伊藤 顕
オフィシャルサイトにもない「じゃりン子チエ」情報満載!!見たってや~
はるき悦巳先生は、多摩美術大学では油絵科に入り、「ベニヤ板3枚分」もあるというような大きな絵を描いていたそうです。しかし、卒業後にはそんな大きな絵を描くわけにもいかず、絵を縮小することばかり考えていたそうです。 そこで、ただ単純に「絵を描くのがすき」というのと、「食べるため」という二つの条件の上で利害が一致したために漫画家になったそうです。働くために絵を描くのをやめたり、絵を描くためだけに働くのは嫌だったそうです。 しかし、最後のコメント。これを長い間ずっと盲目的にとらえ、絶対終わらない漫画だと信じていたのですが、「じゃりン子チエ」はついに最終回を迎えてしまいました。「じゃりン子チエ」の最終回は8月2日の朝日新聞夕刊で全国的に大きくとりあげられました。 これはかつてどんな漫画においてもなかったことではないでしょうか。
価値観について 男は夢ばっかり見てますからな。…女にくらべたら、男の夢なんてつまみ食いみたいなもんですわ。 (「日の出食堂の青春」第6話より)- 「今の苦労が後の自分を大きくするなんていう考え方自体を信用していないのね。せっかくボケっとおりゃあ、もう一つのこと考えられてるのに、全部、余分を切る方向に進むでしょ。生活は圧縮してもいいけど、考え方なんかは縮小する必要はないと思うんやね」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- 「僕は、もともとある種の訓練でコンプレックスを克服した人間いうのは好きやない。自分を変えたりして、それが大きいなったことみたいな感覚でおる」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- 「俺は『男のロマン』みたいの好きやないんや。ロマンてなんじゃいう感じがある。女でも、ウーマンリブとかキャリアウーマンいうても、なんのこっちゃ思うんです」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- 「たとえば女の職業なら、編集関係とかデザイナーとか、ああいう人を自立した女と書いてあるじゃない。俺、ムカッとくるんよね。大根売ってる近所のおばちゃんにはまったく注目せえへんでしょう」(週刊文春 81.4.16)
- 「職種選べん立場にあったら、手っ取り早い目先のもので金得なければしょうがない。それなのにある種の枠付けみたいなものができて、それで人間切っていくのがものすごく嫌なんですよね」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- 「俺は、女に関しては、何かがないと生きていけんちゅう男の部分に参加せん方が得やと思うてるところがある。男の人と競りおうて頑張ってもいいし、何してもいいんやけど、女の人はやけに堂々と生きてるみたいなところがある。こっちはそういう感じで生きたいから色々な目におうているのに、何でそういうのを捨てて男の感覚でやっていきたいんかわからへん」(朝日ジャーナル80.8.8)
この章では、「じゃりン子チエ」に限らず、はるき先生の作品に一貫として流れる、女性についての価値観をうかがい知ることができます。 「じゃりン子チエ」のある話の題名にある、「夢見がちな男たち(第8部10話)」であることは損であるとし、より現実的な女性の生き方を理想としているようです。 しかし、そういうはるき先生自身、「夢見がちな男」の一人であり、またそれゆえにことさら強調し、作品の中にもその考えが自然ににじみ出ているのでしょう。 「じゃりン子チエ」でテッちゃんがよく、「根性」という言葉を連発するのも、テッちゃんが「根性」を持った生き方をしているからでなく、ヨシ江さん達女性が持つような「根性」にあこがれる思いが、テッちゃんに「根性」という言葉を連発させているのでしょう。
西萩について この辺はあかんなあ。変なオッさんとかオバはんが来てすぐ打ちたがるから。 (「じゃりン子チエ」第15部3話より)- 「僕は中学一年のときまで、西成区の萩之茶屋あたりに住んでいたんですが、子どもにとってあんないい町はなかったですね。新世界やジャンジャン町で、朝から晩まで映画を見たり、走り回ったりと、大人たちの中で結構遊んでました」(演劇「じゃりン子チエ」(駒来慎脚本)パンフレットより)
