三浦文学の魅力と底力(17)光世さんの晩年の祈りと静かな最期 込堂一博
三浦文学の魅力と底力(17)光世さんの晩年の祈りと静かな最期 込堂一博 私はクリスチャンとして、甚だ怠惰な人間だと、いつも心から思っている。と言うのも、傍らにいる三浦が、事ごとによく祈るからである。信仰のこと、健康のこと、教会のこと、牧師や信者たちのこと、近所の人たちのこと、世界の平和のことなど、定まった時間に祈ることのほかに、三浦は随時感謝の祈りを捧げる。(『心のある家』)
私はクリスチャンとして、甚だ怠惰な人間だと、いつも心から思っている。と言うのも、傍らにいる三浦が、事ごとによく祈るからである。信仰のこと、健康のこと、教会のこと、牧師や信者たちのこと、近所の人たちのこと、世界の平和のことなど、定まった時間に祈ることのほかに、三浦は随時感謝の祈りを捧げる。(『心のある家』)
こうしたユーモラスな言葉を、三浦はよく言うのだが、これがどれほど家庭を明るくし、二人の間を円満にしていることか。(『それでも明日は来る』)
三浦などは、「いいじゃないか、死ぬということは。死んだら、罪を犯す心配もないし、天国に入らせて下さるという約束はあるし。天国では、もう死ぬことはないんだからね」と、輝いた顔で、永生の希望を語る。わたしは、とてもそういうところには至らない。(『光あるうちに』)
90歳の高齢になられ、三浦綾子記念文学館に出向くことも、講演も、執筆などもほとんどなくなった光世さんは、何をするのでもなくぼーっとされていることが多くなりました。夏の疲れが出て、食欲もなく、かかりつけの佐藤内科医院で診察し点滴治療を受けました。「1週間くらい入院されたらどうでしょう」との勧めがあり、旭川リハビリテーション病院を紹介されました(入院した病院も、担当の丸山純一医師も、綾子さんが召されたときと同じでした)。
10月1日に入院した直前、三浦綾子記念文学館の茶話会のカラオケ大会があり、光世さんも出席され、懐メロなど5曲をお元気に歌われました。(中略)召される3日ほど前、丸山医師から「ここ3日が山です。親しい方々にはすぐ知らせてください」と告げられ、ごく親しい方々に伝えて病院に来ていただきました。ご本人はニコニコと皆さんと談笑されていました。
召された30日の午前中、光世さんはすごく良い笑顔で、私の16年間の秘書としての仕事を感謝し、綾子さんの死や葬儀、営林署時代や教会生活、故郷・滝上での生活などをずっと話されていました。私は午後1時ごろ文学館に出掛け、午後3時ごろ病室に戻りますと、光世さんはすやすやと眠っておられましたので安心して帰宅しました。夜8時ごろ、丸山医師から「大至急病院に来てください」との連絡がありました。急ぎ病室に行きましたが、光世さんは既に意識がなく、「光世先生、光世先生!」と呼び掛けましたが何の反応もありませんでした。夜9時半ごろ静かに眠るように召されました。