古代文明 確認
古代文明 確認

古代文明 確認

古代文明 確認 エジプトでは毎年夏にナイル川がはんらんし、それによって養分の多い土地で農耕が発達した。さらにナイル川のはんらんの時期を知るために天文学が発達した。このことからエジプトはナイルのたまものと言われる。 エジプトでは紀元前3000年頃、強力な王のもとに統一国家が生まれ、強力な王権を象徴するのが国王の墓としてピラミッドが作られた。

エジプトでは毎年夏にナイル川がはんらんし、それによって養分の多い土地で農耕が発達した。さらにナイル川のはんらんの時期を知るために天文学が発達した。このことからエジプトはナイルのたまものと言われる。 エジプトでは紀元前3000年頃、強力な王のもとに統一国家が生まれ、強力な王権を象徴するのが国王の墓としてピラミッドが作られた。 また、太陽を基準として1年を365日として12ヶ月に分ける太陽暦が発明され、文字は象形文字が使われた。 チグリス川、ユーフラテス川のほとりのメソポタミアでは紀元前3000年ごろに都市国家が成立し、60進法や七曜制が発明された。 メソポタミア文明では月の満ち欠けに基づく太陰暦が作られ、楔形文字を粘土板にきざんで使用した。 紀元前18世紀頃、バビロニア王国のハンムラビ王はメソポタミアを統一しハンムラビ法典を制定した。 エジプトとメソポタミアを含む地域がオリエントで、ヨーロッパから見て東の土地なので「太陽ののぼる土地」という意味である。オリエントではアルファベットが発明され、紀元前1000年ごろまでには鉄器が普及した。 インダス文明は紀元前2500年頃、インダス川のほとりで生まれた。モヘンジョ・ダロなどの都市が計画的に建設され、上下水道や道路公衆浴場などが整備されていた。 インダス文明ではインダス文字が使われたが、まだ解読されていない。紀元前1500年頃、中央アジアからアーリア人が侵入して先住民族を征服していった。 アーリア人が侵入して、先住民族を征服する過程で身分制度ができはじめた。神につかえる神官(バラモン)を最高の身分とする身分制度でのちにカースト制度となって近年までインド社会に残っている。 中国では黄河や長江の流域で紀元前4000年より前に農耕文明が生まれた。黄河の中・下流域ではあわ・きびなど、長江の下流域では稲作がおこなわれていた。 紀元前16世紀ごろ黄河流域に殷がさかえた。殷ではすぐれた青銅器がつくられたが、青銅器は貴重品だったため使用できるのは身分の高い一部の人々だった。殷ではうらないによる政治がおこなわれた。亀の甲や牛の骨などを火であぶったうらないの結果を記すために甲骨文字が使われた。 紀元前11世紀に周が殷をほろぼしその後、周の支配力が弱まり紀元前8世紀頃には国々が互いに争う戦乱の春秋・戦国時代になった。戦乱の時代に各国が国力を強めるため、青銅器よりかたい鉄製の兵器や農具が使われるうようになった。 紀元前6世紀ごろ、戦乱の時代にあっって乱れた政治や社会を立て直す方法を説く多くの思想家が現れた。その中の一人の孔子が説いた教えが儒教(儒学)である。儒教(儒学)はのちに朝鮮や日本にも伝わり大きな影響を与えた。 紀元前3世紀に、春秋戦国時代の戦乱をおさめて、中国をはじめて統一したのが秦である。初めて中国全土を統一した秦の国王はこれまでの「王」を超える「皇帝」という呼び名を使った。それが始皇帝である。始皇帝は北方の遊牧民の侵入を防ぐため戦国時代に各国が作っていた長城をつないで万里の長城とした。西安(長安)にある始皇帝の墓のそばにならべられた兵馬俑という等身大の兵士や馬の焼き物の人形が約7000体が見つかった。 秦は統一から15年で滅び、かわって漢が中国を統一した。漢は紀元前2世紀には中央アジアも支配下に入れる大帝国になり、前漢、後漢あわせると約400年にわたって中国を支配した。漢と西方との交通路を通って、中国から絹織物が西方へ運ばれたため、この交通路を「シルクロード(絹の道)」と呼ぶ。西方から中国へは馬やぶどう、インドから仏教などが伝わった。漢の時代には中国の四大発明(紙、火薬、印刷、羅針盤)のうち紙が発明された。 漢の武帝は朝鮮にあった国を滅ぼし、支配のために朝鮮半島に楽浪郡を設置した。また、朝鮮半島では紀元前後、朝鮮半島北部からその北にかけての地域で、小国を統一した高句麗がおこった。

中学校英語学習サイト 中学英語の文法、練習問題、リスニング 中学校数学学習サイト 中学数学各単元の要点と練習問題 中学理科の学習 中学理科各単元のまとめ、理科の用語、練習問題 中学数学動画講座 数学の重要事項を動画で効率的に学習できる 高校数学 高校1年数学の要点と練習問題