熊野三山とは? わかりやすく解説
「熊野三山」の意味は<p style="padding-bottom: 10px;"><!--AVOID_CROSSLINK-->読み方:くまのさんざん<!--/AVOID_CROSSLINK-->熊野三社(くまのさんしゃ) のこと。Weblio国語辞典では「熊野三山」の意味や使い方、用例、類似表現などを解説しています。
古来、修験道の修行の地とされた。延喜式神名帳には、熊野坐神社(熊野本宮大社)と熊野速玉大社とあるが、熊野那智大社の記載が無いのは、那智は神社ではなく修行場と見なされていたからと考えられている。3社が興ってくると、3社のそれぞれの神が3社共通の祭神とされるようになり、また神仏習合により、熊野本宮大社の主祭神の家都御子神(けつみこのかみ)または家都美御子神(けつみこのかみ)は阿弥陀如来、新宮の熊野速玉大社の熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)または速玉神(はやたまのかみ)は薬師如来、熊野那智大社の熊野牟須美神(くまのむすみのかみ)または夫須美神(ふすみのかみ)は千手観音とされた。熊野の3神は熊野三所権現と呼ばれ、主祭神以外も含めて熊野十二所権現ともいう。
上皇の参詣の先例としては宇多院や花山院の例が知られるが、大規模な熊野詣の契機は永久4年(1116年)に白河院が行った2回目の熊野詣であった。白河院は寛治2年(1088年)に高野山を行幸し、寛治4年(1090年)には最初の熊野詣を、寛治6年(1092年)には金峯山詣を行い、永久4年の熊野詣以降、恒例行事として定着した。高野山でも金峯山でもなく熊野が選ばれた最大の理由は熊野が霊場であるとともに神域としても整備されており、王権守護に対する期待と共に浄土信仰と記紀神話が融合された当時の神仏習合の流れに合致した土地であったからと考えられている [ 3 ] 。それ以降、院政期には歴代の上皇の参詣が頻繁に行なわれ、後白河院の参詣は34回に及んだ。上皇の度重なる参詣に伴い、在地勢力として熊野別当家が形成され [ 4 ] 、熊野街道の発展と共に街道沿いに九十九王子と呼ばれる熊野権現の御子神が祀られた。鎌倉時代に入ると、熊野本宮大社で一遍上人が阿弥陀如来の化身であるとされた熊野権現から神託を得て、時宗を開いた。
熊野三山への参拝者は日本各地で修験者(先達)によって組織され、檀那あるいは道者として熊野三山に導かれ、三山各地で契約を結んだ御師に宿舎を提供され、祈祷を受けると共に山内を案内された。熊野と浄土信仰の繋がりが強くなると、念仏聖や比丘尼のように民衆に熊野信仰を広める者もあらわれた。また観音の化身とされた牟須美神を祀る那智大社の那智浜からは観音が住むという補陀落を目指して、大勢の僧侶が小船で太平洋に旅立った [ 5 ] 。次第に民衆も熊野に頻繁に参詣するようになり、俗に「蟻の熊野詣で」と呼ばれるほどに盛んになった [ 6 ] 。また、各社で発行される熊野牛王符(または牛王宝印(ごおうほういん)とも)は護符のほか、起請文(誓約書)の料紙として使われ、この牛王符に書いた誓約を破ると神罰を受けると信じられた [ 7 ] 。
文化財
史跡「熊野三山」 熊野本宮大社(現社地および旧社地(大斎原))、熊野速玉大社境内(神倉神社および御船島を含む)、熊野那智大社境内、青岸渡寺境内、および補陀洛山寺境内は国の史跡「熊野三山」である [ 8 ] 。当初、熊野三山は史跡「熊野参詣道」(2000年11月2日)の一部であったが、2002年12月19日に分離および名称変更、熊野本宮大社現社地と熊野速玉大社境内の追加指定が行われた [ 9 ] 。
関連神社
脚注
- ^ 西山克「熊野への旅」館野和己・出田和久 編『日本古代の交通・流通・情報 2 旅と交易』(吉川弘文館、2016年)ISBN 978-4-642-01729-9、p119-123
- ^ 西山克「熊野への旅」館野和己・出田和久 編『日本古代の交通・流通・情報 2 旅と交易』(吉川弘文館、2016年) ISBN 978-4-642-01729-9 P124-130・133
- ^ 西山克「熊野への旅」館野和己・出田和久 編『日本古代の交通・流通・情報 2 旅と交易』(吉川弘文館、2016年) ISBN 978-4-642-01729-9 P117-118・132-133・135
- ^ 阪本[2005: 415-444]
- ^ “補陀落渡海”. み熊野ネット. 2021年7月31日閲覧。
- ^ “蟻の熊野詣、蟻の熊野参り”. み熊野ネット. 2021年7月31日閲覧。
- ^ 真柴みこと (2021年5月31日). “約束を破れば血を吐き死んで地獄に堕ちる!八咫烏の「熊野牛王神符」、天罰が怖すぎる”. 小学館. 2021年7月31日閲覧。
- ^熊野三山(2000年〈平成12年〉11月2日指定、2002年〈平成14年〉12月19日分離・名称変更・追加指定、史跡)、国指定文化財等データベース(文化庁) 2010年6月12日閲覧。
- ^文部科学省 (2002年11月15日). “史跡等の指定等について”. 2010年6月13日閲覧。
- ^ “世界遺産・熊野古道ヘルスツーリズム健康と癒しの旅オフィシャルサイト”. www.umihikari.com. 2023年9月17日閲覧。
関連文献
- 篠原四郎 『熊野大社』(学生社、初版 1969年、改訂新版 2001年) 著者(1898年- 1978年)は、初刊時の熊野那智大社宮司。「本宮・速玉・那智」三社の伝承を中心に記述。
- 阪本敏行 『熊野三山と熊野別当』(清文堂、2005年)
関連項目
外部リンク
「熊野三山」の例文・使い方・用例・文例
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