- 「近くに、チエの公園のモデルみたいになってる茶臼山というところがあって、そこと天王寺の美術館に木があったくらいで。それ以外は木なんてあれへん。そこに中学一年までおったんやけど、やたら人間も多て面白いことばかりやった」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- 「僕はあそこ一向に悪いと思てないけど、釜ヶ崎いうたら、あるイメージあるでしょ。それで、(自分の出身を)ただ、新世界の近所やいうてるんです。みんな『怖い、怖い、あんなとこ絶対歩くもんやない。』とかいうねんな」(週刊文春 80.6.12)
- 「僕とこの辺は、実際に何しておるのやいうのがよくおったんですよ。時代的なこともあったのかわからんけど」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- 「昼間からゴロゴロ、大人がようけおるんですよ。働いてる人少なかったんよね。ガキの野球に大人が混じったりしとったからね」(週刊文春 80.6.12)
- 「作品の舞台を、そこと特定しているつもりはないんですが、どうしてもあの町のイメージが出てくるのはそういった僕の子どものころの面白かった体験からでしょう」(演劇「じゃりン子チエ」(駒来慎脚本)パンフレットより)
はるき先生は中学一年のときまで西萩にすんでいたそうです。その後住吉大社で有名な住吉に引っ越し、大学進学の際に上京するわけですが、西萩にいた頃が最も楽しかったんだということを、これらのコメントからうかがい知ることができます。 そのせいでしょうか、はるき先生の作品のほとんどが、当時の釜ヶ崎一帯を舞台とし、その主人公達は、はるき先生が西萩で過ごした頃の年齢となっています。 「じゃりン子チエ」に出てくる「ひょうたん池」のモデルは、天王寺公園内にある河底池だということを明言していますが、実際の河底池には、「じゃりン子チエ」の映画にも描かれているように赤い橋が架かっています。それに河底池には貸しボートはありません。 しかし、はるき先生が少年時代をすごした頃、先生は1947年生まれですから、1955年前後の河底池には橋について調べてないのでわかりませんが、少なくとも貸しボートは存在したようです。
趣味について 今度の事で分ったんやけど、人間はシュミを持たんといかんなあ。 (「じゃりン子チエ」第18部9話より)- 「旅行なんか大嫌いだし…別にやることはないですね。朝起きて、自転車のって、本屋行って、レコード屋行って、ぶらぶらして、帰って漫画描いとんのやないかな」(ぱふ 80.5)
- 「僕なんか、家におって、レコードを聴くか、本を読むか、あとはテレビを見ているだけ。でも、テレビいうのはよう出来てますね。一日中見ても、テレビって最後まで面白いでしょ。深夜になって、どのチャンネルまわしても、シャーという音しかでんゆうのは寂しいもんです(笑)」(灰谷健次郎対談集 81.12)
- 「古本屋で本買うて、それで大分楽しめるし、読めば読む程楽しいんよね。それも、およそ現実とかけ離れてて、そやけども人間の一番根えみたいなものを書く作家は好きですね」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- 「高校の頃からずっとジャズが好きで。ジャズいうても最近の聞かへんけどね。(19)50年から60年くらいのばっかりで。偏ってるのね。好きなあたりをこだわって聴いてるみたいな感じやね」(ぱふ 80.5)
- 「つげ義春がめっちゃ好きやね。今はそう読めなくなったけど、もう、漫画描くのいやになるくらい好きやからね」(ぱふ 80.5)
- 「同じ雑誌に載るというだけで、何もつげ義春と机を並べて仕事する訳でもないのだが、「あのつげ義春と共演できる!!」と思うとボーっとなって自分を見失ってしまうのだ」(双葉社刊単行本「日の出食堂の青春」あとがき)
- 「なんか、かくのがすき。何かを描きたい。ただ、それをやるために何もしないでいいゆうほど家はよくないから、ほとんどバイトやってた」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- (それが今は)「原稿渡した後、ゆっくり寝るのだけが楽しみ」(朝日新聞 81.3.2)
