増善寺 ( ぞうぜんじ ) とは?
増善寺(静岡市)の魅力や見どころ・評判・地図・アクセス情報などを、増善寺の写真とコメントでご紹介する旅行・観光ガイド。静岡市観光で絶対に行きたい、SNSや口コミでも人気の増善寺のおすすめポイントなど情報満載!
723年に行基により一本の大木より手彫りされたとされる七つの観音像の第二刻とされ、他の6つの観音さまはというと、彫り出された元となる高さ50mの大楠が立っていた第17番札所の「法明寺」を筆頭に、隠れた仏像の宝庫である第15番札所の「建穂寺」、絶好のロケーションを誇る第12番札所の「徳願寺」、第22番札所の「鉄舟寺」、第20番札所の「平澤寺」、四国八十八ヶ所を彷彿させる第21番札所の「霊山寺」となる。
扉の奥に安置されている千手観世音菩薩は、7年に一度の御開帳となる秘仏とされ、右手の写真の観音像はお前立となる。
御詠歌は『いくたびも 誓いをかけよ 増善寺 慈悲尾山の あらんかぎりは』なので、お参りの際には唱えてみよう。
今川氏親公の墓境内にある墓地の一番左手に階段が伸びており、その一番上に、今川氏親の墓となる「今川家霊廟」がある。
1501年に今川氏親の開基により建立された増善寺だが、1526年6月23日に氏親が亡くなると、増善寺には7000人の僧侶が参列し、曹洞宗最高法式にて戦国史上例のない大葬儀が営まれたという。戒名は「増善寺殿喬山紹僖大禅定門」となっている。
氏親の父親となる8代当主(駿河今川氏6代)今川義忠は、一般にはあまり馴染みのない存在だが、北条早雲こと伊勢盛時の姉とされ、徳願寺に眠る母の北川殿や、妻である寿桂尼は、大河ドラマをはじめ歴史上によくその名が登場する人物だ。
そしてその子が、10代当主(駿河今川氏8代)今川氏輝であり、今川氏で最も有名で信長により桶狭間で散った11代当主(駿河今川氏9代)今川義元となる。
静岡ゆかりの人物の墓写真左が本堂左手にある「無縁仏供養塔」だ。子供の守護神として知られる地蔵菩薩は、最も親しみやすい仏様であり、苦しむ人々を無限の大慈悲の心で包み救ってくれる。
写真右上の2つ並ぶ宝篋印塔は、徳川家康の従兄弟にあたる水野忠分の五男である「松平豊前守勝政の墓」と、その孫の「松平勝忠の墓」となる。
その下が幕末まで旗本として続いた名門柘植家の「柘植平右衛門正俊の墓」で、織田信長の五男とも七男とも伝わる織田信治の子で、駿府町奉行を務めた人物だ。1611年に没すると、同じく増善寺に埋葬された。
この他にも墓地には「開山 辰応性寅禅師の墓」や「駿府与力石家の墓」などがある他、境内にはたくさんの歌碑や石碑が建てられており、「駿河一国三十三観音札所」と刻まれた石碑や、かつて輪番制だった曹洞宗大本山の総持寺へ住持職を出す権利と義務を担っていたことを顕彰する「曹洞宗大本山総持寺の元輪番地」などの碑もある。
今川氏親公の歌碑写真左が「今川氏親の歌碑」で、日々坐禅に励むも40歳を過ぎて未だ仏の道が見えてこない…と悩む、『いかゞえむ 四十あまりの 年のをに とかぬ所の 法のまことを』の歌が刻まれている。
右手は寿柱尼の本家末裔となる中御門家の、明治~昭和を生きた中御門宣子が詠んだ歌で、『戦国の 華と栄えて いく久尓 誉れ妙なり 寿桂尼大方』と、寿桂尼を讃える歌となっている。
この他写真には無いが、「今川氏親公彰徳碑」なども建てられている。
安倍城跡を仰ぎ見る増善寺の裏山には、南北朝時代に狩野氏によって築かれたとされる、標高435.2mの山の頂に築かれた「安倍城跡」がある。
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