境界性パーソナリティ障害 ☆☆☆☆☆
境界性パーソナリティ障害 (幻冬舎新書)作者: 岡田尊司出版社/メーカー: 幻冬舎発売日: 2009/05/27メディア: 新書購入: 22人 クリック: 140回この商品を含むブログ (30件) を見る 内容紹介 元々はしっかり者で思いやりのある人が、心にもなく人を傷つけたり、急に不安定になったり、自分を損なうような行動に走ったり――不可解な言動を繰り返す、境界性パーソナリティ障害。ときには、場当たり的なセックスや万引き、薬物乱用や自傷行為、自殺にまで至ることもあります。 「わがままな性格」と誤解されることもしばしばですが、幼い頃からの体験の積み重ねに、最後の一撃が加わって、心がバランスを失…
内容紹介 元々はしっかり者で思いやりのある人が、心にもなく人を傷つけたり、急に不安定になったり、自分を損なうような行動に走ったり――不可解な言動を繰り返す、境界性パーソナリティ障害。ときには、場当たり的なセックスや万引き、薬物乱用や自傷行為、自殺にまで至ることもあります。 「わがままな性格」と誤解されることもしばしばですが、幼い頃からの体験の積み重ねに、最後の一撃が加わって、心がバランスを失ってしまった状態なのです。
なぜ現代人に増えているのか、心の中で何が起きていているのか、どのように接すればいいのか、どうすれば克服できるのか。治療の最前線に立つ臨床家が、豊富な臨床経験と印象的な具体例、最新の研究成果を盛り込みながら、わかりやすく解説しています。 境界性パーソナリティ障害について学ぶ人だけでなく、実際にそうした問題を身近に抱えている人に、多くのヒントと勇気を与えてくれることでしょう。
こんなサインが見られたら、ご注意を。 □さっきまで笑っていたのに、急にふさぎ込む □いつも誰かそばにいてほしい □自分のことがキライで許せない □見捨てられないか不安だ □小さな失敗で、すべてがダメに思える □相手や自分をなぜか傷つけてしまう
この本を買ったきっかけは、単に「書店でみかけて、ちょっと興味を持ったから」だったのです。 「境界性パーソナリティ障害」という言葉は知っていたし、そういう人と接したこともあるのだけれど(というか、僕自身にもそういう傾向が無いとはいえない)、僕のなかでは、「そういう人たちに深く関らないのがいちばん賢明な選択」だという結論を出していました。 しかしながら、この新書を読んでみると、「境界性パーソナリティ障害」というのは、いまの社会に生きている人間、とくに、子どもを持つ親にとっては、「知っておくべき、学んでおくべきこと」のように思われました。
境界性パーソナリティ障害の人との出会いは、とても印象的で、心を惹きつけられるものがある。一目見たときから、注意を向けずにはいられないような魅力とオーラを放っていることもあれば、放っておけないような、保護本能をくすぐるものを感じさせることもある。明るく振る舞っているときでも、ふと横顔に寂しげな翳りがあったり、無理しているのを感じさせる瞬間があったりする。 繊細で、思いやりのある優しい気遣いを見せるかと思えば、突然、常識を超越したストレートな言葉で、痛いところをついてきたりする。よく気のつくサービス精神旺盛な面と、こちらをドキッとさせる大胆な振る舞いのギャップに、枠にはまらない新鮮さを感じ、魅了されていくことも少なくないだろう。 しかも、驚くほど、あっという間に距離が縮まって、いつの間にか恋人同士のように親しい口を利き、甘えてくることも多い。あなたは、相談に乗ってあげずにはいられない。ときにはまるで魔法にかけられたように、この出会いが特別なものだと思い、そこに運命的なものさえ感じることもある。 個人的にすっかり親しい関係になり、プライベートな相談にも乗るようになり、互いの信頼関係が深まったと思った頃、突如あなたは、不可解な相手の言動に戸惑いを覚えることになる。 それは、たとえば、こんなふうに始まるかもしれない。いつものように話をした後、あなたは手紙を渡される。「おうちに帰ってから読んで」という言葉に背いて、気になったあなたは、電車の中で封を切って読み始める。すると、手紙には、「これで、もうお別れにしましょう。優しくしてくれて、ありがとう」と書かれている。