ものの数え方一覧 | 助数詞一覧<br />= あ行 - い =
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ものの数え方一覧 | 助数詞一覧= あ行 - い =

ものの数え方・助数詞の一覧です。このページは『あ行−い』です。日本語(にほんご)には、数を表す語につけてその物の形や性質などを示す、助数詞と言われる接尾語がたくさんあります。「一棹(ひとさお)・二棹(ふたさお)」の「棹」、「一挺(いっちょう)、二挺(にちょう)」の「挺」などです。ここではその一部を紹介します。研究や学習にお使いの際は、辞典・専門書などでご確認ください。『みんなの知識 ちょっと便利帳』の一部です。

【知識】 「折」は、「進物や献上品などの数え方」として古文書に見られる。「折」は「台に載せたものの数え方」とされ、『日葡辞書(慶長八年・1603年)』に「Fitouori. ヒトオリ(一折) 果物その他食物をのせる丈の高い食卓〔膳〕とか、布、絹、紙などの折り重ねたものとかを数える言い方」と見られる。また、三保忠夫著「日本語助数詞の歴史的研究」によれば、『増補詳註用文章(明治三年・1870年)』には「鯛一折」「鮮魚一折」「海魚一折」などが見られ、また、「書礼調」「御家書」などの文献には「臺にのせたるを一折」と見られるとある。

『日葡辞書』は、1603年・慶長8年 [ ] に発行された、日本イエズス会宣教師の編による日本語・ポルトガル語辞典で、昭和55年・1980年に邦訳版が『邦訳 日葡辞書』として岩波書店から出版された。

【知識】 「魚類の八つ以上を一折と書く」と 松沢老泉 ( まつざわろうせん ) 著の『 品物名数抄 ( ひんぶつめいすうしょう ) 』(文化七年・1810年)にある。

【知識】 「伊勢海老」は、「鎌倉海老・鎌倉蝦(かまくらえび)」とも呼ばれる。また、「紅蝦」という字も書き、「鰝」という字も「いせえび」と読むと、江戸時代の「 和漢三才図会 ( わかんさんさいずえ )〔1712〕 」という書物にある。

「和漢三才図会」 (国立国会図書館蔵) ※ 文化財では一遺跡という表現が見られる。
  1. 【参考】小林多喜二 「雪の夜」: 廊下の板が一枚一枚しのり返っていて、歩くとギシギシいった。
  2. 【参考】長谷川時雨 「松井須磨子」: 生前抱月氏は 手細工 ( てざいく ) の好きな人で、一、二枚の板ぎれをもてば何かしら大工仕事をはじめて得意でいた。
  3. 【参考】穂積陳重 「法窓夜話」: 一つの法令を発するごとに、これを一片の板に書き付け、
  1. 【参考】夏目漱石 「草枕」: 温泉場 ( ゆば ) の 御那美 ( おなみ ) さんが 昨日 ( きのう ) 冗談 ( じょうだん ) に云った言葉が、うねりを打って、記憶のうちに寄せてくる。心は 大浪 ( おおなみ ) にのる一枚の 板子 ( いたご ) のように揺れる。
  1. 【参考】折口信夫 「愛護若」: 魂を仮托する死骸はないかと、鬼に見させると、娑婆では今日、人には死んだ者はないが、鼬が一匹斃れたという。
  1. 【参考】豊島与志雄 「渡舟場 ――近代説話――」: いつぞや、兄さんが板チョコを二枚持って来て、そっと私に下すった。私はお礼の言葉も言えないで、俯向いてしまった。それから、人のいないところで、その一枚をお母さんに上げたが、ろくにお母さんの顔も見ないで、私は俯向いてしまった。眼が熱くうるんできそうだったし、その眼を見られたら、涙が出てきそうな気がしたのだった。板チョコをかじりながら、私は甘い味を楽しむよりも、悲しい思いをした。
【知識】 略して「板」とも。料理の名前に、薄く切った「板付き蒲鉾」にワサビを添えた「板わさ」がある。

【知識】 古来の蒲鉾は、魚肉を竹に塗って焼いた形が蒲の穂に似ているところからその名が付けられたが、「板付き」は、長方形の板に魚肉を塗って蒸したもの。板に乗せられるようになっても古来の名が残っていると江戸時代の文献にある。 [下記作品参照]

