日吉川の源流・日吉川秋水(初代)
日吉川の源流・日吉川秋水(初代)

日吉川の源流・日吉川秋水(初代)

「日吉川の源流・日吉川秋水(初代) - 浪曲を彩った人々」日吉川秋水は戦前活躍した浪曲師。京山一門から分家をして「日吉川」を創設。平成まで続く名門・日吉川の一門を一代で練り上げた。滑稽浪曲を得意とし、関西の客の腹をよじらせた。以来、日吉川家は滑稽浪曲の家になったという。

親友派の盛花秋水師は明治廿年の出生にはチヤキ/\の浪花児なる事言を俟たず、四十一年京山恭一に預けられ名を恭清と命ぜられ翌月千日琴平座の初舞台に突き出され二ケ月にて同席のモタレに擢んでられ反対派とは云ひ抜群の抜擢にて空前の登身なり、翌年道頓堀角座にて好評を博し梅寿軒が北海道に遠征する時北地に入り名を秋水と改め間もなく親友派の舞台に其技揮ふ事となり其進歩の迅雷耳を掩ふに暇あらざる勢ひにて実に新進の若武者にて松安と同じく芸術に熱心し大ゐに覚悟する處あり益々大好評を博し英気当たるべからざるの気概なり。

「大久保彦左衛門漫遊記」とか「水戸黄門漫遊記」とか「薮井玄以」とか「鍵屋騒動」とか、滑稽畑のみ掘り下げていつた奇才に、初代日吉川秋水がある。 飄々と他愛ないあの独自の風格は、兎にも角にも今日、門人の二代目秋水、秋斎の上へとのこされてゐる。 腰を曲げた大久保彦左衛門が何か呟き乍らヒョコ/\と卓子を離れて歩き出して行く飄逸さは、秋水独特のものであった。 薮井玄以の、例の按摩は拙くて銭は高いと云つたやうな云ひ立ても、現秋水がそのとほり演つてゐるが、あすこのペーソスある節回し。たしかに拓いた「路」と云へよう。

(三人会の公演の前座に秋水の弟子の秋斎の代わりに、鶯童を入れる計画を虎吉に持ち込まれたのを聞き) 「そら出けまへんわ。ウチの梅公(秋斎の本名坂井梅之助)も、これから頭を上げんならん。晴海は小父さんの弟子やさかい譲るけど、田舎まわりの鶯童にウチの梅公が食われて不人気売るような事があったら、わたいが腹切って見せまっさ」 井上旦那に向って、これだけの啖呵を切る人は少なかった。

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