あなたは、その意味がわからず、混乱して先を読み続ける。「今別れなければ、きっと、私のことを嫌いになって、見捨ててしまうに違いありません」と、予言めいたことが書いてある。あなたは、気になってすぐに連絡しようとするが、連絡がつかない。あなたは、もうパニックだ。 翌日の朝、やっと連絡が取れる。すると、その人もずっと泣いていたことがわかる。あなたは心配で、仕事も放り出して、「今すぐ会いたい」と言う。しかし、相手は「本当の私を知ったら、きっと、私のことが嫌いになってしまう」と謎めいた答えをし、泣きじゃくるばかりだ。そんなことはないと説き伏せて、あなたは半ば強引に会いに行く。
ようやく会えたと思うと、あなたの前に現れたのは、いつもの魅力的なその人ではなく、暗い顔をして、沈み込んだ別人のようなその人だ。あなたは戸惑いを覚えながらも、不憫な気持ちになり、その腕に抱きしめる。どうしてあんなことを書いたのかと、その理由を訊ねるあなたに、その人は声を震わせながら打ち明け始める。それは予想もしない、衝撃的な告白かもしれない。 あなたはその話に圧倒され、動揺するが、いっそう相手を守りたい気持ちに駆られる。どんなことがあっても自分はそばにいるよ、と約束する。それで安心したように、その人はあなたの腕の中ですやすやと眠り始める。これで何もかもが一件落着したかのように思えるのだが、それは始まりに過ぎない。その夜早速、寝入りばなのあなたは、不穏な電話に起こされる。 「手首を切ってしまった。すぐ来て」と。 あなたの平穏だった日々は終わりを告げ、それから、まるでドラマのような毎日が始まることになる。突然入ってくるメールや電話に、あなたは、ときめきよりも、不安と緊張を覚えるようになる。いくらあなたが慰め、安心させても、5分と経たないうちに、またその人の気持ちが揺らいでしまう。あなたが目の前にいて、優しい言葉をかけ続けていれば、落ち着いて明るい顔を見せるが、片時でも、あなたの姿が視界から消えると、不安定になってしまうのだ。 そうかと思うと、脈絡もなく、不信感をむき出しにしたメールや攻撃的な言葉で傷つけてくることもある。少しでも気を逸らしたり、冷淡な態度をとったりすると、それだけで不機嫌になり、口も利かなくなってしまう。突然、浴室やトイレにこもって、危険なことをする場合もある。 あなたは四六時中相手に縛られていると感じ、神経をすり減らし、それが次第に負担に感じられていく。いっそのこと別れたいと思うときもあるが、もし危険なことをしたらと思うと踏ん切れない。
そんなある日、あなたの心の変化を感じたかのように、一通のメールが入る。 「これ以上、あなたの重荷になりながら生きていたくない。さようなら」 あなたは動転して、連絡するが、携帯もつながらない。タクシーで駆けつけ、部屋に飛び込むと、そこには睡眠薬を多量に飲み、手首を切って倒れているその人が……。 これは、決してドラマチックに脚色した話ではなく、境界性パーソナリティ障害の人では、ごく当たり前に起こりうる状況である。
長々と引用してしまい、申し訳ありません。 僕も似たような体験をしたことがあって、この例を読んだだけで、いろんなことを思い出さずにはいられませんでした。 これを読んでくださっている人のなかにも、同じような経験をした方がいらっしゃるのではないでしょうか。 いまから考えてみると、「境界性パーソナリティ障害」の人というのは、軽度の「ちょっと困った人レベル」まで含めたら、中学校や高校の各クラスにひとり、大学の中規模サークルにひとり、くらいはいたのではないかと思います。 もちろん、当時の僕は「境界性パーソナリティ障害」なんていう言葉も概念も知らずに、「気分屋で傷つきやすい、でも放っておけない人」くらいのイメージしか持っていなかったのですけど。
僕は、そういうのを見るたびに、「ああ、この人たちは、『依存されることの怖さ』を知らないのだなあ」と考えずにはいられません。 毎晩夜中に「死にたい」という電話がかかってきたり、忙しいからと早めに電話を切ったりしただけで「いま、手首を切った」なんて言われたりすることが続くのだとしても、「自分なら見捨てない」と自信を持って言えるのだろうか? 「病を抱える人と向き合う」というのは、常にそういう緊張を強いられることで、ヘタすれば、自分も一緒に落ちていってしまいます。 だからといって、「見捨ててもいい、当然!」みたいなのが常識になるのが良いことだとも思いませんけど。 軽々しく「相手にちゃんと向き合うべき」なんて言わないでほしい。僕は、「もういいよ、よくいままでがんばったよ。お前にはお前の人生がある。逃げろ!」って、心のなかのコメント欄にいつも書き込んでます。
