ものの数え方一覧 | 助数詞一覧= わ行 - わ =
ものの数え方・助数詞の一覧です。このページは『わ行−わ』です。日本語(にほんご)には、数を表す語につけてその物の形や性質などを示す、助数詞と言われる接尾語がたくさんあります。「一棹(ひとさお)・二棹(ふたさお)」の「棹」、「一挺(いっちょう)、二挺(にちょう)」の「挺」などです。ここではその一部を紹介します。研究や学習にお使いの際は、辞典・専門書などでご確認ください。『みんなの知識 ちょっと便利帳』の一部です。
- 【参考】芥川龍之介「誘惑 ――或シナリオ――」: それ等の火取虫の一つ。火取虫は空中を飛んでいるうちに一羽の 鷲 ( わし ) に変ってしまう。
- 【参考】石川啄木「菊池君」: 無際限の世界が、唯モウ 薄光 ( うすあかり ) の射した淡紅色の世界で、 凝 ( じつ ) として居ると遙か/\向ふにポツチリと黒い点、千里の空に鷲が一羽、と思ふと、段々近いて来て、大きくなつて、世界を掩ひ隠す様な翼が、目の前に来てパツと消えた。
- 【参考】土井晩翠「天地有情」: 鷲
【知識】 『一穴(けつ)』:便器の数を、その形状から「穴(けつ)」と数える場合があることが、業界のカタログなどで確認されています。ちなみに、大便用と小便用を兼ねる便器のことを『一穴』と言います。 『一器(き)』:便器の数を「器(き)」と数える場合があることが、業界のカタログなどで確認されています。ただし、『うつわ』である『器(き)』を助数詞として使う物は現時点では他に見当たりません。また、『器(き)』を「ものを数える語」としている辞典類も現時点では見当たりません。情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらご連絡ください。
【知識】 「一組・一揃」は、和食器では五客もしくは十客を、洋食器では六客もしくは十二客をいう。 ※ 文化財では一艘という表現が見られる。- 【参考】島崎藤村「夜明け前 第二部上」: ちょうど入港する異国船が 舳先 ( へさき ) に二本の綱をつけ、十 艘 ( そう ) ばかりの和船にそれをひかせているばかりでなく、
- 【参考】田山花袋「朝」: 涼しい 樹陰 ( こかげ ) に五六艘の 和船 ( わせん ) が集って碇泊して居るさまが絵のように下に見えた。帆を舟一杯にひろげて干して居るものもあれば、 陸 ( おか ) から一生懸命に荷物を積んで居るものもある。
【知識】 寛政8年・1796年[今から ]に編纂された『 都会節用百家通 ( とかいせつようひゃっかつう ) 』の「糸」の項に、「今は一把と云う」とある。また、「一屯」に「ヒトマロメ」との読み方も記されている。
【参考】 『日本書紀 巻第二十九 天武天皇紀下』 冬十月壬寅朔乙巳、恤京內諸寺貧乏僧尼及百姓而賑給之、一毎僧尼各絁四匹・綿四屯・布六端、沙彌及白衣各絁二匹・綿二屯・布四端。- 【参考】海野十三「空襲警報」: そしてまた底の方をすこしすかせ、綿を三枚ほど重ねて蓋をした。
- 【参考】山本周五郎「樅の木は残った 第一部」: 十二月二十五日、――伊達家では亀千代の家督の礼として、 基近 ( もとちか ) の太刀、棉五百 把 ( ぱ ) 、銀五百枚を将軍家に献上した。
- 【参考】二葉亭四迷「平凡」: それよりは 其隙 ( そのひま ) で内職の 賃訳 ( ちんやく ) の一枚も余計にして、もう、これ、冬が近いから、家内中に綿入れの一枚も 引張 ( ひっぱ ) らせる算段を 為 ( し ) なければならぬ。
- 【参考】種田山頭火「行乞記 (一)」: もう借衣ではいけないらしい、どなたか、綿入一枚寄附してくだされ、
- 【参考】岡本綺堂「綺堂むかし語り」: 徳の野郎、あいつは不思議な奴ですよ。なんだか貧乏しているようでしたけれど、いよいよ死んでから其の 葛籠 ( つづら ) をあらためると、小新しい 双子 ( ふたこ ) の綿入れが三枚と羽織が三枚、銘仙の着物と羽織の揃ったのが一組、帯が三本、印半纏が四枚、ほかに浴衣が五枚と、それから現金が七十円ほどありましたよ。
- 【参考】岡本綺堂「半七捕物帳 旅絵師」: 文政四年五月十日の朝、五ツ(午前八時)を少し過ぎた頃に、奥州街道の栗橋の関所を無事に通り過ぎた七、八人の旅人がぞろぞろ 繋 ( つな ) がって、 房川 ( ぼうかわ ) の 渡 ( わたし ) (利根川)にさしかかった。そのなかには一人の若い旅絵師がまじっていた。渡し船は幾 艘 ( そう ) もあるので、このひと群れは皆おなじ船に乗り込んで、河原と水とをあわせて三百間という大河のまん中まで漕ぎ出したときに、向うから渡ってくる船とすれ違った。
