【薩長同盟とは】わかりやすく解説!!中心人物や内容・目的。坂本龍馬が仲介!
【薩長同盟とは】わかりやすく解説!!中心人物や内容・目的。坂本龍馬が仲介!

【薩長同盟とは】わかりやすく解説!!中心人物や内容・目的。坂本龍馬が仲介!

坂本龍馬によって『薩長同盟』が結ばれます。 この同盟によって倒幕運動は加速していき、ついには幕府が滅亡することになります。 今回は、そんな薩長同盟についてわかりやすく解説していきます。 薩長同

幕末の時の政治思想は沢山あります。 例えば尊王攘夷とか、公武合体とか、倒幕だったり・・・。もちろん全部覚えなければいけません。 さて、幕末には公家と幕府がタッグを組んで困難に乗り越えようとしていました。 今回はそんな困難を乗り越えるために生まれた思想である『公武合体』について簡単にわかりやす.

そして、薩摩藩は会津藩と一緒に違う考え方の尊王攘夷派を暗殺していました。

【尊王攘夷とは】簡単にわかりやすく解説!!意味や生まれた背景・その後など

約260年間続いた太平の世である江戸時代がわずか10年ちょっとで明治時代に変わった理由が尊王攘夷という考え方にあります。 そして、この短い期間に目まぐるしく様々な出来事が起こるので、知識が混ざってしまいやすいです。 本日は、そのような重要で間違えやすい『尊王攘夷』について簡単にわかりやすく解説.

これに怒った薩摩藩は尊王攘夷派の公家と一緒に長州藩の人を全員京都から追放しました。このことを八月十八日の政変と言います。

【八月十八日の政変とは】わかりやすく解説!!なぜ起こった?七卿落ちとの違いなど

今回は、江戸時代末期の幕末、1863年9月30日(文久3年8月18日)に起きた会津藩・薩摩藩が長州藩に対して起こした反クーデター事件 八月十八日の政変。 今回はそんな『八月十八日の政変』についてわかりやすく解説していきます。 八月十八日の政変とは (政変決行の場所『堺町御門』 出典:Wikip.

それに対して長州藩の人は抗議をするため蛤御門に行きますが、薩摩藩はその長州藩の人を攻撃して長州藩を天皇の敵にしました。これを蛤御門の変と言います。

【禁門の変(蛤御門の変)とは】簡単にわかりやすく解説!!長州藩の久坂玄瑞!

幕末の京都を大きく焼き尽くす戦いがありました。 それが『禁門の変』です。 幕末に活躍した西郷隆盛が薩摩軍を率いた戦いでもあります。 幕末の歴史を大きく動かした禁門の変の背景・経過・影響について、そして禁門の変で死んだ長州藩士久坂玄瑞についても、簡単にわかりやすく解説します。 禁門の変.

長州藩はどんどん薩摩藩を恨んで行くようになっていきました。その恨み具合はわらじの裏に『薩賊会奸』と書いてわらじをずしずしと踏みしめながら歩いたぐらいでした。

薩長同盟の背景

①薩摩藩の場合

薩摩藩は江戸から領地の薩摩に帰る大名行列の途中でイギリス人を斬り殺してしまう生麦事件を起こしてしまいます。

【生麦事件とは】簡単にわかりやすく解説!!場所・犯人やその後・薩英戦争への流れ!

時は、江戸幕府末期の1862年。 日本は開国されて8年経ち、開港された横浜には外国人居留地も設けられ、多くの外国人商人たちが貿易のため住んでいました。 勢力をなくしていた幕府は、アメリカ・イギリスなどからの要求に従うばかりで、それをよく思っていない朝廷、朝廷を後押しする薩摩藩などがいました。 .

これに対してイギリスは激怒。すぐさま薩摩藩を攻撃します。この戦いを薩英戦争と言います。

【薩英戦争とは】わかりやすく解説!!きっかけは生麦事件!勝敗結果や賠償金など

日本には『雨降って地固まる』ということわざがあります。 何かいざこざがあった後は、かえって良い結果や安定した状態になるという意味ですが、かつての幕末のころにもこのようなことが起こっていました。 今回は、薩摩藩とイギリスが戦った戦争『薩英戦争』についてわかりやすく解説していきます。 薩英戦争と.

②長州藩の場合

さらに運の悪いことに、この頃尊王攘夷でイケイケだった時にやらかした四国艦隊砲撃事件の報復として四ヶ国に下関砲台を占領されてしまいました。

【四国艦隊下関砲撃事件とは】わかりやすく解説!!原因や経過・賠償金など

今回は1864年(元治1年)8月に下関で起きた『四国艦隊下関砲撃事件』。 イギリス・フランス・アメリカ・オランダの4カ国の連合艦隊による下関(長州)への攻撃とはどのような事件だったのか?背景や経過・その後などについて、わかりやすく解説していきます。 四国艦隊下関砲撃事件とは (連合国によって占.

このままでは仲悪いままでどうすることもできません。そこに現れたのが坂本龍馬でした。

日本初の貿易会社『亀山社中』

そこで、坂本龍馬は二藩を仲良くさせるために日本初の貿易会社を作ります。この会社のことを亀山社中といいます。

薩長同盟の締結

薩長同盟の内容

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1、長州藩が幕府と戦争になったら薩摩藩はただちに2000ほどの兵を向かわせること。この時、長州藩が勝利したら、朝廷に進言して調停に尽力すること。

2、万が一長州藩が負けた場合は長州藩が滅亡させないために、薩摩藩は必ず長州藩を助ける為に尽力すること。

3、戦争が終わったら薩摩藩は長州藩を朝敵じゃなくすため朝廷の説得に尽力すること。

4、幕府側の有力大名である会津藩や桑名藩などの藩が長州藩や薩摩藩を攻撃したら即座に戦争をすること。

5、長州藩が朝敵じゃなくなったら薩長双方は誠意を持って、力を合わせ、日本のために力を尽くすこと。

薩長同盟の影響

薩長同盟が結ばれた5ヶ月後に幕府はまた長州藩を攻めて第二次長州征伐が始まります。

【第二次長州征討とは】わかりやすく解説!!なぜ起こった?幕府と長州藩の対立。

江戸幕府は1858年に大政奉還によって消滅してしまいます。 江戸幕府が滅んだ原因は沢山ありますがその中でも特に江戸幕府の崩壊を決定づけた戦争がありました。 今回は、その戦争である『第二次長州征討(または第二次長州征伐)』について簡単にわかりやすく解説していきます。 第二次長州征討とは (18.

そして、ついに幕府は坂本龍馬の故郷である土佐藩の藩主である山内豊信の進言を聞き大政奉還をして幕府は終末を迎えました。

【大政奉還とは】簡単にわかりやすく解説!!徳川慶喜が行った理由・その後など

皆さんも、一度は学校の教科書などで大政奉還の絵を見たことがあるかもしれません。 「大きな屋敷に一人だけで座っているのが徳川慶喜」「手前側にたくさんのえらい武士たち」。 大政奉還は徳川家康以来、ずっと続いてきた江戸幕府がなくなる瞬間でもありました。 今回は大政奉還の全容、そして徳川慶喜のその後.

まとめ

・薩長同盟を結ぶ前は薩摩藩と長州藩は犬猿の仲だった。

・薩摩藩と長州藩はそれぞれ倒幕の感情が生まれていき、同盟をしたいと思い始めた

・坂本龍馬は亀山社中という日本初の貿易会社を作り、薩摩藩と長州藩の仲立ちをした

・薩長同盟によって長州藩は第二次長州征伐で幕府に勝利することができて、倒幕運動が加速していった。

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