率直に言うと、僕はこの本を読むまでは、「今後それっぽい人に絡まれそうになったら、とにかく逃げよう」と考えていました。 しかしながら、「逃げればすむ」状況ばかりではないようです。 この本には、「彼らはなぜ『境界性パーソナリティ障害』になったのか?」についての、さまざまな具体的なエピソードが紹介されています。 そして、その大きな要因は、「子どもの頃の親との関わり方」だと著者は示しているのです。
境界性パーソナリティ障害の人は、自分を大切にすることができない。過度に粗末に扱ったり、自らを貶めたり、傷つけてしまうこともある。それは、彼ら自身が、彼らを守ってくれるはずの人から、かけがえのない大切なものとして扱われず、否定されたり、傷つけられたりしてきた結果であることが多い。 だが、半分くらいの親たちは、その人に寂しい思いをさせたり、上手に愛してやることができなかったことを認める一方で、残り半分くらいの親たちは、自分はこの子のために精一杯頑張ってきたつもりなのだがと、腑に落ちない顔をする。この子は、昔からわがままで、強情で、どれだけ手を焼かされてきたか、困りものだったかと強調することもある。
そうした両親に共通するのは、とても常識的で、倫理的にもきちんとしているが、自分たちの視点からしか相手のことを考えられず、その子の視点に立って気持ちを汲むということができにくいということである。 両親のどちらかが、情動的に過剰反応しやすく、自分の基準と違うことをすると、許すことができず、見捨てると脅したり、全否定するような言い方で責め立ててきたということも多い。親の側には、その子に正しいことを教え、導こうとして一生懸命だったという思いしかない。
境界性パーソナリティ障害の人は、そうした問題が起こり始めてから、あるいは、小さい頃からずっと、決めつけられる接し方をされていることが多い。どんな行動をとろうと、その行動自体よりも、その動機や意図についてネガティブな推測をされ、「また、この子は」とか、「どうせ、また困らせられるのでは」といった先入観で判断されていたケースが多い。たとえ前向きな努力をしても、それを本心では評価せず、疑いの目を向けるということもありがちだ。 そうしたことが繰り返される中で、本人も決めつけられることに非常に過敏になっていることが多い。決めつける言い方を感じ取った瞬間、どうせわかってもらえない、どうせ認めてもらえないと感じて、心を閉ざしてしまい、せっかくの前向きの努力を放棄してしまうこともある。 境界性パーソナリティ障害に見られやすい問題点の一つは、事実と推測を一緒くたにしてしまうことである。ところが、その起源はどこかといえば、まさに周囲が、本人に対してどうした扱いをしてきたことなのである。周囲が先入観や推測で本人を判断し、決めつける対応をしたことを、本人はいつの間にか学習してしまった面がある。その点を改善していくためにも、周囲は先入観で決めつけた判断をしないよう心がけ、客観的な行動や状態を純粋な目で見る態度が大事である。 したがって、どういう場面でも、決めつける言い回しを使わないことが原則である。「もしかして〜ではないの?」「〜と感じることはないの?」「〜することもあるのかな?」「違っているかもしれないけど〜ということはない?」といった、本人にノーと答える余地を残した言い方をすることが基本である。
「特別な人がかかる、心の病を扱った本」だと思われてしまいがちなタイトルではありますが、「他人との接し方」とくに、「子どもとの接し方」に試行錯誤している親には、とても衝撃的かつ有用な本だと思います。 個人的には、「境界性パーソナリティ障害」を持つ人が「避けられる相手であれば、深入りを避けたほうが自分の人生のためにはプラスなんじゃないか」という気はしますけどね、やっぱり。 「支える」ためには、自分の人生を捧げなければならなくなるから。