- 【参考】木下尚江「火の柱」: 客去りて 車轍 ( くるま ) の 跡 ( あと ) のみ 幾条 ( いくすじ ) となく砂上に 鮮 ( あざや ) かなる山木の玄関前、庭下駄のまゝ 枝折戸 ( しをりど ) 開けて、二人の 嬢 ( むすめ ) の手を 携 ( たずさ ) えて現われぬ、
- 【参考】宮本百合子「貧しき人々の群」: 中央に二本通っている車の 轍 ( わだち ) の跡の溝には、茶色の泥水がゴッゴッと云って流れて行った。
- 【参考】泉鏡花「註文帳」: 縦横に乱れ合った足駄 駒下駄 ( こまげた ) の 痕 ( あと ) も、次第に二ツとなり、三ツとなり、わずかに 凹 ( くぼみ ) を残すのみ、車の 轍 ( わだち ) も 遥々 ( はるばる ) と長き一条の 名残 ( なごり ) となった。
- 【参考】木下尚江「火の柱」: 客去りて 車轍 ( くるま ) の 跡 ( あと ) のみ 幾条 ( いくすじ ) となく砂上に 鮮 ( あざや ) かなる山木の玄関前、庭下駄のまゝ 枝折戸 ( しをりど ) 開けて、二人の 嬢 ( むすめ ) の手を 携 ( たずさ ) えて現われぬ、
- 【参考】堀辰雄「姨捨」: 朝がた、東の方の黒ずんだ森から、秋の渡り鳥らしいのが一群、急に思い出したように一しょに飛び立って、空を暗くしては山の彼方へ飛び去って往くのなんぞを、女は何がなしいつまでも見送っていた。
- 【参考】永井荷風 「申訳」: 僕が小石川のはずれまでぺこぺこ頭を下げに行ったことも結局何のやくにも立たず、取られるものは矢張取られる事になった。それのみならず金に添えて詫状一札をも取られるという始末である。
- 【参考】中里介山 「大菩薩峠 勿来の巻」: こんな一重ねの着物を、わたしの寝ている間に着せかけてくれたから、
- 【参考】泉鏡太郎「神鑿」: 其 ( そ ) の 一襲 ( ひとかさ ) ねの 色衣 ( いろぎぬ ) を、 船 ( ふね ) の 火 ( ひ ) に 向 ( むか ) って 颯 ( さっ ) と 投 ( な ) げる、と
- 【参考】太宰治 「姥捨」: わら一本、それにすがって生きていたのだ。ほんの少しの重さにもその 藁 ( わら ) が切れそうで、私は一生懸命だったのに。
- 【参考】太宰治 「困惑の弁」: けれども私は、 藁 ( わら ) ひとすじに 縋 ( すが ) る思いで、これまでの愚かな苦労に執着している
- 【参考】国枝史郎 「南蛮秘話森右近丸」: お 腹 ( なか ) の 減 ( へ ) っている者は、決して食物を選ばない。水に溺れている者は一筋の藁さえ掴もうとする。民弥の心は 手頼 ( たよ ) りなかった。
- 【参考】有島武郎 「惜みなく愛は奪う」: 私は八方 摸索 ( もさく ) の結果、すがり附くべき一茎の 藁 ( わら ) をも見出し得ないで、 已 ( や ) むことなく 覚束 ( おぼつか ) ない私の個性
- 【参考】徳冨健次郎 「みみずのたはこと」: 一束ずつ奇麗に結わえた 新藁 ( しんわら ) は、
- 【参考】宮沢賢治 「オツベルと象」: ある晩象は象小屋で、三把の藁をたべながら、
- 【参考】夏目漱石 「正岡子規」: 又正岡はそれより前漢詩を 遣 ( や ) っていた。それから一六風か何かの書体を書いていた。其頃僕も詩や漢文を遣っていたので、大に彼の 一粲 ( いっさん ) を博した。
- 【参考】芥川龍之介 「続野人生計事」: 予は勿論彼等の道楽を排斥せんとするものにあらず。予をして当時に生まれしめば、戯れに 河童晩帰 ( かつぱばんき ) の図を作り、山紫水明楼上の 一粲 ( いつさん ) を博せしやも 亦 ( また ) 知る可からず。
- 【参考】泉鏡花 「縷紅新草」: 巻初に記して 一粲 ( いっさん ) に供した俗謡には、二三行、
- 【参考】夏目漱石 「草枕」: 軒下 ( のきした ) から奥を 覗 ( のぞ ) くと 煤 ( すす ) けた 障子 ( しょうじ ) が立て切ってある。向う側は見えない。五六足の 草鞋 ( わらじ ) が 淋 ( さび ) しそうに 庇 ( ひさし ) から 吊 ( つる ) されて、 屈托気 ( くったくげ ) にふらりふらりと揺れる。下に 駄菓子 ( だがし ) の箱が三つばかり並んで、そばに五厘銭と 文久銭 ( ぶんきゅうせん ) が散らばっている。
- 【参考】金田千鶴 「夏蚕時」:俺ァの時分には、朝飯前に六把の朝草はきっと刈ったんだでなあ——。それで夜業にゃ草鞋なら二足、草履なら三足とちゃんと決っとったもんだ!