  1. 【参考】種田山頭火 「其中日記(九)」:
私の買物帳 一金弐十五銭 番茶一袋 一金十銭 蝋燭五本 一金十銭 蒲鉾一本 一金九銭 味噌百目 一金八銭 大根一把 一金壱円 酒一升 一金弐十四銭 バツト三ツ 一金十五銭 石油三合 次の作品は、蒲鉾の数え方ではありませんが、蒲鉾が登場する参考作品として引用しました。 ※ 文化財では一基という表現が見られる。
  1. 【参考】夢野久作 「衝突心理」: 苺一粒が十二銭……胡瓜一本が三十銭もするんだから……などと妻のツル子へ相談することがあった。
  2. 【参考】正岡子規 「くだもの」: 余は病床でそれを待ちながら二人が爪上りのいちご畑でいちごを 摘 ( つ ) んでいる光景などを 頻 ( しき ) りに目前に描いていた。やがて 一籠 ( ひとかご ) のいちごは余の病床に置かれるのであった。
  1. 【参考】宮本百合子「古き小画」: その 機勢 ( はずみ ) に、王は何の積りか、 無花果 ( いちじく ) の実を一つ、確かり握って来られました。
※ 文化財では、イチョウ、松、杉、桜など一本、一株という表現が見られる。
  1. 【参考】太宰治 「逆行」: 今朝こそわれは早く起き、まつたく一年ぶりで學生服に腕をとほし、菊花の御紋章かがやく高い大きい鐵の門をくぐつた。おそるおそるくぐつたのである。すぐに銀杏の並木がある。右側に十本、左側にも十本、いづれも巨木である。葉の繁るころ、この路はうすぐらく、地下道のやうである。いまは一枚の葉もない。並木路のつきるところ、正面に赤い化粧煉瓦の大建築物。これは講堂である。
  2. 【参考】豊島与志雄 「太宰治との一日」: その銀杏の樹が五本立ち並んでると私が言ったところ、三本しか見えないと太宰に指摘された。見ると、なるほど三本のようである。豊島さんの話、まったく出たらめで、五本だと言うが、なあに三本しかない、と太宰は大笑いするのだ。酔うとそれが彼の口癖になった。
  3. 【参考】大町桂月 「新武藏野の櫻」: 新宿の追分より、京王電車に乘る。線路をはじめは甲州街道に沿いしが、やがて舊玉川上水に沿う。沿うより間もなく、天神橋の手前の右に近く可なり大なる銀杏あり。凡そ二抱えもあらむと思わるゝ一本の幹の、二三丈上よりは、數十百條となりて直立す。
  4. 【参考】夏目漱石 「雪二百十日」: 「 銀杏 ( いちょう ) の 樹 ( き ) が一本、 門前 ( もんぜん ) にあった」 「それから」 「 銀杏 ( いちょう ) の樹から本堂まで、一丁半ばかり、石が敷き詰めてあった。非常に細長い寺だった」 「 這入 ( はい ) って見たかい」 「やめて来た」
  5. 【参考】永井荷風 「日和下駄 一名 東京散策記」: 小石川久堅町 ( こいしかわひさかたまち ) なる 光円寺 ( こうえんじ ) の 大銀杏 ( おおいちょう ) 、また 麻布善福寺 ( あざぶぜんぷくじ ) にある 親鸞上人 ( しんらんしょうにん ) 手植 ( てうえ ) の銀杏と称せられるものの如き、いずれも数百年の老樹である。 浅草観音堂 ( あさくさかんのんどう ) のほとりにも名高い銀杏の樹は 二株 ( ふたかぶ ) もある。小石川植物園内の大銀杏は維新後 危 ( あやう ) く 伐 ( き ) り倒されようとした 斧 ( おの ) の跡が残っているために今ではかえって老樹を 愛重 ( あいちょう ) する人の多く知る処となっている。
  6. 【参考】大町桂月 「小日向臺」: 北は小石川臺と一つになりて大塚臺に連なる。四方いづれより行くも、坂路あり。從つて馬車の往來稀なる市中の別天地也。彈藥庫の側に立てる一株の銀杏樹、甚だ高し。小日向臺の王者の觀あり。
  7. 【参考】泉鏡太郎 「十六夜」: この 中 ( なか ) を、 折 ( を ) れて 飛 ( と ) んだ 青 ( あを ) い 銀杏 ( いてふ ) の 一枝 ( ひとえだ ) が、ざぶり/\と 雨 ( あめ ) を 灌 ( そゝ ) いで、 波状 ( はじやう ) に 宙 ( ちう ) を 舞 ( ま ) ふ 形 ( かたち ) は、 流言 ( りうげん ) の 鬼 ( おに ) の 憑 ( つき ) ものがしたやうに、「 騷 ( さわ ) ぐな、おのれ 等 ( ら ) ―― 鎭 ( しづ ) まれ、 鎭 ( しづ ) まれ。」と 告 ( の ) つて 壓 ( お ) すやうであつた。
  8. 【参考】長谷川時雨 「おとづれ」: 繪にはないが、この薄や紫苑のあるあたりが嵯峨野ともおぼせとほほゑみながら、さてもこの御住居の障子の煤けさはと氣になる。十月もなかばすぎたらば張りかへてと、月末の諸拂をあまり勘考しすぎたゆゑに手落とはなつたれど、すべては 佗 ( わび ) にかぎると拔道をこしらへて、夜更けてからの切りばり、大きな銀杏の葉二枚をきりぬいて張つた。
  9. 【参考】島崎藤村 「破戒」: 暗い 楼梯 ( はしごだん ) を下りて、北向の廊下のところへ出ると、朝の光がうつくしく射して来た。溶けかゝる霜と一緒に、日にあたる裏庭の 木葉 ( このは ) は多く枝を離れた。 就中 ( わけても ) 、 脆 ( もろ ) いのは 銀杏 ( いてふ ) で、 梢 ( こずゑ ) には 最早 ( もう ) 一葉 ( ひとは ) の黄もとゞめない。
  10. 【参考】伊藤左千夫 「野菊の墓」: 民子はいつの間にか来ていて、昨日の雨で洗い流した赤土の上に、二葉三葉銀杏の葉の落ちるのを拾っている。
  11. 【参考】泉鏡太郎 「十六夜」: 一坪 ( ひとつぼ ) ばかりの 庭 ( には ) に、 瑠璃 ( るり ) 淡 ( あは ) く 咲 ( さ ) いて、もう 小 ( ちひ ) さくなつた 朝顏 ( あさがほ ) の 色 ( いろ ) に 縋 ( すが ) るやうに、たわゝに 掛 ( かゝ ) つた 葉 ( は ) の 中 ( なか ) に、 一粒 ( ひとつぶ ) 、 銀杏 ( ぎんなん ) の 實 ( み ) のついたのを 見 ( み ) つけたのである。
※ 文化財では一基という表現が見られる。 ※ カメラなどを安定させる道具。固定して使える三脚と違い、手持ち用としてブレなどを防ぐために使われる。

