出雲振根命と神宝事件
『日本書紀』に登場する出雲神宝事件の概略と伝承地をまとめました。出雲神宝事件の「神宝」とは何か?出雲神宝事件に登場する出雲振根命や飯入根命を祖とする氏族はだれか?古代史ではどのように解釈されているか?
大将軍の神木 大原郡幡屋村大字幡屋に、大将軍御神木といふ老松樹がある。周囲が一丈数尺もあって、青々と繁茂して居る。
古老の口碑に依ると、崇神天皇の六十年に、出雲の遠祖振根が、・・・・中略・・・・・両将軍は意宇の方面から這入し、
字天場で神事を行はせられた。(天場の號此時に初まる)土人は其威徳により、大将軍の名を称へ松を植えて神木とし祭った。
維新以後神事は行わぬやうになった。
『島根県口碑伝説集』島根県教育界編 昭和2年 神原神社と宝神原神社 島根県雲南市加茂町神原1436 赤川拡張工事の前は(1972年)までは、50メー トル北の赤川の近くに鎮座していた。
神原古墳からは、出土した三角縁神獣鏡ばかりが注目されていますが(魏志倭人伝記載の邪馬台国女王卑弥呼が魏から賜った100枚の鏡の一つであったか?)、鉄製素環頭大刀 、 鉄製直刀 、 鉄剣 などの鉄の剣も出土しています。
祭神 磐筒男命・磐筒女命「現在の」祭神は、大国主命・磐筒男(いわつつのお)命・磐筒女(いわつつのめ)命です。宝永 5年(1708年) に広沢漆拾によって書かれた「神原神社縁起」には、 磐筒男命・磐筒女命が祭神 とされています。
磐筒男命・磐筒女命は、聞きなれない神ですが、 刀剣にまつわる神 と言われています。
また物部氏の祭る 経津主神の親神 とも言われています。2度の神宝検校でヤマト王権から派遣されたのが物部氏(武諸隅・物部十千根)であったので、そのことが関係しているかどうかはわかりません。
大原郡斐伊社を武蔵国の氷川神社として勧請 する際に、神原神社に伝わる出雲神宝・十握剣 (とつかのつるぎ)を氷川神社に献上したといいます。
本物の剣をあげたので。その模造品の 剣を神原神社の神宝 としたとあります。
古博二曰ク嘗テ(年代不詳)大原郡斐伊社ヲ武藏國二氷川神社トシテ勧請セラルル二際リ當社二伝ハル出雲神宝十握剣ヲ以テ其ノ御神霊ノ御霊代二奉献ス而シテ其ノ十握剣ヲ模写セシメ永ク當社ノ神宝トセラル今ノ宝剣即チ是ナリト因二記ス十握剣模写ノ宝剣ハ現存セシ
長サ式尺壱寸白鞘ニテヒノカハ上ヤマトノ住人久次(カタカナ書)ノ銘アリシモノ或ハ是ナラント爾ルニ其ノ宝剣ハ安政四年九月ノ度時ノ祠掌山本武凌ノ頃氏子惣代多々納光次郎日野恵藏勝部四郎右衛門速水儀一郎中林健藏及戸長中林祐之助等連書ノ神原神社宝物古器物古文書目録二価テ顕著タリ
又現今ノ氏子中ニモ数多其ノ宝剣ヲ拝観セシモノアリシト雖モ爾後藪次神職ノ交替アリ殊二前杜掌物故ノ現今其ノ所在尚未タ分明ナラス
神原神社の由緒書尾留大明神 旧跡地 島根県雲南市加茂町三代522
御代神社の伝承
(八岐大蛇)の頭は下神原の草枕に、その尾は三代の地に斬り留められたと伝えられ、これを以て中世以来、社号を尾留大明神と称せられた。
特筆すべくは、元の御代神社の社地辺りが三種の神器の一つ天叢雲剣の発祥地である。
オロチあるいは龍の体形そのものが剣の形をしており、剣がその例えであったとしたら、斐伊川・その支流の赤川の川の神としての 龍神は即ち剣 を表わしていたのかもしれません。
考証
「原出雲王権」の終焉説四世紀の初め、列島統一に乗り出したヤマト王権は、原イツモ王権を屈服させるために、当時、東イツモの地に急成長していた意宇氏を懐柔。後に全イツモの王者にしてやることを条件に、ヤマト・オウ連合が成立。内部崩壊から孤立した原イツモはついに滅亡。 ヤマトは約束通りに原イツモの旧領を意宇氏にゆだねる。
速水保孝『原出雲王権は存在した』 山陰中央新報社 井上光貞説以下、引用は 『大化改新』(1954年 要書房発行。補訂版1970年 弘文堂書房発行)です。
上流に熊野神社をもつ意宇川流域一帯と、下流に杵築大社のある簸川流域一帯とは、古墳の分布状態(斎藤忠氏の古墳地名表では前の地帯に三十一、後の地帯に六、また島根半島に十一の古墳をあげている)、古代神社の分布密度(風土記、神明帳)からみて、特にきわだっている