- 「生まれた時から、ずーっと俺の家自体が猫飼うておったんです。東京へ出てきて、結婚して猫が入ってきたのを飼うたりして。猫がほしい、誰かくれへんかな、というほどじゃない。全部、ただ入ってくる野良猫」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- 「だいたい、ペットみたいなうっとおしいのん好きやない。猫は俺にいっこも気を使わんかわりに、俺も気い使いとうないほうなんですよ」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- 「野良猫が入ってきて子供産みよったんよね。ものすご難産でね。医者呼んでね。こたえたよ、金ない時に(笑)。全部死産でね、一匹だけ助かって、今おんのがその猫やね。たくましいんやな、よう生き残った。出てくる時に引っ張ったからな、いやに胴長の猫でね。かわいらしいんよ」(ぱふ 80.5)
- 「猫なんて、人間のためには何もならんくせに、気分のいい時は愛敬ふりまいたり。気に入らんと、一切やらんでしょう。そんでうまいこと人間に可愛がられる。鳥でもしゃべってみたり頑張ってるのに(笑)。そやからいつも思う。こういう具合に生きられへんやろか」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- 「子どもいうのは、ある程度考えてしゃべるわけじゃないけど、いっぱしのこというて当たることあるでしょう。チエは『おバアはんがいうとった』いう表現を使うはずだけど、その一言一言がおジイはんにとってはこたえる。チエはごく軽い気持ちでいうとるのかも知れんけど。」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- 「対外的にはチエいうのもテツの存在が気になってるいう子やからね。そういうところをすっとばしている子いうのはおらへんと思う。マサルにも悪口いわれて、常にひっかかってるし。」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- 「ただ、チエはそういう状況にあってもコンプレックスを持たずに、克服するような強さは持っていますね。コンプレックス持たないというより知らんのかな。」(灰谷健次郎対談集 81.12)
- 「ああいう状況に置かれた子どもの世界を描いて、しかも日本一不幸という言葉を使ったりしてるけど、結局、自分の置かれている状況が不幸だということも知らん子どもたちだと思います。」(灰谷健次郎対談集 81.12)
- 「これからこの子とこの父親はどういうふうに成長していくのかと、よう聞かれるけど、僕は絶対成長せえへんと思ってます。テツも絶対に変わらへん。チエは対等に大人と接触していくと思う。僕はそういうのが好きなんです。だから、子どもだからこの程度というお子様ランチ的な発想は嫌なんです。」(灰谷健次郎対談集 81.12)
- 「自分でも、チエにまだどんな部分があるかいうの、興味あるわけです。それをコツコツ描いていきたい。」(週刊文春 81.4.30)
- 「俺なんか、マサルみたいなとこ多かったんやないのかな。悪かったからなあ(笑)。」(週刊文春 81.4.30)
- 「マサルいうやつは、チエに悪いことばっかりいうけど、俺はあの子も好きなんですよね。あいつはただの勉強家やない。あいつの勉強してるいうのは、全部チエにつながってることに僕は興味がある。ただ勉強して、ほかの人間には無関心なやつより、勉強して学んだことすら、チエとか、周りのやつに振り向けているような意識が好きや。」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- 「勉強が大事やいうて、ほかのものを捨てる発想がわからへん。マサルはチエの悪口いうたり、チエの反応が一番興味あるわけでしょう。あいつは常にそういう対人間いうところで生きとるから、テストの点だけ気にしてるわけやない。」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- 「『ヨシ江はん、よう我慢してる、できた奥さんや』とか、そういう投書がようけ編集部にくるらしいんですけどね、僕はたいして我慢してる思てないんです。テツみたいな旦那にまともに言い返しとったら話にならへんだけで。そやから、自分を抑える努力をしてああなったんと違うて、もともと基礎体力あるいうか、タフな人やと思うんです。」(週刊文春 81.4.30)
- 「僕は猫にしゃべらせる部分が自分としては一番楽なところがあるんですよ。猫やから何いうてもキザじゃないやろし。」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- 「僕は人間が真面目なこというのはものすご恥ずかしいんですね。こちらが落ちこんだりするときもあるでしょ、そんなとき、登場人物がそういう状態にあるのはものすごう嫌やからね。猫ならノイローゼになっても別にええわけでしょう(笑)。」(週刊文春 81.4.30)