【知識】 江戸時代に書かれた「 女重宝記 ( おんなちょうほうき ) 」( 苗村常伯 ( なむらじょうはく ) 撰)に『むかしは琴の糸五十 筋 ( すじ ) あり、後に数をへらして今の琴は十三筋あり」と見られる。

  1. 【参考】佐藤垢石「細流の興趣」: 道糸は秋田の渋糸十五本撚りか二十本撚り、 錘 ( おもり ) から上方三、四尺を一厘五毛柄のテグスにして、錘は自由に調節ができるように板鉛を使うのが便利である。
  2. 【参考】ビクトル・ユーゴー 豊島与志雄訳「レ・ミゼラブル」: 錨綱 ( いかりづな ) をもこれを一筋一筋の糸に分かち、
  3. 【参考】『誹風柳多留 四十六編』:
父母兄を三筋の糸ですごす孝 呑能(文化五年・1808年) [] 一筋の糸でくるしむ放し龜 喜柳(天保二年・1831年) [] ※ 文化財では一基という表現が見られる。

【知識】 移動棚は「スタックランナー」などとも呼ばれ、図書館での閉架書庫や、研究室、オフィスなどでの書庫、物品棚として用いられる。「集密書架」とも呼ばれる。 「4連4段」「7段6連9台」「6段5連10列」「6段3連7基」などの数え方がされる。

【知識】 紡車(ぼうしゃ)、糸繰車(いとくりぐるま)、糸取車(いととりぐるま)、糸撚車(いとよりぐるま)、早糸車(はやいとぐるま)などとも。 『訓蒙図彙』に見られる「紡車」 「 訓蒙図彙 ( きんもうずい ) 」は、 中村惕斎 ( なかむらてきさい ) によって、江戸時代の寛文6年〈1666年〉[] に著された日本初とされる図解事典。「訓蒙図彙」を見る 次の作品は、稲架けの数え方ではありませんが、稲架けが登場する参考作品として引用しました。
  1. 【参考】高村光太郎「山の秋」: 稲の刈入時は戦のようだ。毎日総出で朝から晩まで休む暇もない。天候との競争のように見える。刈った稲束は一たん田の 畔 ( あぜ ) に逆さに並べられて幾日か置かれる。それからやがて本式に 稲架 ( はぜ ) にかけ並べられる。たんぼの中に太い棒を立てて、これに高く稲束を丸くつみ重ねる方式もあり、又は低く積む方式もある。夜など見るとまるで巨人が立っているようだ。普通は棚のように横に四段にしつらえた丸太に逆さにぎっしりかけ並べる。まるで路の両側に稲穂の塀が出来たように見える。
  1. 【参考】宮本百合子「獄中への手紙 一九四三年(昭和十八年)」: 天にある力と地にこもる力が互にひき合って発したその唯一閃の大稲妻は、その白い城の一つの薔薇窓から直線に走り入って、
  2. 【参考】下村千秋「泥の雨」:やがて大粒の雨が四辺の樹の葉を打ってポツリポツリ降って来た。つゞいて二閃三閃の雷光と共に大地を叩くような雷鳴がした。
  3. 【参考】 宮本百合子「獄中への手紙 一九四三年(昭和十八年)」: 天と雲とを貫いて光ったと見るうちに、一条の稲妻が、伝説時代のめぐりかえって来たような雄渾さで、
【知識】 イナダはブリの成長途中の大きさの一つの名称。主に関東でイナダ、主に関西でハマチと称する。ブリは出世魚と呼ばれ大きさによって呼び方が変わる。 《出世魚・ブリの名前》 20cm未満 30cm未満 60cm未満 70cm未満 70cm以上 関東 ワカシ イナダ ワラサ メジロ ブリ 関西 ツバス ハマチ メジロ ブリ 全国各地で様々な呼び方がある。
  1. 【参考】佐々木味津三 「旗本退屈男 第五話 三河に現れた退屈男」: それまで背の上の主人共々、心地よげに水を浴びていた黒鹿毛が、突然高くふた声三声 嘶 ( いなな ) くと、背に若者を乗せたまま、抑え切れぬ感興をでも覚えたかのように、さッと岸辺に躍り上がりながら、
  2. 【参考】薄田泣菫 「独楽園」: 出しぬけに遠くの方から馬の嘶きが聞えて来た。それを聞くと、こちらの馬も黙ってはいなかった。元気よく首をふりあげて、一声高く嘶き返した。
  1. 【参考】吉川英治「私本太平記 世の辻の帖」: その数百歩の間にも、やむまなく、風がつよい。稲妻は、彼の弔花のようだった。やがて松の下へ、彼が坐ったと見えたせつなも、一 閃 ( せん ) のいなびかりが、松のみどりを、ぱっと浮かせた。

