【解説】“袴田事件”ってそもそも何?
【解説】“袴田事件”ってそもそも何?

【解説】“袴田事件”ってそもそも何?

【解説】“袴田事件”ってそもそも何? 8/18 14時間15分 → 逮捕 8/19 10時間40分 8/20 9時間23分 8/21 7時間5分 8/22 11時間36分 8/23 12時間50分 8/24 12時間12分 8/25 12時間25分 8/26 13時間26分 8/27 12時間47分 8/28 12時間32分 8/29 6時間25分

8/18 14時間15分 →逮捕 8/19 10時間40分 8/20 9時間23分 8/21 7時間5分 8/22 11時間36分 8/23 12時間50分 8/24 12時間12分 8/25 12時間25分 8/26 13時間26分 8/27 12時間47分 8/28 12時間32分 8/29 6時間25分 8/30 12時間48分 8/31 11時間32分 9/1 13時間8分 9/2 11時間15分 9/3 12時間50分 9/4 16時間20分 9/5 12時間40分 9/6 14時間40分 →自白開始

一通だけ採用された自白調書

また自白調書は45通作られているが、当時の裁判では、その自白調書のうち1通のみが採用された。自白の内容はひどく変遷していて、例えば犯行動機は、最初は専務夫人と不倫関係にあったというものから、強盗目的へと変化していく。

  • 深夜、 金を盗むため に、 くり小刀 を持って、 パジャマ の上に工場にあった 雨合羽を着て 専務の家に行き、 隣の家の庭から 侵入した。
  • 起きてきた専務に見つかったので、 くり小刀で一家四人を刺した 。
  • 途中で専務夫人が投げた 金袋3つ ほどを持って、 裏木戸から 逃走、工場に戻る。
  • 工場にあった混合油 を運び、再び専務宅に侵入、油をかけてマッチで放火、金袋から お札を抜いて 、再び 裏木戸から 逃走。
  • 盗んだお札のうち5万円は 知人女性に預けた
現場に残ったままの大量の金品. 目的は強盗?

この事件は、あくまで強盗殺人事件であり、袴田さんが現金8万円ほどを奪った、とされる。

しかし、専務は大金持ち。現場に残されていたのは、現金、小切手、預金通帳、貴金属、合わせればおよそ数千万円分の宝の山!

4人も殺しておきながら、大金には目もくれずに数万円だけ盗っていく、そんなバカな強盗殺人犯がいるか?

では、お金はどこへ?うち5万円は知人女性に預けたとされ、後に匿名で投函されたお札が見つかった。使わずに預けるなら、何のための強盗だったのか?

「くり小刀」で4人を殺せるか?

これが、「一家四人を計40箇所刺した凶器のくり小刀」である。

手のひらを出して想像してみてほしい。刃渡りは12㎝、工作に使われるような小さなものである。

実は、遺体の刺し傷には12㎝以上の深さがあったり、なんと肋骨まで切れているのも確認されているが、あくまで凶器はこの「くり小刀」である。

一人でこんな犯行ができる?

さて、ここまでの犯行を、たった一人でこなすことが可能だろうか

被害者宅は両隣の家と近接しているにもかかわらず、近所の人は誰も物音や叫び声を聞いていない

また、被害者4人にはそれぞれ10個前後の傷があり、しかも同じ場所に集中している。被害者たちは、反撃したり、逃げたりしなかったのか。抵抗することが不可能だったのか

どこから侵入?どこから逃走? 隣の家の庭から、超人的な侵入

袴田さんの罪名は、強盗殺人・放火、そして住居侵入

それでは、どこから侵入したのか。自白調書によれば、「鉄道の 防護柵を乗り越え 、被害者宅の右隣の庭に侵入、 庭の木を登って屋根をつたい 、専務宅の屋根のひさしの下にある 水道管につかまって 侵入」している。(下図を参照)

しかし、まず防護柵、高さ1.55mほどで、有刺鉄線が張り巡らされている。それを乗り越えて、木に登り、屋根に移る。そして、直径2.7㎝ほどで、針金でくくりつけられた細く脆い水道管をつたっている。