- 【参考】小島烏水 「白峰山脈縦断記」: 今日は殊に岩石の多い傾斜地を来たので、今までは一日一双か二双位の 草鞋 ( わらじ ) が、平均五双ずつを費やした、
- 【参考】佐々木味津三 「右門捕物帖 のろいのわら人形」: ありゃ 急々如律令 ( きゅうきゅうにょりつれい ) というのろいことばのかしら文字さ。のろいの人形に急と書いて一体、同じく急と書いてもう一体、最初の晩には二カ所に打ちつけて、二日めに如と書いたのが一体、三日めに律と書いて一体、四日めに最後の令の字人形の一体を打って祈り止めにするのが、昔から丑の時参りのしきたりなんだ。けさひげすり閻魔と妙見堂でお目にかかったあの二体は、ゆうべが初夜ののろいぞめのその二つだよ。
- 【参考】矢崎嵯峨の舎 「初恋」: 始めのうちは皆一とこで採ッていたが、たちまち四五間七八間と離れ離れになッて採り始めた、そして一本の蕨を二人が一度に見つけた時などは、騒ぎであッた。
- 【参考】佐藤垢石 「にらみ鯛」: 蛤 ( はまぐり ) は一箇の代銀二厘六毛、貝の縦の長さ二寸が標準であった。小鳥は、十羽の代が銀一分七厘三毛。蕨は、一把五十本束代銀五厘二毛、などというのであった。
- 【参考】宮本百合子 「声」: 殊に既往一ヶ月余り、地べたの上へ 黍稈 ( むぎわら ) を敷いて寝たり、石の上、板の上へ毛布一枚で寝たりという境涯であった者が、 俄 ( にわか ) に、蒲団や藁蒲団の二、三枚も重ねた寝台の上に寝た時は、まるで極楽へ来たような心持で、これなら死んでも善いと思うた。
- 【参考】與謝野晶子 「午後」: 掛蒲団の下かけのはしをもう一枚藁蒲団の下に挟みながらマリイが答えた。
【知識】 「 一箪 ( いったん ) の 食 ( し ) 一瓢 ( いっぴょう ) の 飲 ( いん ) 」という言葉がある。「わりご一杯の飯と、ふくべ一杯の飲み物」のことで「きわめて貧しい生活」のことを指す。
【知識】 江戸時代、割り箸状の箸を「引き裂き箸」「 裂箸 ( さきばし ) 」などとも呼んでいたことが文献に残されている。[下記作品参照] 【参考】 江戸時代の文献に見られる「箸・一膳/一揃」 ※ 江戸時代にも似たような違和感を持った人がいたらしく、「一膳」を「一本」ととらえたとする次のような川柳が残されている。[下記文献参照]- 山出しの下女割箸を二膳つけ 菅子
- 【参考】相馬愛蔵、相馬黒光 「一商人として ――所信と体験――」: 店に帰ると家でも一割引の計画中だ。もう一万枚の割引券は立派に出来上がって来ているのだ。
- 【参考】梶井基次郎 「冬の日」: 帰るきわに彼は紙入のなかから乗車割引券を二枚、 「学校へとりにゆくのも面倒だろうから」と言って堯に渡した。
【参考】 『吉川英治/三国志 赤壁の巻』 孔明の掌にも、火の一字が書いてあったし、周瑜の掌にも、火の字が書かれてあった。 「おお、 割符 ( わりふ ) を合わせたようだ」 二人は高笑してやまなかった。
『訓蒙図彙』に見られる「割符」 「 訓蒙図彙 ( きんもうずい ) 」は、 中村惕斎 ( なかむらてきさい ) によって、江戸時代の寛文6年〈1666年〉[] に著された日本初とされる図解事典。「訓蒙図彙」を見る- 【参考】宮本百合子 「声」: 柱には、縦に深く一本割れ目がついて居た。女は、きっとその割け目に耳をおしつけて居た。
- 【参考】岡倉覚三 村岡博訳「茶の本」: ただ一個の 碗 ( わん ) から 聖餐 ( せいさん ) のようにすこぶる儀式張って茶を飲むのであった。
- 【参考】徳田秋声 「新世帯」: 新吉が胸をワクワクさせている間に、五台の腕車が、店先で 梶棒 ( かじぼう ) を 卸 ( おろ ) した。
- 【参考】木下尚江 「火の柱」: 山木剛造の玄関には二輌の 腕車 ( わんしゃ ) 、其の 轅 ( ながえ ) を 揃 ( そろ ) えて、 主人 ( あるじ ) を待ちつゝあり、
- 【参考】泉鏡花「照葉狂言」: 朝 ( あした ) より 夕 ( ゆうべ ) に至るまで、 腕車 ( くるま ) 、 地車 ( じぐるま ) など一輌も 過 ( よ ) ぎるはあらず。
- 【参考】宮本百合子 「自覚について」: 同じ一枚のワンピースがほんとうに若い女性の生活をいたわり働く婦人の身だしなみをいたわって、