『 延喜式 ( えんぎしき ) (延長5年〈927年〉[]成立)』には、「初穂をば 千 ( ち ) 穎 ( かい ) 八百 ( やほ ) 穎 ( かい ) に 奉 ( まつ ) り 置 ( お ) きて」と見られる。

  1. 【参考】喜田川守貞 「守貞謾稿 巻之二十六(春時) 」: 二月 初午 ( はつうま ) 日 諸国ともに稲荷明神を祭る。〈中略〉江戸にては、武家および市中稲荷祠ある事、その数知るべからず(武家、および市中巨戸、必ずこれあり。また一地面、専ら一、二祠これあり。これなき地面はなはだ稀とす)。
【編集注】「守貞謾稿(もりさだまんこう)」は、天保8年(1837)から慶応3年(1867)まで、30年間にわたって書かれた江戸時代後期の風俗史。 []
  1. 【参考】甲賀三郎 「支倉事件」: その際の遺言状一通、委任状一通何れも根も葉もなきことにて、
  2. 【参考】大杉栄 「獄中消息」: 書信係の看守が来て、典獄宛でこういうものが来ているがどうするかと言う。見るとあの一葉の委任状だ。
【知識】 明治18年〈1885年〉に出版された「尺牘便覧(せきとくべんらん)」の〔狗・猫〕の項に「一畜(キク)」とある。 ※ 匹、頭は大きさなどで使い分けられることがある。匹は主に小型のもの、頭は主に大型のもので。介助犬・救助犬・警察犬などは「頭」と数えることが多い。

【知識】 「牙」は、『 貞丈雑記 ( ていじょうざっき ) 』に、「鷹の犬」という表現で、「鷹の犬は一疋・二疋とはいわず、 一牙 ( ひときば ) ・ 二牙 ( ふたきば ) と云うなり」とある。『貞丈雑記』は、 伊勢貞丈 ( いせさだたけ ) が子孫のために書き記した宝暦13年(1763年)以降の雑録を、弟子が校訂して天保14年(1843年)に刊行された江戸時代の有職故実書。 また、同じく江戸室町時代末期に刊行された『大諸礼集』には、「 鷹犬 ( たかいぬ ) をば一 牙 ( げ ) 、かようにかくべきなり」と見られる。

