戦艦大和、最後の証言
戦艦大和、最後の証言 ●食事 帝国海軍はイギリスの伝統を受け継いでいるため、艦内は完全な階級社会でした。 信じられないことに、幹部の士官は月1回は洋食のフルコースを楽しんでいたそうです。
●食事 帝国海軍はイギリスの伝統を受け継いでいるため、艦内は完全な階級社会でした。 信じられないことに、幹部の士官は月1回は洋食のフルコースを楽しんでいたそうです。 上等水兵は1回の食事で1合のご飯(1日3合)。肉じゃがやカレーライスも普通に食べられました。ちなみに海軍ではけっこう英語を使うので、カレーライスはそのままカレーライスと言います(陸軍は『香辛料色付き汁かけ飯』と呼んでいました)。このほか、たくわん、福神漬け、昆布、佃煮などもありました。 一方、下っ端は食事もまともには食べられませんでした。1944年6月のマリアナ海戦前後などは特にひどく、1日にパパイヤの漬け物と馬の小便みたいな醤油汁、それに大麦の一膳飯だけ。呉を出港するときには大量の缶詰、酒、嗜好品を積んでいましたが、下っ端の前に出てくることは決してありませんでした。もちろん艦内の売店でも下っ端は何も買えませんでした。
1941年10月30日 呉空襲で、敵機の攻撃を回避する湾内の大和(1945年3月19日)●戦闘になるとどうなるのか? 大和は1944年10月、レイテ沖海戦で米護衛空母艦隊と戦いました。 このとき二番主砲で通信員を務めた元兵士によれば、
レイテ沖海戦での大和を真上から見たところ●大和の最期 1945年4月、大和に沖縄特攻命令が下りました。最後の食事は「戦闘配食」といって、海苔の巻いていないゴマ塩味の大きな握り飯、中には梅干しが2つ入っていました。 当時の日本のレーダーはレベルが低く、主砲を撃つには測距儀という光学器械を使う必要がありました。しかし、この日は曇天だったため、敵機が襲来するも主砲は一発も撃てませんでした。
《大和巨体四裂シテ轟沈ス 水深四百三十米 今猶埋没スル三千の骸 彼等終焉の胸中 果シテ如何》
制作:2010年9月5日実際に見て驚きました。ホントに巨大なんだもん。恐るべし大和。 その昔、大蔵省主計官が戦艦大和を「青函トンネル」と「整備新幹線」に並ぶ「昭和の3大バカ査定」の1つに数えてましたが、こりゃホントに凄いです(ちなみに建造費は当時の価格で1億3780万円)。 まったくもって大和の中心で「でっけ〜」と叫ぶしかないよ。 © 探検コム メール