深夜の犯行のはずで、辺りは真っ暗。しかもこのときは、重く動きづらい雨合羽を着ているはず。そんな超人的な芸当ができるだろうか。

閉まった裏木戸から脱出

そして脱出経路は裏木戸

しかしこの裏木戸は、火災発生中には閂がかかっていたことが、焼けた跡からわかっている。一方、表口のシャッターには鍵はかかっていなかった

しかし検察は、閂がかかった状態でも隙間をくぐり抜けて脱出できると主張し、それが認められた。

(警察が実験を行った報告書の写真には、かかっていたはずの上の留め金部分が写っておらず、外しているのを隠して撮影された可能性が高い)

裏木戸じゃなきゃだめなの?

なぜそこまでして、裏木戸にこだわるのか。鍵のかかった裏木戸と鍵のかかっていない表口があるなら、表口から出たと考えるのが自然だろう

それは、上の図を見れば一目瞭然で、被害者宅と工場の位置関係からして、工場の人間なら、当然裏木戸から出るからである。

警察としては、どうしても犯人と工場を結び付けたかった。だから、袴田さんは、わざわざ隙間をくぐり抜けてでも、裏木戸から出なければいけなかった。

犯行着衣 血のついていない「血染めのパジャマ」

上にも書いたが、事件から4日後の工場内の捜索で、寮の袴田さんの部屋から見つかった、ごく小さな茶色っぽい染みのついたパジャマが見つかった。

そして、血痕だという鑑定もないのに、次の日の各社朝刊では「血染めのシャツ」と表現し、「従業員H」と、ほとんど名指しで報道された。当然、警察が記者に洩らした情報である。

工場の雨合羽とくり小刀

パジャマの上に、みそ工場の雨合羽を着て専務の家に行ったとされる。しかし、事件のあった日は熱帯夜だった。暑いゴムの雨合羽をわざわざ着て行くだろうか。

なぜ雨合羽を着なければならなかったか。庭に落ちていた雨合羽のポケットにくり小刀の鞘が入っていたとされているからである。雨合羽は、みそ工場と事件現場、くり小刀を結びつける柱となっているのである。

「5点の衣類」の謎 1年2か月後の急な出現

第一審の途中、事件から約1年2ヶ月が経った1967年8月、工場の味噌タンク内から、血痕の付いた「5点の衣類」(スポーツシャツ、Tシャツ、ズボン、ステテコ、緑色ブリーフ)が発見された。

工場内は事件直後に捜索が入り、もちろん味噌タンクの中も調べられているはず。なんで今更、というタイミングでの発見だった。

そもそも、従業員が、遅かれ早かれ発見される味噌タンク内に、血痕の付いた犯行着衣を隠すだろうか。隣には 証拠隠滅にぴったりの場所、 ボイラー室もあった。

共布発見、すぐに犯行着衣に

直後、袴田さんの実家に捜索が入り、タンスの中からズボンの共布(切れ端)が見つかる。まるで最初から見つかるとわかっていたかのような手際の良さで. 。

検察は、最初からずっと犯行着衣としてきたあの”血染め”のパジャマをあっさりと捨て、「5点の衣類」が犯行着衣と変更した。

穿けないズボン、サイズのミスリード

袴田さんは、自分のものではないと否定。実際に袴田さんがズボンを穿く実験も行われたが、小さすぎて穿くことができなかった

しかし、裁判では、味噌漬けによってサイズが縮んで穿けなくなったと認定されてしまう。ズボンのタグには色の表記が書かれていたが、検察は製造元の証言を隠蔽「大きいサイズを表す」とのミスリードをしてきたのだった。

これは再審請求審段階で初めて明らかになった。検察は知っていてわざと隠したのだ

いつ、誰が、味噌の中に入れたのか?