「大諸礼集」に見られる 『 鷹犬 ( たかいぬ ) ・一 牙 ( げ ) 』 「尋常高等小学作文八千題・品物名数」に見られる『鷹の犬・一牙』
  1. 【参考】芥川龍之介 「犬と笛」: それから 髪長彦 ( かみながひこ ) は、二人の御姫様と三匹の犬とをひきつれて、黒犬の背に跨がりながら、 笠置山 ( かさぎやま ) の頂から、 飛鳥 ( あすか ) の 大臣様 ( おおおみさま ) の御出になる都の方へまっすぐに、空を飛んでまいりました。
  2. 【参考】泉鏡花 「鷭狩」: 犬が三頭——三疋とも言わないで、姐さんが 奴等 ( やつら ) の口うつしに言うらしい、その三頭も 癪 ( しゃく ) に障った。
  3. 【参考】国枝史郎 「八ヶ嶽の魔神」: 馭者 ( ぎょしゃ ) を失った犬どもがこの時烈しく吠え出した。三頭ながら空を仰ぎ降りしきる雪に身を 顫 ( ふる ) わせさも悲しそうに吠えるのである。
  1. 【参考】国枝史郎 「八ヶ嶽の魔神」: 「これ! 畜生!」と叱りながら二人はそっちへ近寄って行く。そこに一台の 犬橇 ( いぬぞり ) があって人の乗るのを待っていた。
【知識】 奄美大島では、かつて、刈り取った一握りの稲を三把合わせた一把を一タバリ、一タバリを八つで一束(つか)と言ったと、江戸時代の文献「南島雑話」に見られる。[下記作品参照]
  1. 【参考】島木健作「黎明」: 今年の稲のでけのよかったというたら! 一株刈ってこうつかんで見てもいつもの年たあ重さがちがうんじゃ。
  2. 【参考】国枝史郎「仇討姉妹笠」: いや 誠心 ( まごころ ) で祈りさえしたら、一本の稲から無数の穂が出て、花を咲かせて実りさえするよ
  3. 【参考】芥川龍之介「一塊の土」: お前さんとこのお民さんは顔に似合はなえ力があるねえ。この間も 陸稲 ( おかぼ ) の大束を四 把 ( ぱ ) ずつも背負って通ったじゃなえかね。
  4. 【参考】 名越 左源太 ( なごや さげんた ) 「南島雑話 大嶹漫筆」: ○ 耕芸 ( こううん ) 之事 附稲再熟之事 《中略》 稲を刈る時、片手にて稲を一握ずつ合わせ一 把 ( わ ) にして、其一把を又三つ合わせ一把になして、是を一タバリと云う。一把の事、島民一タバリと云う。《中略》其一タバリの一把を八つ集めて一つになしたるを一 束 ( つか ) と云う。一束の稲、斤目弐拾五斤(百六十目、一斤の 賦 ( つもり ) )米にして四升あるなり。一束の米四升に賦るは不易の賦なり(実入り最上の稲は六、七升あるべし)。
【知識】 『和漢音釈書言字考節用集(元禄11年・1698年)』に、猪・鹿を「一頭(ひとかしら)」と数えると見られる。 ※ 文化財では一基という表現が見られる。
  1. 【参考】島崎藤村「夜明け前 第二部下」: お一人(ひとり)は万福寺の開基、お一人は中興の開基でもありますから、この二本の位牌だけはぜひとも寺にお残しを願いたい。
  2. 【参考】森鷗外「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」: 床の間に並べ有之候御 位牌 ( いはい ) 三基は、某が奉公 仕 ( つかまつ ) りし細川越中守 忠興 ( ただおき ) 入道宗立三斎殿御事松向寺殿を 始 ( はじめ ) とし、
【知識】 「一帳(ひとはり」は、『和漢音釈書言字考節用集(元禄11年・1698年)』に見られる。
  1. 【参考】長塚節「隣室の客」: それは小遣としては少し多過ぎた請求であったが、衣服一枚拵えたいのだというのを聞いてそれにしては余りに少ないのではないかと思った。
  2. 【参考】正岡子規「病」: もっとも着物は洋服一枚着たきりで日本服などはない、 外套 ( がいとう ) も引っかけたままで寝て居るのである。
  3. 【参考】太宰治 「津軽」: 私には背広服が一着も無い。勤労奉仕の作業服があるだけである。それも仕立屋に特別に注文して作らせたものではなかった。
  4. 【参考】紫式部 与謝野晶子訳 「源氏物語 梅が枝」:源氏は贈り物に、自身のために作られてあった 直衣 ( のうし ) 一領と、手の触れない 薫香 ( くんこう ) 二壺 ( ふたつぼ ) を宮のお車へ載せさせた。
  5. 【参考】喜田川守貞 「守貞謾稿 巻之十八(雑服 付 雑事) 」: 二つ襟、三つ襟 衣服二領あるいは三領を重服して二領三領ともに格別に合わせず、二領三領ともに一つに左右を合わすを二つえり、三つ衿と云う。昔は専ら二領三領ともに格別にあわすなり。まず下着の左右を合わせ、次に中着の左右、次に表服の左右と別々に合わすなり。これを今は江戸にて、てん/″\前と云う。てん/″\は手に/\の略、京坂に云うめい/\にて、各自の意なり。
【編集注】「守貞謾稿(もりさだまんこう)」は、天保8年(1837)から慶応3年(1867)まで、30年間にわたって書かれた江戸時代後期の風俗史。 [] ※ 文化財では一幅、一点という表現が見られる。
  1. 【参考】太宰治 「作家の手帖」: 七夕とは一体、どういう意味のお祭りなのか更にくわしく知りたくさえなって来て、二つ三つの辞書をひいて調べてみた。けれども、どの辞書にも、「手工の巧みならん事を祈るお祭り」という事だけしか出ていなかった。これだけでは、私には不足なのだ。もう一つ、もっと大事な意味があったように、私は子供の頃から聞かされていた。
  2. 【参考】三木清 「親鸞」: 機という字は普通に天台大師の『法華玄義』に記すところにしたがって、微・関・宜の三つの意味を有するとされている。
  1. 【参考】田山花袋 「秋の岐蘇路」: 顧れば、われは身に一枚の 藺席 ( ござ ) を纏ひ、しほたれたる白地の 浴衣 ( ゆかた ) を着、脚には 脚絆 ( きやはん ) も 穿 ( うが ) たず、
  2. 【参考】吉川英治「宮本武蔵 二天の巻」: 武蔵が坐ると、 藺席 ( いむしろ ) のすそに彼も坐って手をつかえながら、欣びを述べるつもりで直ぐいった。
  1. 【参考】佐左木俊郎 「芋」: しかし、夕方まで籔をかきまわしたが、医者の家に持って行けそうな山芋は、一本も掘れなかった。
  1. 【参考】森鴎外 「柵草紙の山房論文」: 芋蟲一疋を解剖するにも、人間を解剖するにおなじく、其間に上下優劣をおかぬ動物學者の心こそ頼もしけれ。批評とはもと 褒貶 ( はうへん ) の 謂 ( いひ ) にあらず。
  1. 【参考】織田作之助 「大阪発見」: 御寮人さんはその一軒の低い軒先をはいるなり、実は 女子衆 ( おなごし ) に子供がちょっともなつかしまへんよってと、うまい口実を設けていもりの雄雌二匹を買った。
※ 形状などによって様々です。

