将棋を解く元気もなくて」ボソリ小池はつぶやいた。ついこの間まで酒を飲み、将棋を戦っていた連中を前にし、もはや越えることの出来ない溝の向こう側に置き去られた身を、この時小池は悟ったのではなかろうか。

さらに1ヵ月、別な用事で紺野氏を訪ねた私に、奥さんが「小池のバカ、自殺を図って精神病院に入れられちゃった」という。「石岡市に一銭の税金を収めたわけでもないのにタダで面倒見てもらって、自殺だって、どうしようもないバカだよ、あいつは」。これから将棋の本を届けに行くけど一緒にどうか、と奥さん。金属のとびらがガチャンと閉まる所だと聞かされ「遠慮しますわ」と尻ごみした私だったが、この後、生きて小池の顔を見る機会はなかった。点滴の管をはずして自ら命を絶ったという。

通夜、告別式には東京や地元から思いの外の参列者があって、関係者をホッとさせた。

骨つぼに収まりきらない骨を皆で拾い、3歳から小池を育てたというご養父にお渡しした。骨は実母と祖父母の眠るお墓に納められると聞き、胸なでおろす。

すべてが終わり、焼肉店で慰労会を開始しようとした矢先、「皆さん、これから小池君の遺書を読み上げますので、聞いてください」と紺野氏。ノリ付けの封が開けられた。そこに書かれていたのは、特に世話になった人達への感謝と生命保険金の使途、好き放題生きてきたので悔いはない、との一言が添えられていた。

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