1966年6月30日、事件発生時は味噌の仕込み前で、味噌はほとんどなかった。7月20日、4tの味噌を仕込み、翌1967年7月25日から味噌の取り出しを開始。8月31日、タンクの底のほうから「5点の衣類」が発見される。

つまり、味噌が少なくなっていて衣類を入れられるタイミングは、①1966年6月30日~7月20日②1967年8月31日の少し前、のどちらかになる。(下図参照)

②の期間は袴田さんは勾留されていたわけだから、つまり、袴田さんが衣類を隠したとすれば、逮捕前の①の期間しか不可能である。

もし犯行着衣を隠すとしたら、普通は殺害した直後だろう。しかし、7月4日の捜索では発見されていない。となると7月4日以降だが、袴田さんはすでに警察にマークされていて、この状況でそんなリスクを冒すだろうか。

では、次に衣類を入れられるとしたら、②のタイミング。このとき袴田さんは裁判中、当然入れることができない。

もし②なら、確実に捏造証拠である。だとしたら、誰が入れたのか。もちろん、捜査機関以外にありえない

そして、再審請求審段階で、①のタイミングで入れられた=「1年2ヶ月味噌に漬かっていた」にしては、生地が白すぎるし、血痕が赤すぎるのではないか?という疑問も浮かび上がってくる。(詳しくは次の章を参照)

再審開始までの道のり 支援者による「味噌漬け実験」

「1年2ヶ月味噌に漬かっていたにしては、生地が白すぎるし、血痕が赤すぎるのではないか」

素朴な疑問を抱いた支援者が、血痕のついた衣類を味噌に漬ける実験を行った。

本当に1年2ヶ月味噌に漬かっていたのか?

DNA鑑定

もう一つ、再審開始に大きく貢献したのはDNA鑑定である。

事件当時、袴田さんは右肩を怪我していた。そして、5点の衣類の白半袖シャツの右肩部分には、袴田さんと同じB型の血痕がついていた。だから袴田さんのものだ、とされた。

しかし、この白半袖シャツの右肩部分のDNAが、袴田さんと一致しなかった

5点の衣類のほかの部分の鑑定でも、血痕のDNA型は袴田さんとも被害者とも一致しなかった

つまり、この5点の衣類は、袴田さんのものではないし、犯行着衣でもない、ということである。

再審公判のポイント 検察側の主張

〇犯人はみそ工場関係者で、袴田さんが犯行を行うことが可能だった

〇5点の衣類は袴田さんの犯行着衣で、事件後に味噌タンクに隠された

弁護側の主張

〇真犯人は外部の複数犯で、強盗ではなく怨恨目的

〇5点の衣類は捜査機関による捏造証拠である

血痕に赤みは残るのか?:7人の法医学者の「共同鑑定書」、証人尋問

一番の争点は5点の衣類

5点の衣類の血痕に赤みが残る「可能性がある」という鑑定書を、7人もの法医学者が連名で出した。

立証責任があるのは検察なので、もし袴田さんの犯行だと言いたいのならば、「絶対に赤みが残る」ということを証明しなければならない

自白が無罪を証明する

今回の再審公判では、検察は袴田さんの自白を使わなかった

結審(第15回公判)

再審公判は、2024年5月22日に結審を迎えた。

いよいよ9月26日、判決を迎える. 。

参考文献

袴田事件には、ここでは紹介しきれないほど多くの「謎」がある。

書籍
  • 山本徹美『袴田事件ー冤罪・強盗殺人事件の深層』(プレジデント社、2014年
  • 小石勝朗『袴田事件これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)
  • 高杉晋吾『袴田事件・冤罪の構造 死刑囚に再審無罪へのゴングが鳴った』(合同出版、2014年)
  • 袴田事件弁護団編『はけないズボンで死刑判決 検証・袴田事件』(現代人文社、2003年)
  • 浜田寿美男『袴田事件の謎ー取調べ録音テープが語る事実』(岩波書店、2020年)
  • 尾形誠規『完全版 袴田事件を裁いた男ー無罪を確信しながら死刑判決文を書いた元エリート裁判官・熊本典道の転落』(朝日新聞出版、2023年)
  • 袴田巌著、袴田巌さんを救う会編『主よ、いつまでですか』(新教出版社、1992年)
サイト等

「23歳」―袴田事件に関わって、今思うこと。

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