沿線歴史点描⑧ 東上沿線観光地の変遷 山下龍男
●大正時代の観光地観光の対象となる名所も時代によって変化する。『東武鉄道百年史』に掲載されている沿線地図「東上鉄道線路案内(坂戸まで延伸された大正5年以後発行、)には、白子不動滝(成増)、吹上観音(成増)、平林寺(志木)、諏訪神社(鶴瀬)、...
東上線全通後の観光地図を見てみよう。東武鉄道博物館が所蔵する「東上線名勝旧蹟廻遊便覧」(昭和 11 年以前発行)には、主要駅からのモデル観光ルートが記載されているが、ここには神社仏閣以外の新しいタイプの観光地も掲載されている。その一つとして成増にあった兎月園を紹介しよう。成増駅の南口から歩いて 500 m、現在の練馬区立豊渓中学校の北側にあたり、東武鉄道の創設者、根津嘉一郎が大正 13 年に開設。宴会場やボート池、各種のスポーツ施設が設置され、成増駅から専用バスも運行されていた。東上線もかなり積極的に売り込んでいたようたが、戦時中の食糧不足のため農地化され、現在は住宅地となり面影はまったくない。大正末期から昭和初期にかけて、関東地方の私鉄沿線では、京王閣(京王線)、多摩川園(東急線)、豊島園(西武線)、谷津遊園(京成線)等々、私鉄会社主導による遊園地開発が急速に進展した。兎月園もまさにその一例であったが、戦後の高度経済成長期を見ることなく、戦時の混乱にまぎれて消え去ってしまった。
下り電車に乗って中板橋駅の先、石神井川鉄橋の手前右側にあった遊泉園という石神井川の水を引き込んで作ったプールも、昭和初期にかなりにぎわったようで、現在の中板橋駅も、前身は遊泉園の利用者のための夏季臨時乗降場だった。これも現在では人家となりまったく面影はない。水泳といえば、大正9年から昭和 26 年にかけて 30 年以上にわたり夏季臨時駅が作られるほどの人気を博したのが、霞ヶ関駅手前の入間川水泳場だ。享楽的な色彩が強かったといわれる兎月園も乗馬などのスポーツ施設があったが、こうしてみると寺社参拝中心の江戸時代以来のレジャー観は明治大正という時代を経て大きく変化し、スポーツやハイキングなど自発的レジャーが人々の間に流行したこと、鉄道会社がそうした動きを取り入れた観光開発を行ったことがよくわかる。
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