【知識】 「剤(ざい)は、『 延喜式 ( えんぎしき ) (延長5年〈927年〉[]成立)』に「呉茱萸丸・勺薬丸・温白丸各一剤、犀角丸三 分 剤之一、神明膏・万病膏各二剤、升麻膏・賊風膏各三剤、 神明白散五十二剤、度嶂散二剤、屠蘇二剤」などと見られる。

【知識】 「一裹(つつみ)は、『太平記』に見られる。『太平記』は、作者不詳。『日本国語大辞典』によれば、応安年間(1368〜75)の成立か。 『太平記』に見られる「一裹(つつみ)」 [国立国会図書館蔵] 【知識】 「一貼(ひとつけ」は、『和漢音釈書言字考節用集』に見られる。 『和漢音釈書言字考節用集』に見られる 「一貼(ひとつけ」 [札幌市中央図書館蔵] 【知識】 「貝(かい・ばい)」は、貝殻に入れた薬などの容器を数えるのに使われる。容器には主にハマグリの殻が使われる。 『 言継卿記 ( ときつぐきょうき ) (弘治二年〈1556年〉九月廿七日)』「并老母官女妙祐に帯一筋、雀、こまはりこ等一包、あちに帯二筋、薫物三貝遣之、又牟礼所へ隼人佐為使牛黄円二貝等遣之、」 *「薫物(たきもの)」は、香料を合わせてつくった練香(ねりこう)。 *「牛黄円(ごおうえん)」は、牛黄を用いて作った丸薬。 『言継卿記(弘治二年〈1556年〉十月二日)』「仍各留守之間午下刻老母見舞に罷向、牛黄円、麝香丸二貝宛進之、先雑煮にて一盞有之、」 『言継卿記(弘治三年〈1557年〉一月九日)』「以隼人佑昨日之樽之礼申遣、次中御門へ蓽撥円二貝遣之、次大沢に目薬一貝遣之」
  1. 【参考】中里介山 「大菩薩峠 黒業白業の巻」: 米友は橋の欄干に、一領の衣類がひっかかっているのを見ました。それは身分ある女の着るべき 裲襠 ( うちかけ ) であります。
  2. 【参考】甲賀三郎 「支倉事件」: 包みを解いて見ると、中から出たのは一 襲 ( かさね ) の衣類、羽二重の白無垢である。
  1. 【参考】泉鏡花 「卵塔場の天女」: 紅 ( あか ) き、青き、また黄なる 魚貝 ( ぎょばい ) を手に手に、 海豚 ( いるか ) が 三頭 ( さんびき ) 、渋柿をぶら提げたような 恰好 ( かっこう ) で、 傘 ( からかさ ) の辻から紅屋の店へ入ったが、
  2. 【参考】泉鏡花 「遺稿」: 宿縁に因って佛法を信じ、霊地を巡拜すると聞く、あの海豚の一群が野山の霧を泳いで順々に朦朧と列を整へて、ふかりふかりと浮いつ沈んつ音なく頭を進めるのに似て、稲塚の藁の形は一つ一つ其の頂いた幻の大な笠の趣がある。
※ イルリガートルは、イリガートルとも。Irrigator
  1. 【参考】岡本綺堂 「はなしの話」: ややもすれば歯痛に 苦 ( くるし ) められて、上下に幾枚の義歯を 嵌 ( は ) め込んでいた。
  2. 【参考】寺田寅彦 「自由画稿」: 入れ歯を一そろい作ってこの使いの者に渡してくれ」とのことであった。
  1. 【参考】菊池寛 「入れ札」: 入れ札と云う声を聴いたとき、九郎助は悪いことになったなあと思った。今まで、表面だけはともかくも保って来た自分の位置が、露骨に 崩 ( くず ) されるのだと思うと、彼は厭な気がした。十一人居る乾児の中で自分に入れてくれそうな人間を考えてみた。が、それは弥助の 他 ( ほか ) には思い当らなかった。弥助も九郎助と同様に、古い顔であって、後輩の浅太郎や、喜蔵などが、グングン頭を 擡 ( もた ) げて来るのを、常から快からず思っているから、こうした場合には、きっと自分に入れてくれるだろうと思った。が、弥助だけは自分に入れてくれるとしても、弥助の一枚だけで、三人の中に 這入 ( はい ) ることは考えられなかった。浅太郎には四枚入るだろうと思った。喜蔵に三枚入るとして、十一枚の中、後へ四枚残る。