井上光貞『大化改新』(1954年 要書房発行。補訂版1970年 弘文堂書房発行)西部出雲を代表する 今市大念寺古墳 西部の古墳時代後期は、前方後円墳・円墳体制だと言われている。
東部出雲を代表する 山代二子塚古墳 東部の古墳時代後期は、前方後方墳・方墳体制だと言われている。
『出雲国風土記』 出雲郡健部郷の由来 【神門臣古彌】
出雲振根は、神門臣古彌か?健部郷(たけるべごう)。
郡家の正東一十二里二百二十四歩の所にある。先に宇夜里(うやのさと)と名づけたわけは、宇夜都弁命(うやつべのみこと)がその山の峰に天から降っていらっしゃった。
その神の社が今にいたるまで、なおこの場所に鎮座していらっしゃる。だから、宇夜里といった。
後に改めて健部と名づけたわけは、纏向檜代宮御宇天皇(まきむくのひしろのみやに あめのしたしらしめしし すめらみこと)(景行天皇)がおっしゃられたことには、「わたしの御子、倭健命(やまとたけるのみこと)の御名を忘れまい」と健部をお定めになった。
そのとき、神門臣古彌(こみ)を健部とお定めになった。健部臣たちが古から今までずっとここに住んでいる。だから、健部という。
島根県古代文化センター編 『解説 出雲国風土記』 今井出版「健部」は、景行天皇の御子であるヤマトタケルの命の名に因んだ名代(なしろ)と言われます。
名代とは?建部郷(六十五名記載、全員数不明)
建部臣 十三戸 建部首 一戸 建部 四戸
語部君 ニ戸 語部 一戸 鳥取部首 一戸 掃守首 一戸
日置部 一戸 弓削部 二戸 物部 一戸 印支部 一戸 間人部 一戸 争戸 一戸
『出雲国大税賑給歴名帳』(天平11年)本来ならば、「宇夜郷」になるはずだったのに、景行天皇の勅命で、健部が置かれ、「健部郷」になったということをあえて書いているところが、西出雲がヤマト王権に組み敷かれたということを暗示している書き方に思えます。
ただ、出雲臣の祖の出雲振根は、『古事記』には登場せず、 『日本書紀』では、崇神天皇の時代に誅殺され、ヤマトタケルは登場しない のです。
『姓氏録』における登場人物
『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』とは? 鸕濡渟命を祖とする神門臣左京 神別 天孫 出雲宿祢 天穂日命子天夷鳥命之後也
左京 神別 天孫 出雲 天穂日命五世孫久志和都命之後也
右京 神別 天孫 出雲臣 天穂日命十二世孫鵜濡渟命之後也
右京 神別 天孫 神門臣 同上
山城国 神別 天孫 出雲臣 同神子天日名鳥命之後也
山城国 神別 天孫 出雲臣 同天穂日命之後也
神宝事件に関係した人物「鵜濡渟命」の名前が登場しますが、出雲振根命の名前は登場しません。
飯入根命を祖とする土師氏
出雲臣と同族とされる、土師氏(はじし)ですが、相撲の元祖と言われる野見宿祢か、神宝事件に登場する飯入根命を祖としています。
右京 神別 天孫 土師宿祢 天穂日命の十二世の孫、可美飯入根命の後なり(右京神別)
摂津国 神別 天孫土師連 天穂日命十二世孫飯入根命之後也
和泉国 神別 天孫土師宿祢 天穂日命十四世孫野見宿祢之後也
『国造世系譜』は少なくとも十一世から十四世に至る世代では、系統を異にするものを挿入していることは明らかであって、兄弟として並記している伊幣根命・甘美韓日狭・野見宿禰の名は除去しなければならないし、また亦名として注記しているもの、すなわち阿多命の亦名出雲振根や氏祖命の亦名鵜濡渟命の名も無関係なものとして排除しなければならない。
鳥越憲三郎 『出雲神話の誕生』 講談社学術文庫 夕暮れのKAKAをフォローする関連記事
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男性 島根県出雲市で生まれ育ち、島根県松江市に住んでいます。 歴史の世界ではではあまり注目されない氏族伝承や民俗学の記事を中心に書いていきます。