【長島一向一揆とは】簡単にわかりやすく解説!!発生の背景や内容・その後など
NHKの2020年大河ドラマのテーマは、織田信長と非常に関りの深い知将・明智光秀の生涯ということで、明智光秀だけではなく、その周辺の人々が多数活躍するような大河ドラマとなっています。 そんな大河
令和元年となった2019年も後僅かとなり、2020年の大河ドラマには、戦国武将「明智光秀(あけちみつひで)」が選ばれました。 2020年のNHK大河ドラマは明智光秀が主役の「麒麟がくる」に決定!東美濃も明智推しで盛り上がっておる(*´꒳`*)#東美濃 #可児ッテ #道の駅#織田信長 #明智光秀 .
そんな大河ドラマ『麒麟がくる』では、明智光秀が本能寺で打ち取ったとされる、後の主君・織田信長も登場します。
浅井・朝倉家を滅亡させた年に、織田信長は自身の宿敵だった伊勢・長島の一向一揆衆を鎮圧するために出陣しています。
今回は、大河ドラマでも取り上げられること必須の『長島一向一揆』について、簡単にわかりやすく解説していきます。
- 1 長島一向一揆とは?
- 2 長島一向一揆が起こった背景
- 2.1 ①事の発端は石山合戦だった
- 2.2 ②浄土真宗本願寺派の反乱の勃発
- 3.1 ①長島一向一揆その1~織田信長の弟が討ち死に~
- 3.2 ②織田信長、5万の兵を率いて鎮圧へ向かうも敗北を喫す
- 3.3 ②第二次長島掃討戦
- 3.4 ③第三次長島侵攻
長島一向一揆とは?
長島一向一揆とは、 1570 年ごろから 1574 年にかけて行われた伊勢長島(現在の三重県桑名市周辺)という場所を中心に繰り広げられた、浄土真宗・本願寺の門徒らが織田信長に反旗を翻して行った一向一揆のことです。
織田信長は、この長島一向一揆衆となんと 3 度も戦いを繰り広げています。
長島一向一揆が起こった背景
①事の発端は石山合戦だったその名も、「石山合戦(石山戦争)」です。
関連記事 【石山合戦(石山戦争)とは】わかりやすく解説!!原因や経過・結果・その後など室町時代末期~安土桃山時代の初期。 天下統一に野心を燃やす戦国武将織田信長が戦った相手、それは浄土真宗本願寺派! 日本各地に多くの信徒をもつ日本最大級の宗教勢力でした。 今回は、織田信長と浄土真宗本願寺派の戦い『石山合戦(いしやまかっせん)』についてわかりやすく解説していきます。 石山合.
これは、日本の宗教勢力である「浄土真宗本願寺派」のボス的存在である顕如(けんにょ)というお坊さんと織田信長の対立が原因となっています。
石山本願寺とは、摂津国石山(現在の大阪府)にあった、浄土真宗本願寺派の総本山です。
②浄土真宗本願寺派の反乱の勃発浄土真宗は、もともと鎌倉時代に活躍した僧侶・親鸞(しんらん)が作った仏教の宗派です。
浄土真宗の中でも、勢力を伸ばした宗派が、この本願寺派と呼ばれる人たちです。
本願寺派の結束は、それはもう固く、拠点のある地域を治めていた戦国大名などといった権力者にも集団で反乱を起こしてきました。これが、一向一揆です。
長島一向一揆の経過
長島の一向一揆は、 1570 年の蜂起に始まり、鎮圧するまでに通算 4 年という時がかかりました。
長島の一向一揆は 4 年の間で 3 度の局面が存在します。
ここからは、この 3 度にわたる本願寺派と織田信長軍とで起こった長島一向一揆について、まとめていきます。
①長島一向一揆その1~織田信長の弟が討ち死に~第一次長島侵攻とも呼ばれる長島一向一揆その1は、 1571 年におこりました。
しかし、その前の年の 1570 年、織田信長の理不尽に対して起きた石山合戦に伴い、長島の地でも本願寺派の門徒が蜂起しました。
本願寺派の勢いはとてつもないもので、この時に織田信長の弟である織田信興(おだのぶおき)が守る尾張国・小木江城(こきえじょう/現在の愛知県愛西市)を攻撃したのです。
このとき織田信長はというと、比叡山へ逃亡した浅井・朝倉連合軍と対立を続けており、織田信興を助けることができませんでした。
②織田信長、5万の兵を率いて鎮圧へ向かうも敗北を喫す浅井・朝倉連合軍と和睦を成立させた織田信長派、弟の織田信興を自殺に追い込んだ長島一向一揆衆を倒すべく、 5 万人の兵を率いて出陣します。
しかし、ここで三手のひとつだった柴田勝家軍が、一向一揆衆と激しい戦闘を繰り広げます。
これにより、織田軍は一向宗に敗北を喫することになりました。。
②第二次長島掃討戦こうして二回目の長島一向一揆衆との戦いも、織田軍の敗北という結果に終わりました。
③第三次長島侵攻織田信長にとって、長島一向一揆衆との戦いは相次いで敗北かつ、大事な部下たちを失ったことで、その恨みたるや相当なものでした。
第三次長島侵攻は 1574 年に行われ、織田軍の総力を結集した掃討戦となりました。
長島に着いた織田軍は、またも三手に分かれますが、今回は水軍の名手である九鬼嘉隆(くきよしたか)を筆頭とした九鬼水軍や、伊勢・尾張の水軍を率いてバトルを繰り広げます。
水軍のパワーは絶大で、 5 つある砦のうち 2 つをあっさり攻略し、残った砦に一向一揆衆を追い詰めていきました。
しかし、恨みつらつらの織田信長は、兵糧攻めという作戦でジワジワと一向一揆衆を追い詰めていきます。
しかし、織田信長の降伏受け入れはただの作戦でした。降伏し、城を捨て去った長島一向一揆衆に対して、攻撃を仕掛けるように各武将へ通達していたのです。
長島一向一揆のその後
その数は 700 から 1000 人だったとされています。
長島城は、織田軍の滝川一益(たきがわかずます)に与えられることとなりました。
まとめ
fa-arrow-circle-right✔ 長島一向一揆は浄土真宗本願寺派の勢力のことで、彼らと織田軍の対立によって引き起こされた戦いが、長島一向一揆の戦いである。
✔ 事の発端は、浄土真宗本願寺派のボス・顕如が織田信長の理不尽な要求に反発したことで起きた石山合戦が由来。
✔ 長島一向一揆衆は3度にわたって織田軍と対決している。
✔ 長島一向一揆が織田信長に相当恨まれた理由は、長島一向一揆衆によって織田信長の弟である織田信興が自害に追い込まれたことや、3度に渡る掃討戦で織田軍の重要人物が何名も戦死しているから。
✔ 長島侵攻は、2度織田軍の敗北に終わったが、3度目にして織田軍の勝利に終わる。
✔ 長島はこれにより自治を失うが、織田信長の家臣である滝川一益に長島城が与えられることとなる。
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