その中、自分の一枚をのけると三枚残る。もし、その中、二枚が、自分に入れられていれば、三人の中に加わることは出来るかも知れないと思った。が、弥助の他に、自分に入れてくれそうな人は、どう考えても当がなかった。ひょっとしたら、 並川 ( なみかわ ) の才助がとも思った。あの男の若い時には、可成り世話を焼いてやった覚えがある。が、それは六七年も前のことで、今では『浅阿兄、浅阿兄』と、浅にばかりくっ付いている。そう思うと、弥助の入れてくれる一枚の他には、今一枚を得る 当 ( あて ) は、どうにもつかなかった。乾児の中で 年頭 ( としがしら ) でもあり、一番兄分でもある自分が、入れ札に落ちることは――自分の信望が少しも無いことがまざまざと表われることは、もう既定の事実のように、九郎助には思われた。不愉快な寂しい感じに 堪 ( た ) えられなくなって来た。
  1. 【参考】夏目漱石 「子規の画」: 壁に 懸 ( か ) けて眺めて見るといかにも 淋 ( さび ) しい感じがする。色は花と茎と葉と 硝子 ( ガラス ) の 瓶 ( びん ) とを合せてわずかに 三色 ( みいろ ) しか使ってない。
  2. 【参考】有島武郎 「一房の葡萄」: 手早くその箱の蓋を開けて藍と洋紅との 二色 ( ふたいろ ) を取上げるが早いかポッケットの中に押込みました。
  3. 【参考】高村光雲 「幕末維新懐古談 彫刻修行のはなし」: 箔にも種類があって、一つの製品を金にするにも金箔を使うのと、同じ金であっても、金粉を 蒔 ( ま ) いて金にするのと 二色 ( ふたいろ ) ある。
  4. 【参考】林芙美子 「美しい犬」: きれいなローソクの灯のような五色の光の色が、ペットのはかない眼のさきにちらちらするような氣がしてきた。
  1. 【参考】泉鏡花 「草迷宮」: あの、岩一枚、子産石(こうみいし)と申しまして
  2. 【参考】泉鏡花 「草迷宮」: ただ切立(きった)ての巌(いわ)一枚、
  1. 【参考】坂口安吾 「水鳥亭」: 女房や娘の汚くて意地悪い表現によって、一匹のイワシに泣く己れの姿をシテキされては、もうオシマイであった。彼は逆上しながら、口をつぐんで、うなだれてしもう。
  2. 【参考】宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」: 今は一 缶 ( かん ) 十セントです。 鰯 ( いわし ) なら一缶がまあざっと七百 疋 ( ぴき ) 分ですねえ、
  3. 【参考】太宰治 「葉」: 私は鰯を一尾なげてやった。ねこは逃げ腰をつかいながらもたべたのだ。
  4. 【参考】金田千鶴 「夏蚕時」: いよいよなんにも買へん時節が来ちまったな。そいだがたまにゃァ鰯の一本も食いたくなるしなあ……
※ 文化財では一顆という表現が見られる。 【知識】 「隻」は、『多度神宮寺伽藍縁起資財帳(延暦20年〈801年〉)』に見られる。
  1. 【参考】森鷗外 「渋江抽斎」: 東堂が質に入れたのは、銅仏 一躯 ( いっく ) と 六方印 ( ろくほういん ) 一顆 ( いっか ) とであった。
  2. 【参考】森鷗外 「津下四郎左衛門」: 印 ( いん ) 一 顆 ( か ) があって、文に「菅氏」と 曰 ( い ) ってあった。
  3. 【参考】芥川龍之介 「遺書」: 勝峯晋風氏より「潮音」数冊。下島先生より印数顆、室生君より印二顆。(印は所持者に見て貰ふべし。)
  4. 【参考】北大路魯山人 「陶磁印六顆を紹介する」: 磁印 ( じいん ) 、 陶印 ( とういん ) 取り混ぜ六顆をご紹介する。 中国の青磁と染付、朝鮮の高麗青磁、日本の古瀬戸、この中、中国と朝鮮はすでにお馴染みかも知れないが、古瀬戸の陶印に至っては珍とする人があろう。
