明用三島神社。鴻巣市明用の神社
明用三島神社。鴻巣市明用428にある明用三島神社の由緒と所蔵の文化財等を、新編武蔵風土記稿等からの引用を交えて案内。鴻巣市指定文化財三島神社古墳上に鎮座
(明用村) 明用村は村民鶴間氏の開墾せし所にて、古は鶴間村と稱せしを何の頃よりか今の如く改めしと、又昔は三町免村も當村にこもりて一村なりしといへり、其地は箕田郷に屬し、(以下省略) 三島社 古塚の上に鎮座す、塚の高一丈餘ばかり、六七間にて横に長し、社に向て左の方に長九尺、幅五尺餘の石片面あらはれてあり、昔村民此石を堀出さんとなせしかば、忽ち祟りを蒙むりしとて、其後は恐れて手を觸る者なしと云、按に此塚は古代墳墓にして、顯れし石は全く石㨯と見えたり、おもふに下總國那須郡國造塚の類にして、郡司などいふものゝ葬地なるべし、又近郷箕田村の古塚も是と同じ形なり、 末社。天王社、稲荷社、天満宮 --- 第六天社 以上二社觀音寺持、(新編武蔵風土記稿より)
埼玉県神社庁「埼玉の神社」による明用三島神社の由緒三島神社<吹上町明用一二三(明用字台耕地)> 当地は荒川左岸の低地に位置する。元荒川の自然堤防上に集落があり、その西方の低湿地に水田が広がる。 『風土記稿』によると、当村は鶴間氏の開墾した村で、古くは鶴間村と称し、当初は三町免村も含んでいたが、元禄十二年(一六九九)に分村したという。鶴間家は累代当地の名主を務めた家柄である。 当社は「三島神社古墳」と呼ばれる古墳上に鎮まる。この古墳は町内で最大規模の古墳で、全長五五メートル、後円部径三〇メートルの前方後円墳である。石室は破壊されており、拝殿前などに敷石として利用されている緑泥片岩がこの石室の石材と思われる。 当社は、『明細帳』に「創立不明、同村鶴間弥五右衛門祭主ト古老ノ伝有(以下略)」と載る。恐らく、村の開発に携わった鶴間家により当社は勧請され、以後同家が代々祭主を務めたのであろう。当社は鶴間家から北東二〇〇Mの位置にあり、同家の鬼門除けとして祀られたとも考えられる。 『風土記稿』には、地内の真言宗観音寺が当社の別当であったと記される。同寺は、三島山明星院と号し、箕田村竜珠院の末寺であったが、開基の年代は不詳である。 明治に入り観音寺の管理下から離れた当社は、明治六年に明用村の村社となり、同二十七年に本殿を改築した。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
明用三島神社所蔵の文化財
- 三島神社古墳(鴻巣市指定文化財)