- 「描いてる俺が、『あいつ、どうしてるんやろ』という感覚なんですよ。1、2回出てけえへんかったら、おかしいなあ、近所歩いてるはずなのに。そんなら、帰り道でばったり会わしたり。」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- 「それで、この週には出て来えへんかっても、カルメラは今ごろどっかの縁日でカルメラ焼いてるやろとか、お好み焼き屋のおっちゃんは、ジュニアがノイローゼ気味やから、毎日心配してお好み焼き作っとるやろかとか、いつも頭の中にあるわけです。」(週刊文春 81.4.30)
- 「そやから、連中が勝手に動いて、僕のいうこと全然聞いてくれへんことがあるわけです(笑)。いうても、もうあかんのよね(笑)。」(週刊文春 81.4.30)
- 「ある1つの目標とかいうもんがあって、それに向かってみんなが頑張ったり、失敗したりして、そこにどんどん近づいてくいうのが嫌いなんです。それぞれ狙てるところは微妙に違うとって、たまたまある部分だけ結びついてみんなが動いている、いうのが好きなんですよ。」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- 「それぞれが、それぞれの思惑でしゃべってると思うんですよ。何かについてしゃべりあってるんじゃなしに、そいつの今置かれている状況が頭にあって。」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- 「だから、自分の中では、ヨシ江はんはこういう人いうイメージがあるんやけど、『はい、次はヨシ江はんの巻』とか、そういう描き方は嫌いなんですよね。まわりもみんな動きながら、その人の部分がちょっとずつ見えてくるような描き方したいんです。」(週刊文春 81.4.30)
- 「僕は、その人間にとって、どこが大事かをいつも気にしているわけですよ。テツにとって花井センセが賞をとるいうことはどういうことなのか。まったく関係ないわけでしょう。そんなことでつきおうてるわけじゃなくて、好きな部分でつきおうてるわけやからね。その好きな部分は変わらへん部分でしょう。そやから、なんかのことで、尊敬もせえへんし、見下しもせえへんいう線が一番好きなんです。」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- 「テツがしゃべったり、花井センセがしゃべったり、そういうことばいうのは、大切にしておきたいところがある。あそこに出てくることばは、ガラ悪いけど、品とかいう意味では決して悪いことないと思うとるから。」(朝日ジャーナル 80.8.8)
- 「俺、『日常』しか描いてないやろ。大げさなドラマって嫌いやからね。生きるか死ぬかなんて一生に何度もないもんな。主人公が欠点を克服して『成長』したり『正しい生き方』を見つけたり…そういうパターンは絶対嫌やねん。」(週刊文春 80.6.12)
- 「自分としてはドラマ性うんぬんということは関係ないんです。人間があんまり成長していく姿って好きじゃないんですね。」(灰谷健次郎対談集 81.12)
- 「テツがことばを投げかけると、チエがそれに応えるでしょ?そういうふうに2人のやりとりを描いているうちにストーリイが出来上がっていくんです。」(灰谷健次郎対談集 81.12)
- 「いちおう作品を描くときは、どうしようかな、といろんなパターンを考えるけど、その状況の中で自分だったらどうするかなというふうに考えてみます。」(灰谷健次郎対談集 81.12)
- 「(食べ物屋がよく出てくるのは)お好み焼き屋は、子どもの頃よく行っとったから。カルメラは近所でやってる人がいて、それふくらまさせてもらったことあるし。ただちに商売やってるとこが(近所に)多かったしね。」(ぱふ 80.5)
- 「(絵柄があまり)変わっとらんみたいやね。うもならんのかな(笑)。はじめっからこんな絵描いとったから。アシスタント経験もないし。たまたま賞もろて、すぐ仕事がきて、またすぐ『チエ』が始まったでしょ。そやから、みんなどんな絵描いてんのかなあとか見る暇もなかったし。」(ぱふ 80.5)
- 1977年暮れ「政・トラぶっとん音頭」第1回平凡パンチ劇画賞佳作
- 1981年3月「じゃりン子チエ」第26回小学館漫画賞成人コミック部門入選