  1. 【参考】海野十三 「什器破壊業事件」: その手には写真の 印画紙 ( いんがし ) らしいものを二三枚もっているが、いま水から上げたばかりと見えて 水滴 ( すいてき ) がぽたぽた床のうえに落ちた。
※ 文化財では一顆という表現が見られる。
  1. 【参考】森鷗外 「渋江抽斎」: 東堂が質に入れたのは、銅仏 一躯 ( いっく ) と 六方印 ( ろくほういん ) 一顆 ( いっか ) とであった。
  2. 【参考】森鷗外 「津下四郎左衛門」: 印 ( いん ) 一 顆 ( か ) があって、文に「菅氏」と 曰 ( い ) ってあった。
  1. 【参考】内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」: いい万年筆を選んで、自分で使い慣らしてからインキを一瓶つけて持たせてやったことがあるが、
  1. 【参考】久生十蘭 「海豹島」: だんだんうちとけてきましてみょうりにつきるほどやさしくいたし、とうとうふうふになって、この島でたった二人きりで二羽のインコのように仲よくくらしていたのであります。
【知識】 一台は、製本用に折る前の状態での一枚のこと。通常、一台は最大で16ページ分。 【知識】 一折は、印刷した一枚の紙をページ数に合わせて折る数。または、折ったひとまとまり。 【知識】 「巻」は、全集物などで使われ、古代の書物が巻物(巻子本)であったことの名残。
  1. 【参考】上司小劍 「鱧の皮」: 束になった葉書や手紙の中から、赤い印紙を二枚貼った封の厚いのを取り出した。
※ 文化財では一顆という表現が見られる。
  1. 【参考】森鷗外 「津下四郎左衛門」: 印 ( いん ) 一 顆 ( か ) があって、文に「菅氏」と 曰 ( い ) ってあった。
※ 文化財では一顆という表現が見られる。
  1. 【参考】牧野信一 「貧しき日録」: 最初計画した小説は失敗したので、折角の日録も不用になつていたが、後に「スプリングコート」の時に一二個所引用した。その日録のあまりが、十四五枚未だに彼の筐底に残っていた。
  2. 【参考】堀辰雄 「(アンデルゼンの「即興詩人」)」: アヌンチアタのモデルとなつた女性のことなんぞが語られたりしてゐて、なかなか面白い。此処にその一節を引用して見よう。
  3. 【参考】宮本百合子 「十月の文芸時評」: 最後の一句のおかげで、旧約聖書の雅歌の一くさりまでを引用し、築かれた幻想の世界はにわかに作者自身によってかきまわされ、こわされ、読者は索然と、何か作文を読まされたような感想を抱くのである。
  4. 【参考】豊島与志雄 「作家的思想」: 以上、簡単に引用したのであるが、いずれも大作のことであるから、実は少くとも二三頁は引用しなければ充分ではあるまい。然しこの数行によっても、大体のことは分る。
※ 文化財では一具、一合という表現が見られる。 『籬菊蒔絵印籠』全体表 (江戸時代 19c) 『籬菊蒔絵印籠』全体裏 (江戸時代 19c) 『木蓮オウム蒔絵螺鈿印籠』 山田常嘉斎作 (江戸時代 19c) 『木蓮オウム蒔絵螺鈿印籠』 山田常嘉斎作 (江戸時代 19c) 〔メトロポリタン美術館蔵〕
  1. 【参考】中里介山 「大菩薩峠 間の山の巻」: それは思いがけなく一組の 印籠 ( いんろう ) でありました。
  2. 【参考】中里介山 「大菩薩峠 禹門三級の巻」: 懐ろから黒塗りの四重印籠を二組取り出して、道庵の前へ並べました。
  3. 【参考】喜田川守貞 「守貞謾稿 巻之四(雑器および嚢) 」: 印籠 ( いんろう ) 《中略》守貞云う、今世は一、二、三重ともにすべて薬籠とは云わず印籠と云うなり。しかも 印璽 ( いんじ ) を納むる人は稀にて、薬品を納むことを専らとす。